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友達に贈ってもらった言葉が、しみる夜。

最近気持ちがざらざらしている。

指で撫でたらちょっとささくれだって

しまうぐらいの感じでざらついている。

人の言葉に触れたくないという日々が

続いていた。

仕事疲れでもない。

たぶんSNS的心労かもしれない。

そんな時間を過ごしていたらこころが

ぽっかりしてきて。

誰かと喋りたいと思った。

わたしがざらついている気持ちを

全く知らない誰かと。

携帯でわたしから電話することは

めったにない父に電話していた。

へ?

ってじぶんが父の自宅の電話番号を

スマホの画面に選択していることに

びっくりしていた。

ちょっと、くゆってる心の日に

とるいつもの行動と違っていた。

父の声を聴いて、むやみに空いてしまった

むなしいようなやるせないような

穴だあらけの心を埋めたかったのかも

しれない。

父にちょっとしたお祝い事があったので

おめでとうを言った。

いつもは元気な声の父が今日はちょっと

心なしかしょぼしょぼしていた。

時々心の模様が似ていてびっくりする。

歩くのが遅くなった気がするんだよって。

そりゃ仕方ないよって言ったけど

父はなんか昔のスピードで歩きたい

らしい。

毎朝、近所のお城のお堀のまわりを

何キロも歩いてるっていっていたから

ちょっと歩くの無理だよオーバーな状態に

なったのかもしれない。

無理しないでねって言ったら無理はして

ないってちょっとどや顔された時の

声で返された。

ムキになるぐらいだからま、元気なんだな

って。

ぼんちゃんは元気かって言うから。

元気だよってカラ元気を稼働させた。

でもどこかで見抜かれてるかもしれない。

その後わたしは友達にLineした。

ちょっと話を聞いてほしかった。

ほんとうに困った時に聞いてほしく

なる時に彼女のことを思い出す。

なにがあった?

って短い立ち話みたいなラインをした。

いつものように的確に、びしっと

意見を言ってくれて可愛いスタンプも

いっしょに贈ってくれた。

いつでも聞くよって結びの言葉があって

なんかほっとしていた。

いつだったか彼女が言ってくれた。

「真面目に生きたり、自分を責めたりしないように
わたしが近くにいるね」

これを聞いた時の感覚が戻ってきていた。

およそ1年程まえのことばかもしれない。

なんだろうこの感覚。

この言葉が届いた時、じんとした。

すこし酔った感じで夜風の冷たさが

心地いいと感じるようなそんな感覚。

そして喉がしょっぱくなりそうだった。

マジメに生きることを見張ってるのが

友達じゃないんだって改めて知って

その時心の傷がかさぶたになった。

今日もその言葉にひとり慰められていた。

友達の言葉って、直に自分宛てに

さしだされた言葉なのでじわんじわんと

効いてくる。

自分をいつも責めてしまうまえに

責めないようにみててあげるって

言われて。

今までわたしはそんなことを言ってもらった

ことがないことにあの時気づいたんだっけ。

それはその時ぜんぶ、わたしが言ってほしかった

集大成のようなことばたちだった。

言葉を生業にはしていない彼女の言葉は

いつもわたしを凪にいざなう。

若い時には決してわからない感傷。

それをいってくれた彼女も感情の細かな

層を重ねながら大人になった方だ。

経験ってすごいなって思った。

喜怒哀楽に忠実なその人の得も言われぬ

時間がその人にしか言えない言葉を

喋らせるのだと知った。

ひとって言葉かもしれないって思う。

燃え殻さんがつぶやいていたように

大人になってからの友達ってやっぱりいい。

友達の言葉って、いつもいつもポケットに

入っているわけじゃないのに。

必要な時にドラえもんのポケットの

ように必要な言葉がもうそこにある。

そうやって、ちょっとざらつくことの

あった日は、好きなポケットからとりだして

眺めていると、心に直に届いてくれる

そんな気がしている。


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