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伊藤緑
2024年7月22日 22:30
濃くて重たい影を俯きながら引きずれば夏を泳ぐ蝉や蜂に命に近づかれてひどく怯える
2024年7月12日 22:30
今日も呼ばれる存在としてではなく数字として明日も笑いかけられる心身としてではなく数の一つとして
2024年7月9日 22:30
あぜ道を行けば揺れている草が流れている雲が響き渡る水音が目に留まってそれらがどれも滅びの色に見えてしまう
2024年7月6日 22:30
長方形に願いを閉じ込めようとしましたが願望もまた呪いだと思い代わりに空っぽをこっそり奥に吊るしました
2024年7月5日 22:30
夏だ夏だと言葉にしながら夏に人格を与えているそんな自分に気付いたとき 私は夏を言葉にしているのではなく夏という名の理想を言葉にしているそのことを改めて痛感しました 結局私の目に夏は映ってなどいなかったのです
2024年7月4日 22:30
畳の上に並べていくうちわにラムネ蚊取り線香に風鈴線香花火 夏っていう文字の刻まれたいろんなものをぺたりと座り込んで見つめてみる でも辺りは乱れ狂ったまま夏は整然としない 外では蝉が鳴いている赤い空気がねばねば糸引いて ぽたぽた汗が垂れていく私はますます乱れていく
2024年7月2日 22:30
月の影に染まっている言葉の海その渚でしゃがみ込めば死という白んだ冷たさが押し寄せてきてすねにお尻にまとわりついてきます その波を飲み切るなんてできるはずもありませんから砂浜に足跡を残して山のほうの小さなため池まで引き返し けれどそこでもまた同じように月光の溶け込んだ水の痛苦という冷たさを掬うことはできなくて 両手でつくったお椀と共に家の近くまで戻ってきたら空き地の隅
2024年7月1日 22:30
中学生の頃に買った少しヒビの入っている百円の透明なシャーペンで いつからあるのか分からない空白だらけの大学ノートにやせた汚い文字を書く芯は何度も折れてカチカチカチカチ空っぽが鳴る内側がすっかり真っ黒なクリーム色のやわらかいふで箱にあったのはHBとFだけもっと大きなBかHがよかったとペンをミシミシいわせながら消しゴムを使わずに書いていく産み落とされることのなか
2024年6月28日 22:30
人が夏を見ているときに自分は春を見ています 人が秋を見ているときに自分は夏を見ています 人が冬を見ているときに自分は秋を見ています 人が春を見ているときに自分は冬を見ています季節の死体を見ています
2024年6月27日 22:30
汗かく瓶のラムネのビー玉が畳の上で朝日を浴びて僕はそのきらきらをぼんやりと見ている持てば冷たくころんと透明が鳴る始めないことの美しさとはこういうものではないかと飲み終えた瓶を見ながら汗を拭う
2024年6月26日 22:30
切り落とされたナスの頭がもうそれ以上老いることなくゴミ捨て場のすぐ脇ですうすう眠っておりました 起こしちゃいけないそう街灯が月の光を力強く遮ってでも虫たちはその濃い色を気にすることなく話しています 淡い夜風に溶け込む寝息はしわしわ鳴ってそのしわしわが私の喉へ手を突っ込みひゅうひゅうひゅうと息を引っ張り出すのです
2024年6月25日 17:30
想像と観念を愛することができてしまうだから子どもは産まないとそう空想は言いました本当に大切なものそれが遠くにあるのなら手繰り寄せようとなんてせずあるがままに遠ざけておくと存在しないものを愛せるはずがないなんて言われても空想は微笑む存在しないものしか愛せないのですともし存在するものを愛しているとすればそれは全て自己愛ですと空想は絶えず微笑むのです
2024年6月19日 23:45
青くて若い夏の細くて熱い腕に後ろから抱きつかれながら道を歩けばカマキリが胸で口づけするように押しつぶされている 汗のとろりという声はほとんど聞こえず蝉の声だけが響いて淡く揺れる灰色に黄緑がよく映えている あれは自分の成れの果て生誕を否定した自分の 踏みつぶされた言葉となって夏の燃える足元でぎらぎらと濃く溶けていくふらふらとやってきた目玉にじっと見つめられながら
2024年6月13日 22:00
太陽がうなだれてその金色の髪がやわらかく広がっていく その毛先をくすぐったがるモザイク窓の黄緑の声が大きい 扇風機と戯れつつ葉擦れの笑声を聞いている悲しそうに微笑みながら空想の中のその人