冷蔵庫がたとえ紫色だったとしても。
引っ越してきて間もない街って、新しい匂いがする。
新しいというよりは、まだよそよそしい匂い。
誰も知る人がいないことが、風通しよくて楽だと
想っていたけれど。
風通しは,場合によっては孤独をつれてくるから
ちょっと厄介だ。
街を歩く。
繁華街とかは苦手なので路地を歩く。
雑踏を行く人たちの過ちが、そこにはあふれかえって
いて、もしそれが<桜の花びらのように>目視できた
としたら<空を覆い>つくしてしまうだろう。
そして、<わずかばかりの後悔とともに>路地に散り
消えてゆく。
それって小説の一節だったけど、この路地を歩きながら
どれだけの<過ち>が風の中に紛れたんだろうって
考えていた。
いやいや自分もだよって、ツッコみながら。
路地には、名前の知らない白い小花が愛らしい
草が生えていた。
それ自体は、珍しくなかったけれど。
その側にはいやでも目に付く、冷蔵庫が置いてあった。
捨ててあるんじゃない、置いてあるよっていう風情で。
なにが珍しいってその冷蔵庫は紫色だった。
いわゆるぱーぷー色。
これそのものが冷蔵庫になっていると想像して
くれるとありがたい。
わたしは何かと紫色に縁がある。
小6から急に転校することになったクリスチャン系の
小学校のシスターの法衣の色は紫だったし。
生まれたのは2月なので、誕生石は紫水晶、
アメジストだった。
このでっかい紫色の冷蔵庫をどうやって
持って帰ろうと思った。
これ、今話題の春ドラ「大豆田とわ子と3人の元夫」
なら粗大ごみのシールが貼ってあった良さげな
ソファを自分の会社のイケメン顧問弁護士に
担いでもらったことがきっかけで、夫となる
わけだけど。(③の方です)
わたしにはそんなドラマみたいな人はいないので、
ひとりで引っ越し用のキャリーカートで運んだ。
ぱーぷー色の冷蔵庫をひとり寂しくカートで
ごりごり運んでいる自分を笑ってみた。
家に着くと、どこに置こうか迷った。
迷うというか、これはほんとうに冷蔵庫なの
だろうかと。
コンセントを探す。
見当たらなかった。
見当たらないついでに、紫冷蔵庫の扉に描いてある
絵を見ていた。
猫だった。
細い線でひっかいたような猫がそこに描かれていた。
キレイな緑色のあの豆みたいな色をしていた。
今はやりの無線冷蔵庫っていうのがあるけれど。
わたしは有線冷蔵庫の方が好きで。
かなり古風な人間なのでコンセントを探して
いたら、ないよって声が聞こえた。
アレクサとかsiriみたいだった。
気のせい?
コンセント無粋なものないよって、言葉を重ねる。
そうなの? って思ってなにげなく扉を開けようと
したら
ちょいちょいちょいって声がまたして
え? って思っていたら、覚悟はいい?って聞いてくる。
冷蔵庫の扉を開けるのにいちいち覚悟がいるわけ?
ってぶつくさいっていたら、アレクサらしきそれは
いるよ、そりゃいるっしょ、俺の扉開けるのに
なんか覚悟みたいなものはぜったいいるよいるさ!
ってのたまう。
地獄耳かいってツッコミんでいたら。
開けていいよって言った。
だからまだ覚悟してないからって思いながら
冷凍庫を開けた。
冷凍庫の扉の奥は、ちいさなスクリーンみたいに
なっていた。
映像がそこに映しだされる。
え?
なにこれって思いながらもそのフィルムを見ていたら
どこか懐かしい風景がそこにあった。
舌の上で溶けるカルピスのシャーベットを
家族みんなで食べているシーンだった。
このこめかみにきーんって言うのがたまらんねって
声がする。
訳が分からないまま気持ちのベクトルが
やわらいだ。
見続けていたら家族みんなが何を冷凍庫で
冷やせばおいしいのかの、オンパレのような
会話を続けてる。
麦茶がいいよ俺。
マスカットがいいなお姉ちゃんは。
濃いめのカルピスじゃないの? って母親。
蜂蜜づけのレモンの輪切り。って答えたのは
父親だった。
早朝ゴルフに出かける時には、必ずレモンの
薄切りを蜂蜜につけてたっぱに入れて凍らせて
置く。
料理しない父の唯一の料理らしき料理だった。
冷凍庫の扉の奥のスクリーンに映っているのは
まぎれもないわたしのかつての家族だった。
今はばらばらになってしまった唯一幸せだった
瞬間が映し出されていて。
こんなに幸せな時間ってあったっけって錯覚した。
どういうこと?
ってつぶやいたら。
きみはちゃんと愛されていたよってアレクサ付きの
紫冷蔵庫が喋った。
明日もちゃんと君が愛されていた映像を見せて
あげるけど。
今から明日の午前零時までは、これを開けないでね。
開けたら、大変なことになるよ。
オドサレタ。
大変って?
開けたらあれだよ、君の黒髪が真っ白くなるか
もうここから紫冷蔵庫は去るかだね。
アレクサ語で返された。
浦島太郎と鶴の恩返しかい!
でね、最初の特典があるわけよ。
特典ってなに?
君は誰かにお礼を言いたい人とかいない?
紫冷蔵庫は君がお礼を言いたい人に
お礼を言いに行ってあげる。
どうやって? って聞こうとしたら。
どうやって? って聞かなければ言ってあげる。
先手を越された。
わたしはずっとお礼を言いたい人がいたことを
思い出していた。
むかしわたしは小説をあるサイトで書いていた。
その時いつもコメントをくれる人がいて。
わたしはそのサイトから姿を消してしまったのに、
その人はわたしを応援する言葉を贈ってくれていた。
海外に住んでいる日本の方らしかった。
アレクサ冷蔵庫!
この人にお礼を言って欲しいの。
冷凍庫にそのスクショを見せてみて。
英語じゃんってアレクサがツッコむ。
すごくうれしかったよって、あれからまた少しずつ
違う場所で小説書いているんだって伝えてほしいの。
アレクサ冷蔵庫お願いだよ。
ね? 日本語でいいの?
アレクサ日本語でいいよ。九州生まれの人みたいだから。
オッケーまかせてって声が返って来た。
そう言うと、わたしはとびきりの安堵を迎えたみたいに
紫色の冷蔵庫の扉を閉めた。
そしてわたしは明日紫冷蔵庫が見せてくれるらしい
アルバムみいたな映像を心待ちにしていた。
油断して溜息ついたら、
君は大丈夫、俺も大丈夫。おやすみって声だけが
まだなにもない引っ越したばかりのがらんどうの
部屋に響いていた。
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息を呑む 束の間でさえ 秒針触れて
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