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好き。と、嫌い。だけで、生きてきたような気がする。

青白い洞窟、ロストリバーデルタの中で、リバースポーツをしている男の人の映像が瞬間映っていて、見入ってしまった。

スタンドアップボードの類なのかわからないのだけれど。夜の暗い洞窟の中で、LEDの灯りを張り巡らせたボードが、軌跡を川面に刻みながら色を描いてゆく。

突然、人の自在すぎる動きにあこがれることがあって、たぶんそういう時はじぶんのどこかに、はみだしたいエネルギーを感じてしまっているからかもしれない。

少し昔にみた<パルクール>の時もそうだった。


壁や止まってる車を足掛かりにして、次々に走り去り飛び去り、あっというまにビルからビルへと障害物を登り乗り越えてゆく。

なんていう疾走感なんだろうって。

いつまでも終わってほしくないな、このグルーヴ感って思ったことを憶えている。

こんなに速度と無縁に生きてきてしまったはずなのに、時々そんな時間が訪れる。

車窓から見える風景が、すこし遅く感じる時。

ついつい昨日のでたらめな言葉や行いなどが浮かんできたりして、心の底を覗いたような気分にくだってしまう。

でも、かなりなかば暴れ気味に、樹々や民家の風景が去ってゆくときは、どこかすこしだけこれから起こりうる、指先ひとつぶんぐらいの未来のことを思えたりする。

ひとって、

きっとどこかでじぶんのなかのリズムみたいなものと、その都度折り合いをつけて暮らしているものなのかもしれない。

映画見ていたり、

知らない人のはじまりの文章を目にしたり、

眼が逢ったりした時に反射的にあ、きらい、この人、すきっていう感覚は、

もしかしたら、

唯一。

じぶんのなかの速度メーターの針が、左右に振り切れている時なのかもしれないなって、思いつつ。

ほんと。

ずっと、なにもかも。

たぶん、好きとか嫌いとかだけで生きてきたような気がする。

我慢もしたけれど、でも人よりもずっとわがままに、

好きなのか嫌いなのか。

じぶんの心の声だけに耳を傾けてきたのかもしれない。

今でも、今、置かれている立場もリアルではとても微妙だけど。

そこでは、唯一好きと嫌いが許されない場所で。

かろうじて、嫌いなことも率先してやるようになったけれど。

嫌いですっていつか言うだろうかその場所でって夢想することがある。

たぶん、そこを去るときに思いっきり言う用意はしてあるけれど。

まだ辞めれないから、その言葉は保留のままだ。

そういう時なのだ、無性にパルクールに憧れるのは。

人がなにものにも邪魔されず、多少の孤独は引き受けながら。

それが、たぶん自由ってことなんだろうって思う。

さっき天気予報のアプリを見ていたら、わたしの住む町がいつもと違う空の色を映し出していた。

なんだろうって思ったら、ひらがなで<もや>って書いてあった。

そういうえば、いつだったか

あなたはいつも<もやってる>って、叱られたことを思い出す。

もやっていたのかって、ふりかえりながら、出窓のカーテンを少し開く。

<もや>の夕暮れにじぶんをそっとあてはめながら、いまいちばん速度と
遠いところにいるのを感じていた。

🏄 🏄 🏄 🏄 🏄 🏄 🏄 🏄 🏄 🏄 🏄 🏄 🏄 🏄

今夜も長い独り言にお付き合いいただきありがとうございました!

今日の

#聞きながら聞いてみた

は、

♬米津玄師さんの「メトロノーム」です。

どうぞお聞きくださいませ♬


     暮れてゆく 速度はひそかに 転がるように
     つぶやきが もやっているよ 嘘じゃないけど


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