見出し画像

いざシギリヤ

雨季なのに太陽がキャンディの街を照らした朝。この愛くるしい街に別れを告げ、僕はシーギリヤを目指した。

Google Maps

ホテルからキャンディのバスターミナルまではアプリでトゥクトゥクを呼んだ。トゥクトゥクドライバーにこれからどこへ行くのかを尋ねられ、正直にシーギリヤと言った後はバスではなくトゥクトゥクで行くのがベターだとかなんとか言われて面倒くさかった。ベターでもなんでもなく単純に彼の営業である。

試しにいくらで行ってくれるのかを聞いてみる。言い値は忘れてしまったがバスの10倍はするだろう。金がないからバスで行くと頑なに言うと、彼も諦めたようで丁寧にダンブッラ行きのバスの前で降ろしてくれた。シーギリヤへバスで行く場合はダンブッラという街を経由しなくてはならないのである。

3キロで150円くらいだったと思う。キャンディのバスターミナルはごちゃごちゃとしていて複雑なので、目の前で停めてくれたお礼も含めて少し多めに現金を手渡した。

「トゥクトゥクの方がベターだけどね」
彼はそう言いながら僕に手を振った。無論ベターな訳が、ない。

キャンディのバスターミナル周辺

バスはACタイプと呼ばれる割に綺麗なエアコン付きのマイクロバスのようなもので、満員になってから出発する。それまでは男性商人がぞろぞろとバスに入ってきて水やパン、スナック菓子、カシューナッツなどを売りに来る。シンハラ語で顔の前にモノを見せつけてくるから鬱陶しいが、現地人は慣れているようでスルースキルが総じて高い。僕は腹が減っていなければ水も持っていたので彼らと言葉を交わすことはなかった。

居酒屋のベテランバイド勢がビールジョッキを片手で何本も持つことができるのと同じように、この国ではスナックを片手で何個も持てるベテラン商人がいる。彼の右手はもはや芸術である。

バスが出発したのは僕が席に着いてから20分後くらい経った後だった。

いろは坂みたいなくねくねとした山路をバスが駆け抜ける。酔うのではないかと思ったが、道路は最低限整備されているからそこまで揺れない。ダンブッラまでは2時間くらいだった。変わらない山と椰子の木、時より映る南国風の住宅をぼんやり眺めていたらダンブッラの街に着いていた。

バスを降りると、僕たち合計3人の外国人観光客に対してタクシードライバーたちが 10人くらいでわんさかと営業をし始める。

シーギリヤ行きのバスがいつかは来るみたいだが、それがいつなのかは分からない。3分後に来るかもしれないし、1時間くらい待つことになるかもしれない。何より、ダンブッラに着いたのは正午頃で日差しがきつく、標高的な所以なのかキャンディと比べて体感気温は5度ほど高い。

スマホアプリでタクシーを呼ぶのが最も安くて安全なのだが、電波が壊滅的に悪い。シェアナンバーワンのSIMカードを使っても、なかなか繋がらない4G。

「アプリと同じ値段で行ってやるよ」
そう言われても電波がつながらないのだ。キャンディの駅といいダンブッラのバスターミナルといい、ここぞの場所でスマホが使えないのは致命的である。

「2000でいいよ」
暑いし電波も繋がらないし、僕が宿泊するシーギリヤのホテルも知っていると言うので、値下げ交渉をし約千円でトゥクトゥクに乗ることにした。

乗車すると、トゥクトゥクはすぐにガソリンスタンドに入った。そこで気づいたのだが、ハンドルの下にはキューバの革命家、チェ・ゲバラのステッカーが貼ってある。もしやトゥクトゥク界に革命を起こすつもりなのか(トゥクトゥクレボリューション)。そんなことを考えていたら彼は車内に戻ってきた。

トゥクトゥクレボリューション⭐︎

ダンブッラからシーギリヤまでは約15キロ。結果的には30分ほどトゥクトゥクに揺られることになる。が、乗車して15分後ほどで問題発生。この若いトゥクトゥクドライバー、僕の泊まる宿を知っていると言ったくせに、ホテルの名前、外観、地図を携帯で見せろと言ってくるのである。スマホの電波が悪かったので妥協して彼に頼むことになったというのに。まだスマホは圏外のままである。

「あなたさっき僕が泊まるホテル知ってるって言ったよね?」
「あー知ってるよ。大丈夫」

涼しい顔をしているだろう男の背中を見つめ、トゥクトゥクは熱風を引き裂くように進んでいく。揺れる車内から振り下ろされないように右手でスーツケースの取手を抑え、左手で手すりを掴んだ。ちなみにドライバーは陽気に一人で歌を歌っている。シンハラ語で何を言っているのか分からないし、そもそも決して上手い訳ではないので感動をすることはもちろんない。

彼は間違いなくシーギリヤへ向かっている。シーギリヤの方向は分からないがそれだけを信じて、Googleマップが起動してくれるのを待った。街という街はなくなり、狭い道路の両脇には木々だけが生い茂る。中心部から離れた軽井沢の雰囲気とよく似ている。

ダンブッラを駆け抜けるトゥクトゥクで撮影した、革命児の背中

こんなところで電波なんて繋がるはずがないと諦めかけていたそのとき、4Gのアンテナが4本立った。そしてGoogleマップに現在地が表示される。僕が今晩泊まるホテルは、、あった!!200メートルくらい先を左である。

「ヘイ、次左ね」
「あーわかってるからノープロブレム」
ちなみにコイツ、絶対に分かっていない。先程からチラチラと僕が泊まるホテルの看板を探しているからである。決定的証拠は看板を通り過ぎる度にトゥクトゥクが減速することである。こんなに分かりやすいことはないだろう。なお、トゥクトゥクは減速しても歌うボリュームは変わらないため、エンジン音が小さくなって相対的に歌のボリュームが上がったように感じる。

「ここだ!!ストーーップ!!!」
僕がそう言うと、彼は「知ってますけど」と言わんばかりの涼しい顔でブレーキを踏んだ。

「ここ?」
「ここ!!!で、しばらく進んで」

僕に質問してくる時点でやはり分かっていない。潔いといえばそうなのだろうが。

曲がった道はアスファルトが舗装されてなく、砂利道だった。平たい砂利道ならいいのだが、水を張ったら鯉を泳がせられそうなほどの大きなクレーターが10メートル毎にあるのだ。それをうまく避けながら、トゥクトゥクはゆっくりと進み、ホテルの看板の前で止まった。

約束通り、2000ルピーを手渡す。
「え、チップは?」
チップという意味は「心付け」という意味であることを彼は知らないのだろうか。自分でチップ請求すんなよ。第一お前、ホテル知らなかったんだし。お前にやるチップなんてねえよと思ってしまったが、もしやこれは歌唱に対する対価なのだろうか……

だとしたらもっと払いたくない。しっかり練習してほしい。ボイトレに通ってほしい。イケボで福山雅治の曲を歌ってほしい。

ベネツィアンゴンドラじゃないんだから、歌唱力は求めていないのだが。ただ、ノーチップとか言ってトラブルになっても嫌なので、100ルピーを手渡した。

「サンキュー、わかってんじゃん。ちなみに日本円欲しいんだけど」
何言ってんだコイツ。

日本円見せて詐欺というのは海外でよく聞く話なのだが、チップで日本円を請求してくるのは聞いたことがない。単に海外の小銭を旅行客から貰う収集癖があるのかもしれないし。そういう趣味なら仕方がない。ただ、警戒心を強めて鞄の中で日本円の財布を開き、一円玉を前の運転席に座る彼に手渡した。

「ディスイズジャパニーズマネー」
ドライバーは一円玉の裏表をじっくりと見ている。

「紙がいい。千円ちょうだい」
図々しいたらありゃしない彼の返答には半ば呆れてしまった。もちろんケチな僕が千円をあげるはずもなく、「今紙幣ないんだよね〜それ千円と同じ価値あるから〜サンキュー」と適当にあしらって颯爽とトゥクトゥクを降り、早足でホテルの玄関までの道を歩いた。

彼はまじまじと一円玉を見つめた後、それをポケットにしまってトゥクトゥクを走らせた。僕が手渡したその一円玉は今どこにあるのだろう。

この日に泊まったホテルは日本人が経営しているらしく、ホテルの名前も「石見荘」という何とも和風である。4階のルーフトップからシーギリヤロックが見えるから「石見荘」なのは想像に難くない。チェックイン後、ルーフトップでウェルカムドリンクを頂いた。

想像以上に大きな岩山を見つめて、冷えたフルーツミックスのスムージーを体内に流し込む。

さあ今から登山。1時間ほどで登れてしまうらしいが山は舐めてかかってはいけない。昼寝をしようと思って、一人で使うには大きすぎる部屋のベッドに横になった。しかし、スリランカ1番の名所といっても過言ではないシーギリヤロックを目の前にすると眠れるはずもなく、結局目を瞑ってスマホに設定しておいた15時のアラームを待った。

もういてもたってもいられなくなって、アラームが鳴る30分も早くに起き上がってしまった。ベッドで横になっていた時間はわずか15分ほどだ。いざ、この旅一番のシーギリヤロックを拝みにいこう。


つづく

※ この記事はスリランカ旅行記の連載です。次回の旅行記もお楽しみに!是非これまでのストーリーも覗いてみてくださいね。




この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この街がすき

「押すなよ!理論」に則って、ここでは「サポートするな!」と記述します。履き違えないでくださいね!!!!