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読む時間は、君がいつも遠くなる。

読む時間があの人を奪ってゆく。

栞は柚樹と待ち合わせをしていたとき
彼はひとりで本を読んで待っていた。

文庫本を持って、大きな丸い柱に腰を
預けるようにして
その本の活字を懸命に追っていた。

タクシー乗り場も近くて、待ち合わせの
定番のような場所だったのでとても
騒がしかったのだけれど、柚樹の佇んでいる
ところだけが、ぽっかりと静かだった。

栞は声を掛けるタイミングがわからないから
少しの間だけ歩みをゆっくりにして側まで
行くのを遅らせてみた。

彼の視線と本の間にあったのは何センチぐらい
だったろう。

ちょっと大袈裟に言うならそこにはれっきとした
ひとつに繋がれた世界が存在していた。

本のページと柚樹の蜜月。

彼の物語の世界をぶしつけに破ってしまう勇気が
なくて栞はそのままでいた。

読書する人のまわりは不思議な熱に
囲まれている気がする。

でもその熱にうっかり触れてしまったら、
とてつもなく寂しい炎に包まれる。

活字と視線の間には、たいてい専用のカギが
架かっているから必ず置き去りにされる。

栞は黙って視線を送る。

呆然としながら後からやってきた栞が
その世界の隙間へと踏み込めないことに
痛いほど気づく。

それは誰かの眼が見ている景色が肉眼を持って
じぶんで再現できないことをありのままに
知らせてくれている時なのだ。

あたりまえの事なのに。
そんなにどこまでいっても交わらないひとつの
世界を感じている時。

栞はせつないけれど、不安から遠ざけてくれる
矛盾の中に潜んでいるしあわせみたいなものを
いつも感じてしまう。

ひとつになれないこと。
すなわち
ひとりとひとりであること。

みんなひとりであると思うと、安堵する。

いつも胸の中にすっぽりとおさまってしまう
あの時間でさえ、栞はひとりだと感じてる。

だからかつて、この世から本なんかなくなれば
いいと、夢想した愚かな想いに栞は厳罰を
与えないといけないと思ってる。

あ、栞。

本から顔を上げた柚樹の声がタクシー乗り場の中に
消え入るように響いていた。

owari

📚    📚    📚

今回も小牧幸助さんの素敵な企画に参加しております。
「読む時間」からはじまる創作です。
さいごまでお読みいただきありがとうございます。
そろそろ秋になりそうですね🍂


    



 

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