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イサム・ノグチ

ご紹介したい偉人


イサム・ノグチをもれなく知ってほしい!
彼は、1904年11月17日アメリカロサンゼルス出身の彫刻家、造園家、作庭家、インテリアデザイナー、舞台芸術家である。日本名は、野口 勇(のぐちいさむ)。
両親は、詩人の父野口米次郎、作家の母レオニー・ギルモア。

先に結論、感想を述べると
日本を代表する彫刻家であるが、二重国籍という苦しみ葛藤、そして女優山口淑子との結婚、離婚等
決して順風満帆な人生ではなかった。ドウス昌代氏が上下巻に出版した『イサム・ノグチ-宿命の越境者』の通り二重国籍による苦しみ、両親が揃った温かい家庭に恵まれず孤独と芸術に命を注ぐ生涯の人生だったと言える。私は、彼の作品から漏れあふれる愛、寂しさ、悲しさ、やり切れない切なさ、怒り、真実の追求を感じ取ってやまない。

経歴
3歳の時に母レオニーと来日し、父と同居するも
父が結婚した相手は別の女性であり、
また自分自身が日本人なのかアメリカ人ということに常に煩悶していた。

幼少期からイサム・ギルモアを名乗り、自宅の新築設計を手伝う等数々の建築作品に携わった。その後は、指物師の見習い修業をし、学校を卒業後の1918年6月は、母の意思で単身アメリカへ。ラ・ポート高校に首席で卒業する。卒業写真に残したノグチの言葉は、「大統領になるよりも、僕は、真実こそ追求する」であった。

ノグチの胸に母が、植え付けた願望、「アーティストになりたい」というノグチのために父親代わりだったエドワード・ラムリーは、スタンフォード在住の彫刻家ガストン・ボーグラムに助手としてノグチを預けた。だが、2人は馬が合わずノグチは、ニューヨークに移りコロンビア大学(医学部準備過程)に入学し、日本から来た母と暮らす。レオナルド・ダ・ビィンチ美術学校の彫刻クラスに夜間通い、入学してすぐ初の個展を開催した。1925年には日本人の舞踏家伊藤道郎の仮面制作し、初めて演劇関連のデザインに着手。

ノグチは、1930から1年にかけて京都・奈良など窯元で陶芸を学ぶ。
1935年は、在米日本人芸術家たち4人と「邦人美術展」に出展する。

第二次世界大戦の勃発に伴い、在米日系人の強制収容が行われた際は自ら志願拘留された。しかし、アメリカ人との混血という事で、スパイの噂が立ち、他の収容者達から、冷遇される。そのことから、出所を希望するも日本人であるとして、出所できなかった。

終戦後、ノグチは1947年にジョージ・ネルソンの依頼で「ノグチ・テーブル」をデザイン・製作するなど、インテリア・デザインの作品に手を染める。

1950年に再来日し銀座三越で個展を開く。1年後にまた来日しリーダーズダイジェスト東京支社の庭園の仕事の依頼を受け、また当時の岐阜市の依頼で岐阜提灯をもチーフにした「あかり(Akari)」シリーズもデザインを開始。同年、山口淑子(李香蘭)と結婚する(1956年に離婚)。

鎌倉の北大路魯山人に陶芸を学び、素焼きの作品製作に没頭。同年、広島平和記念公園のモニュメント(慰霊碑)にノグチのデザインが選ばれたが、原爆を投下したアメリカの人間であるとの理由で選考から外れた。しかし、デザインの一部は、平和公園にある丹下健三設計の「原爆慰霊碑」に活かされ、東西両端に位置する平和大橋・西平和大橋のデザインはノグチの手によるものである。ノグチは、1964年「ケネディ大統領墓所」のデザインを設計したがこちらは日系であるとの理由で却下された。

1961年からアメリカに戻り、精力的な活動をする。
アメリカ企業IBM本部に2つの庭園を設計、幼少の頃住んでいた神奈川横浜のこどもの国で遊園地の設計が実際の計画に移された。
1968年にホイットニー美術館で大々的な回顧展が開催。1年後の1969年に、シアトル美術館にて彫刻品『黒い太陽(ブラック・サン)』を設置。
東京国立近代美術館に『門』を設置。この年、
ユネスコ庭園への作品素材に香川県の庵治町(現・高松市)牟礼町にアトリエを構え、「あかり」シリーズを発表する。ここを日本での製作本拠とし、アメリカでの、本拠・ニューヨークとの往来をしながら
作品製作を行う。

1970年には、日本万博博覧会の依頼で噴水作品を設計。同時期に東京の最高裁判所の噴水を設計し、設置する。
その後は、1984年コロンビア大学より名誉博士号やアメリカ国民芸術勲章を受勲する。
1988年に勲三等瑞宝章を受勲し、北海道札幌市のモエレ沼公園の計画に取り組んだ。これを公園全体を一つの彫刻に見立てた「最大」の作品であったが、ノグチは、その完成を見るまもなく心不全でニューヨーク大学病院で84歳の生涯を閉じた。

1年後には、ノグチの遺志を継ぎ、製作された遺作『タイム・アンド・スペース』が香川県の新高松駅空港に設置された。
1999年には本拠地であった高松市牟礼町にイサム・ノグチ庭園美術館が開館した。ノグチがマスタープランを、手掛けてから16年後の2004年にモエレ沼公園は完成し、翌2005年にはグランドオープンした。

以上、私がご紹介したい偉人でした。

(補足としてイサム・ノグチは、私の遠い親戚の方です😊)






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