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フェアじゃないねと、つぶやきながら。

咳をしても金魚。

あの人が残した短い詩のような
言葉が今も栞の耳の中に棲んでいる。

トオルの最後の言葉がそれだった。

あれからコッピーというちいさな魚を
飼っている。

キャンディーの瓶みたいなぽってりした
フタ付きの容器の中で、青い硝子の欠片と
いっしょに彼らは棲んでいる。

でもまだ名前も彼らにはないし
そのちいさな水の容器と栞との関係は
ちょっとまだ希薄なのだ。

おそるおそるな間柄。

三匹いっぺんだったもんだから
どんなふうに愛でていいのか
わからない。

それはつきなみだけど、トオルと
心之介と栞の関係にも似ていた。

でもすこしだけ贔屓にしている一匹が
いて、彼のからだは他の2匹よりとりわけ
ちいさいので、えさをあげるときも彼の口に
たくさんおさまることをついつい願ってしまう。

人は平等になんかできていない。

フェアじゃないよねっていいつつも平気で
フェアじゃないことをしてしまう人間なのだ
それはわたしだと栞はいつも心の中で
思ってる。

いつだったか読んでいた小説に熱帯魚を
飼うことを生活の優先順位のいちばんに
決めている男の人の話があった。

ワイルドディスカスという魚。

病的なまでに魚を偏愛している男の人の
後ろっ側には失ってしまった彼女への
追憶がぴちゃりと貼り付いているところが
せつなくて好きだった。

栞は時々その本のページをひらく。

電子とかじゃなくて紙で。

アナログな栞は紙が好きだ。

馴染んだ水を欲するディスカス。
新しい水に馴染めずに具合の悪くなる
ことを水当たりと呼ぶと書いてあった。

水当たり。

その水当たりを患ってしまった時の症状を読んでいたら
対処できなかった時のことを考えるとこわくて
まだわたしはコッピーの水替えをしていない。

トオルだって水当たりしたのだ。

ふいにバスルームで死んでしまうなんて
そうに違いないと、栞はじぶんに言い聞かせる。

慣れ親しんだ水を愛し、新しい水を
敬遠してしまう魚と人間の恋は似ていると
その作家は綴っていた。

もういちどその小説を読み返しながら
栞はコッピーの水を思う。

水を思いながらすこしだけ誰かのことを
想う。

トオルのことよりも少し先に心之介のことを
思う自分に気づいて栞は、ゆっくり深呼吸する。

しゃれになんない。

フローリングの部屋にひとりごとが響く。

あたらしい水のはずなのに
もうすでに知っている水のように
栞は夜も更けた雑踏を懐かしい
水の中のように泳いでいた3人のことを思いだす。

酔っぱらった栞は恋人同士が手をつなぐとき
みたいに手をつないでいた。

それがトオルだったのか心之介だったのか
さだかに思い出せない。

明日か明後日かもうそろそろコッピーたちの
水を着替えなくちゃいけない。

でもぐずぐずしている。
やらなければいけない時にぐずぐずするのは
栞のくせだ。

3匹のコッピー達が昨日までの水と上手に
さよならできるといいなぁと想いつつ。

キャンディーの瓶の中の青い硝子の欠片が
コッピーの尾びれに触れて
少し傾いたように見えた。

🐡  🐡  🐡

今回も素敵なこちらの企画に参加しています。
「咳をしても金魚」からはじまる小説を書いてみました。
お読みいただきましてありがとうございます。



 

春の夜 振り子がゆれる ピンボケの指
にじいろの 鱗のせいで うろこのせいで

いつも、笑える方向を目指しています! 面白いもの書いてゆきますね😊