CHAPTER2.俯瞰

飲食店は理不尽だ。若い頃はそういうものなんだと受け入れていたが、客観的に見るとこの業界はやはり遅れている。「苦労が美徳」がまかり通るかのように。

「お前いい加減にしろよ!」
オペレーションやルールに問題がある場合が多い

「何度言えばわかるんだ!!」
そもそもしっかり説明してない

「は?見たら分かるだろ」
分かってても確認の為に聞くこともあるはず

「そんなことも知らないの?」
何事にも初めてはある、そこは責めてやるな。こういうことを言うと質問すらしづらい環境になる。

「自分で判断しろ」
こういう人は勝手に判断したら必ず文句言う

「普通にやっといて」
曖昧な表現しないで具体的に数値化してあげましょう

「これエマンセしといて」
何用の何んなのか全体像を先に伝えない

「これエマンセしといて」
お手本か完成品を見せて基準を示してあげて

「これエマンセしといて」
日本人しかいないんだから日本語で統一した方が合理的じゃないですか?(ちなみにフランス語で薄切りのこと)

最近の飲食店も体育会系のノリは減ってきたがまだまだその慣習は色濃い。
数十軒ほど様々な現場に入ってきたけど怒鳴り声のない厨房はいまのところ見たことがない。人様の口に入るものを作る場所なので緊張感は必要だが。

しかし怒ると叱るはそもそも違う。叱ることは本人の成長にもなるし優しくするだけが優しさではないと思っている。もうそんな時代ではなくなってきているが、相互がそう理解し合えている関係性が理想的だと思うけど、ほとんどの場合は確実に「怒っている」。

済んだ側から無くなっていく仕込み、それに費やす膨大な工数、大量のオーダーを捌き、各ポジションの進行を合わせながら少しでも手が空けば洗い物を片付けなければお皿さえ尽きていく。イレギュラーなトラブルも付き物。そうやって厨房は一日に数百、数千皿の料理を作っている。

責任者であるシェフはその中で的確に指示を出しながら時間通りに正しく料理が出来ているかチェックし、教育もしていかなければならない。

通称デシャップ(Dish up)と呼ばれるキッチンとホールをつなぐ場所にシェフが立っていられるようなお店だとそれも可能だがその分、人件費もかかることなのでそこそこ良いお店でないと難しい。ただそういう所は教育が行き届いてる印象はある。しかしシェフが鍋を振ったりワンポジション兼ねなければならないような規模感の店では物理的に無理が生じてしまう。

つまり余裕がなくて怒っている。
本人は甘やかしたらそいつの為ならない等と言って認めないだろう。
根性論や精神論だけでは伝わらない。ひとつひとつの行動が何故必要なのか意味を教えてあげなくては。器が備わってないとも言える。
結局は教える側の力不足のせいなのだ。定着率の悪さを嘆くくせに鑑みない。

料理になると経験や勘で伝承されてきた曖昧な表現なものも多い。それらの暗黙知を形式知化した分子ガストロミーという科学的アプローチもあるのに。何とも不合理な世界なのだろう。

この状況では新人はすぐ辞めるし人材不足にもなって負のスパイラルから抜け出せない。これは改善しよう、このままじゃマズイ、そんな疑問すら抱かず、辞めたアイツはどうのこうのと言ってる。これでは変わるわけもない。


僕はその後、会社に退職の意思を伝えた。
勿論すぐには辞めることはできない。最終出勤日までのカウントダウンは始まった。その境地に立つと見えてこなかったものが増える。気持ちを一歩引いて俯瞰的に周りを見渡すと身近でも改めて酷い状況だ。
さらにこれはそこら中で起きている。
きっと飲食店だけの問題ではないだろう。

もれなく僕にも身に覚えがある。

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