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瞬間の幸せを、つかの間の永遠にして。#創作大賞感想

幸せという言葉をどこか敬遠しながら暮らしてきた
ところがあった。

偽善じゃなくて、好きな人は幸せでいてほしい。
ほんとうにそう思う。
悩みなんかから解き放たれてけらけらと笑って
いてほしい。
身勝手だけどそう願ってる。

でもじぶんはどうだと訊ねてみれば、よくわからない。

幸せとは? えっと途方に暮れてます。
そうとしか答えられない気がしていた。

どれが幸せの形なのかわからないのだけど、近頃年齢を
たっぷりと重ねて思うのは、幸せは瞬間でいいのだと。

永遠の幸せなんてありえないし、ハードルが高すぎる。

いま、この瞬間に賭ければええんでなかろうかと
気づいてから、心が楽になった。

わたしは今回、北野赤いトマトさんの作品『夕凪のひと』を
拝読しながらそんなことを主人公の真琴さんと対話していた。

冒頭、主人公は知らない男とセックスをする。
それも、ほとんど忘れてしまっていた
自分の誕生日に。

42歳に真琴さんはなっていた。

トマトさんの描写がすこぶるリアルだった。

セックスという行為は乾いた感情にまみれるものだと
個人的には思っているが。

主人公の真琴さんの五感は冷めていた。

例えばこんなところ。

背後から「ツれないなあ。」と、聴こえたけれど無視をした。その「ツれないなあ。」の「ツ」が妙に癪に障る。

終わった後に、見ず知らずの男の発した「ッ」に気づく
ところ、冷めているけれどこの主人公はとても耳が鋭いと
感じてぞくぞくした。

つまりトマトさんの心の聴覚が凄い。


そして街の描写もほとんど感情を絡めない。
とても俯瞰した眼差しに満ちているのに、なぜか拝読していると
とてつもない抒情を感じる。


たとえばこんなふうに。


少し車窓を開けると、都会の空気がヒューッと申し訳なさそうに入ってきて、私の清潔な感情を蝕む。刹那、私の内省した部分が炙り出されたような気がした。

そして真琴さんは、まぎれもなく42歳なのだと自分に
言い聞かせながらモンブランを喰らう。

それも賞味期限のモンブランを「暴力的に」喰らうのだ。

なんだかとてもリアルだな。

賞味期限や「甘すぎる」モンブランにわが身を重ねながら
42歳を味わい始めた真琴さんに幸あれとわたしはなかば
過去のわたしを見るようにエールを贈っていた。

言い忘れていましたが真琴さんは「作家」です。
だからこの濃密な描写なのだと、腑に落ちた。
たぶん、カテゴライズはつまらないけれど純文学系の
作家かもしれないと思った。

黄昏たい時って猫じゃなくてもあるよな。
このままどこに行けばいいのかわからない時期が
人には誰にもあると思う。

主人公の真琴さんも、じぶんがそこにいたいと思える
場所を心から探していた。

「真琴、ただ生きたいように自由に生きればいいがやき。なんちゃあ心配しな。」

そんな言葉を「息を引き取った日に」夢の中で放っってくれた
叔母の夏子さんの死が突然小説のなかにインサートしてきて、
今まで流れていた風の匂いが変わる。

都会のほこりっぽい、それでも馴染みすぎた倦んだ香りのする
風の中に、潮の香りがまじりあう。

「大丈夫やき。私が見よっちゃる」

真琴さんを支え続ける夏子さんの言葉をお守りのように
心の中にしまいながら彼女は「夏子さんち」で
暮らし始める。

「私は、この眼に海が棲みついたみたいで嬉しいから、白内障の手術はせん。」

夏子さんを描写したこの言葉の選び方にも惹かれていた。

「眼に海が棲みついたみたいで嬉しいから」

住むじゃなくて棲む。

そして真琴さんも夏子さんの家に「棲む」ことを決心する。
いいなぁ、42歳の新しい門出だ!

「棲む」という意味はとても土着の匂いがする。動物が巣を作ってそこを棲家にするような土の匂い。その土地に根差し、文化を、歴史を尊重して生活した叔母のように、ここで──この海が見える家で生きたい、とその時に思った。

夏子さんの眼の中に「棲む」海と真琴さんが
この土地に「棲」みたいという想いが交差する。

わたしはそれは血縁のせいなのかその土地への信頼なのか。
心を預けている真琴さんの表情がどこか柔らかくなって
いるような気がした。


「大丈夫やき。私が見よっちゃる。」

真琴さんを支え続けるこの言葉に読者のわたしも
私が見よっちゃるって言いたくなる。

真琴さんはその街に暮らしながら友達と再会し
新しい出会いを得る。
それは乾いた心がつけいる隙間もないほどまぎれもない
真琴さんの恋だった。

その瞳は夕凪の海のようだった。静かで、穏やかで、優しい、夕凪が作り出す海。

読者であるわたしは、この小説の中にたくさんの
瞳に映る景色を目撃していたのだと思った。

それは真琴さんでもあり北野赤いトマトさんの眼差し
でもあると思う。

目を閉じてしまえば消えてしまう儚さを誰よりも知って
いるから、秒の動きさえ見逃さないように掬い取ろうと
する作家である真琴さんの心の視覚。

心に刻んでくる描写、そこに立ち会える幸福を読者として
感じていた。

そして月並みで身勝手だけれど真琴さんには、今あの
海の街で潮風を纏いながらふたりで笑っていてほしいの
だなと、

そして瞬間の幸せを、積み重ねていってくれたらいいと。

ひとりよがりな読者のわたしはそんなことを願っていた。




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