見出し画像

●2020年10月の日記 【下旬】

10月21日(水)

マイナンバーカードには旧姓を併記することができるらしい。表面にがっつりくっきり、旧姓を載せられるのだという。それを聞いてすっかり作る気になった。旧姓を併記できる公的な身分証、魅力的すぎる。旧姓で仕事をしているため、あると何かと便利だ。というか前までできなかったのなんでなん、結婚してどうしてもどちらかに苗字変えなきゃ駄目ってまだ言うんならせめて旧姓併記くらい普通にさせてくださいよお。と口をとんがらせてもいるけど、とにかく現時点では魅力的すぎる、マイナンバーカード。

そんなわけで役所に行った。発行の申請をするだけかと思ったら、旧姓を併記するためにはまず戸籍謄本を取り寄せる必要があるとのこと。わたしの戸籍は違う街においてあるからこの役所ではどうにもできない。出直すことにして、役所の食堂でごはんを食べて帰った。

役所ブルー(公的な施設に赴いたあと3ターンは謎の疲れで行動不能)から回復したのは夕方で、それからやっとチャーシュー作りに入った。ほとんど圧力鍋に任せられるから楽ちんだ。できてみるとチャーシューなんだか角煮なんだかわからない仕上がり。チャーシューも角煮も好きだからよかった。

10月22日(木)

昼から友だちと会ってたくさん飲み食いしほろ酔いで街を歩いた。気持ちよかった。渋谷のあたらしいパルコにはじめて入った。パルコのポケモンセンターをひやかし、「あたらしいポケモンぜんぜんわからん」などとぶつくさ言って楽しかった。

画像1

10月23日(金)

朝は子どもが通うかもしれない幼稚園に行った。今日は併設の講堂で講演会があるというので、子どもを遊戯室の教員に託して参加。子育てに関する2時間くらいの講演を聴いた。クセのある講師は卒園者の保護者だという。こっちで勝手に要約すると「みんなマジ子育てがんばってるし超おつかれさまあああ」という内容の2時間だったから落ち着いて聴けたし普通に元気でた。

講演が終わって講堂を出ると同じく子どもを預けているらしい女性がせわしげに遊戯室へと向かいながら「気になりますよね……!」と声をかけてきた。子どもがどうしているか、泣いていないか、寂しがっているのではないか、暴れていないか。彼女の表情からさまざまな心配が伝わってきて、「そ、そうですね……!」と応えながら、わたしはこの2時間あまり子どものことをまったく心配していなかったことに思い至った。これは子どもへの信頼からくるものなのか、無責任さからくるものなのか。たぶん両方だな。

果たして子どもはわたしの顔を見るなり「たのしかったねー!」と大きな声で感想を述べた。片手には工作の成果物をにぎりしめて。わたしは無責任なところのある保護者かもしれないが、彼が楽しい時間を過ごしたらしいことをとてもうれしく思ったから、まあ、大丈夫、たぶん。

10月24日(土)

夫との断絶が深まった一日だった。なかなかに希望のない言い争いをした。仲のいいふたりだったわたしたち。ずいぶん遠くまで来てしまったものだなあと思う。相手について好ましくない面をたくさん知ることになった、お互いに。われわれは相手のために用意された存在ではないのだからそんなの当たり前だ。都合の悪いところなんていくらでも出てくる。なのに、それだけで崩れてしまう関係の脆弱さに、こんなものしか結べていなかったのかとがっかりする。
それでもいっしょにやっていくのだと、現時点ではふたりとも(おそらくは)決めているけれど、今日のような日はすべて終わらせてみたくなる。そのあとの景色を想像して、心に爽やかな風が吹くのを感じさえする。夫もそうなのだろうなあ、と思うと少しさみしいような気がするが、それほどさみしくはなく、そのこと自体はけっこうさみしい。

画像2

ふたりともが大すきな子どもがいるから、いっしょに生きていくことをかんたんにあきらめたりはしないけど。けど、ね。

10月25日(日)

「でんきけさない!でんきけさない!」、子どもが布団から顔を上げ、大きな声を出す。午後9時、就寝前の寝室、わたしのからだに頭をもたせかけた子どもは、もう白目になりかけていたくせに、夫がこっそりスタンドライトを消そうとするのには気がついて悲痛な抗議の声を上げる。
2か月前くらいからだろうか、そんな夜が続くようになって、今ではもう電気を消すのはあきらめた。スタンドライトをつけたまま眠りにいざなうようにしている。真っ暗にしないと眠れない赤ちゃんだったはずなのに、子どもはどんどん変わるなあ。
部屋が明るいから、子どもが腹の上で眠ってしまって身動きがとれないときも、枕元に本を用意しておけば読めるようになった。電気を消していたときは寝室ではスマホしか見られなかった。わたしは本を読みながら眠りに落ちてしまうことを愛しているから、これは思いがけず嬉しい変化だった。
今は角田光代『八日目の蝉』を読んでいる。

10月26日(月)

仕事ではりきりすぎてしまい、終わったあと蕎麦屋に入って箸を持つと手が小刻みに震えているのがわかった。
やや空回りした感はあるが、思いきり力を入れて仕事をしたあとは気持ちいい。力を入れることと心を込めることは違うから、いい仕事をしたというのとはちょっと違っている。では心を込めれば必ずいい仕事になるかといえば、それもぜんぜん違うけど。そうは言え心を込めずにいい仕事はできないので(わたしの仕事でわたしの場合)、やっぱり心を込めるのをさぼってはいけないだろう。などと考えながら蕎麦をずるずるすすった。つけ汁の味が濃く美味しかった、しょっぱいものは元気でる。

カフェに入ってスパイスのきいたチャイを飲んだ。角砂糖を2つ入れてちびちびと。考えごとがはかどった。

それからでかい無印とでかいユニクロをはしごして子どもの秋冬の洋服を買い集めた。来年のカレンダーも買った。来年ですって、やーね。

夜は甘口のルウでカレーを作った。給食の味になって満足。子どもはカレーとなら白飯を食べてくれる。カレーライスじゃなくて「カレーごはん」だって。

10月27日(火)

仕事に向かうバスの中で『八日目の蝉』を読み終えた。横並びに他の乗客が座っている状況にもかかわらず涙が止まらなくなって困った。バスを降りて今日の職場である公民館に歩いていくあいだもずっと泣いていた。仕事の間は目がうるむ程度まで抑えていられたのだが、帰りにバス停まで歩きながらストーリーを思い返してまたしくしく泣いた。街中で泣くのにマスク装備は大変便利だということがわかった。
とにかく悲しくて仕方なかった。なぜそこまで悲しかったのかというと、『八日目の蝉』が、社会や人間関係のひずみのしわ寄せが女にいき、さらに子どもにいく話だったからだ。そして子どもがいちばん重いものを背負わされる話だったから。
これはつくり話であるのだけど、世界の随所随所で「ほんとう」なのだと思った。しわ寄せがいく先は女性や子どもとは限らなくて、弱い、または権限を与えられていない存在はみんな、背負わされやすい。『八日目の蝉』でそれは女性たちと子どもたちだったし、実際に子どもが一番にひずみを受け止めなくてはならないケースはとても多いだろう。そう考えたら涙を止めることができず、家の玄関でも「あと10分だけ」と決めて泣いた。泣き切って、子どもを保育園に迎えに行った。赤くなった鼻を隠すことができてやっぱりマスクは便利だ。

画像3

(『八日目の蝉』に関連して、
わたしの知る瀬戸内海)

10月28日(水)

仕事に行くのとか、仕事のあとに役所に行くのとかで、とにかくたくさん歩いた。という実感があってもスマホの歩数計を見たら1万歩に届かなかったから、1万歩ってなかなかだ。

10月29日(木)

子どもの成長とともに日々増えていく小さくなった洋服たちを、いつも友だちがもらってくれるのがなんともいえず、うれしい。彼女はわたしの8か月あとに出産した。だから彼女の子どもはわたしの子どもよりいつも8か月分小さい。今のところ。
子どもの服、メルカリとかで売れてどこかの知らない子に引き継がれてゆくのも素敵だけど、わが子が着ていた洋服を知っている子どもが着ているのを見るというのはまた格別のうれしさなのだ。
この秋の衣替えでも、去年の今ごろ子どもが着ていて「ウフフちょっと大きいね、来年も着れるかな?」なんて言っていた秋冬の衣類がすっかりつんつるてんになっていることが判明したので、その友だちにごっそり引き取ってもらった。
しかし、あげるのも気がひけるくらいに着倒した服もある。これらのうち、ユニクロのものはユニクロの古着回収ボックスに入れてきた。

これがあるからユニクロの服に限っては服を棄てる罪悪感から解放されてうれしい。服棄てるのってしんどいんだよね。
ユニクロのものはユニクロに。なんか、カエサルのものはカエサルに、みたいでかっこいいよ(?)。

10月30日(金)

子どもと、有給を取得した夫と3人で、幼稚園の最終候補2園を見学した。担当の方にたくさん話をきかせてもらったが、どちらも一長一短で決めがたかった。夫との話し合いのすえ、子どもの今のところの性質(ひとりで行動することを好む)を考慮して、園児の数が少ないほうの園に出願することに決めた。

しかし、3年間も通う場所を大人の(ほとんど)一存で決められてしまう、幼児という存在。2日後には幼稚園の面接があり、その日に自身の3年間の一部が決定されてしまうなどとは知るよしもなく、ぷすぷす眠っている。いたいけだな、と思う。まだまだ運命の大部分を保護者ににぎられている存在なのだ。しっかりしなくてはいけないとつくづく思う。いい気にならないように・この一時的に与えられた権力を悪用しないように。

10月31日(土)

翌日の幼稚園の出願のために書類への記入事項を清書し、面接に着ていく精いっぱいのフォーマルな服にアイロンをあて、子どもをなだめすかして願書に貼るための写真を撮影、夫は散髪へ行き……と祭りのような一日を過ごしていたところ、夜になって祭りの主役たる子どもが熱を出した。38℃、子どもにとっては高熱というほどではないが、明らかに寝苦しそうだ。思い返してみれば彼の調子は今日一日を通してわずかにおかしかった。ふだんなら泣かない場面(おやつの追加が欲しいとか)でよく泣いていた。
たぶん、いつもダウナーな親たちの妙に張り切った姿を目の当たりにして、彼も動揺したのだろう。かわいそうなことをした。
熱は一夜限りのもので朝になればすっかり解熱していることも考えられるが、なかなかそういうことはない。朝になったら出願先の幼稚園に電話をかけて相談してみることにして、今はあつあつの子どもと眠る。布団の中が子どもの発熱でぽかぽかと気持ちよく、申し訳ない。せめて安心して眠ってくれるといい。


10月中旬




この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?