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かっこ悪くていいからかっこつけない



休日のいちばんの楽しみは朝食だあ。平日の朝はごはんを味噌汁やお茶漬けの素でチャーッとかき込んで終わりだけど、休日はラジオを聞いたり映画を見たりしながら、前日に買っておいた美味しいパンを食べる。

今日はレーズンとくるみ、紅芋と鳴門金時のブレッド。昨日の残りのシチュー。


で、わたしには先延ばし癖があるので、休日の朝はやりたいことややらなければいけないことを紙に箇条書きにしておくことが多い。

猫のトイレ掃除、台所掃除、縁側の片付け、植物の植え替え、野菜の種まき、とか。好きなことも入れておく。映画を見る、小説を書く、英語の勉強、図書館に行く、ダイソーのマニキュアでセーラーマーキュリーに変身…とか。



終わった予定は赤ペンでマルをつける。こうすると一日を無目的にダラダラ過ごしてあとで後悔することも少ない。でもダラダラすることも大切だから、気が向かないときや元気が出ない日はもう息しかしてない。

ちなみにこれはやる気ゼロだけど何かしないと気が済まないというどっちつかずの気分の日に、突然思い立って家にある材料で焼いてみたパン。見た目もだけど手に持った感じがゴルフボールにそっくり。不恰好でも味はなかなか美味しかった。


最近は、かっこ悪くてもいいからかっこつけるなと自分に言い聞かせてる。

いつも自分にはちっとも似合わない何かに憧れてきた。たとえばトム・クルーズや、アーノルド・シュワルツェネッガー、ドウェイン・ジョンソン。彼らが映画で演じるような、筋骨隆々、大切なものを守る強さがあって、何があっても誰も見捨てず、どんな困難を前にしても諦めず、男としての自信と優しさに溢れたタフな男性像、というものに、昔からなぜか憧れがあった。屈強な男性に守ってもらいたいのではなくて、自分がそうなりたいと思っていた。

でもそういう男性像は実際の自分とはあまりにもかけ離れていて、そんな憧れとの差異が、いつもわたしから自信を奪っていたように思う。本当はミッション:インポッシブルのイーサン・ハントなみに強くかっこよくなくては自分に納得できないから。でも今は思う。冷静に考えて、イーサン・ハントみたいに生きられないからっていちいち人生に挫折してたって仕方がない。


べつにわたしがかっこよくなくても、かっこいい人はほかにちゃんといてくれるんだから、わたしはそのかっこよさを楽しませてもらっていればいいのかもしれない。

自分の人間性が全然わからなくて、他人と自分の境界線がひどく曖昧だったんだろう。今でもかっこ悪いことをしてしまうたびに本当に恥ずかしくなるし、情けなくて仕方がなくなる。社会生活ではいつもすまし顔を取り繕って、大人のふりをし続けるのに必死。こんなふうにちょっとものがわかったようなふりして文章を書いてみたって、実際は毎晩床をのたうち回りたくなるくらい現実に振り回されている。

でも、実物以上にかっこつけて息苦しくなるより、かっこ悪くてもいいからかっこつけないでいるほうを目指したい。これは本当に、自分のために。

かっこ悪いまま生きるよりかっこつけて息苦しくなるほうがまだマシだとずっと思ってたけど、そんなことないよね。

こんなふうに理想をひとつひとつ諦めていくことや、諦めていく自分を受け入れることが怖いといつも感じていたけど、自分に見合わない理想は、無理なく、自然なかたちで諦めていけるようになっているのかもしれない。それはちっとも悲しいことなんかじゃないんだろう。憧れが何もないのもつまらない。だから、最近は自分と似たものに憧れるようになった気がする。

なんてことを、近頃は考えている。快適な人生への変化は、本当にちょっとずつだなあ。


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