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まるで、あの日のキリンのような人だった。

明けましたね。あけましておめでとうございます。

なかなか抱負がすぐに言葉にできない性質です。

誰かの抱負はすごく叶うといいねって思うのに

じぶんのことにベクトルが向きだすと、しり込み

してしまう。

この間、きりんが砂漠を歩いている姿をテレビで

みていた。

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彼らは水を求めてひたすらさまようのだけれど。

なんていうか、その歩き方にじ~んと来てしまった。

アナウンスでは結構歩き方は速いですねって言って

いるけれど、見ているとそう速くも思えなくて。

その速さじゃなくて、彼らきりんの佇まいに

なんか、それはなみだがでそうなぐらい美しかった。

でそうなぐらいの時のなみだだったので、

こらえました。

朝になる前の霧深い場所まで彼らきりんの親子

生きるための水を求めるために互い違いに並んで

歩いてゆく。

乾ききった過酷な現実。

雨の降らない砂漠で骨だけになった仲間の姿が

画面に映し出される。

その時わたしはジョージア・オキーフ

写真を思い出したりして、衝撃を和らげようと

抒情に走ろうとしていた。

彼らはその骨をみても悠然と歩いてゆく。

そして、やっとみつけた背の高い樹木の葉先に

滴っているひとしずくを、大切そうに

長い舌でうけとめていた。

そして、あるシーンでは唯一の水飲み場に

先客のけものたちがいるとわかると、

闘うそぶりもみせないまま、そのオアシスを

さらさらと後にする。

野生のドキュメンタリーって、なんだか闘って

なんぼだと思っていたので、ちょっと肩透かし

だった。

でもそこで闘わないことが、彼らの生きる道なんだろうな

とも思いつつ。

ただ、予想通りだったのはメスを獲得するときの交尾に

臨んだときの姿だ。

ジラフ模様の濃い雄のキリンが、さっきまでの水飲み場の

お先にどうぞの佇まいとは違う種であるかのように

エキサイトしていた。

これこれ。

わたしが想像の範囲で知っている野生達の習性って

これだった。

ただそれは見ちゃいけないものを見たみたいで

だからどうしたらいいのか、所在投げな気持ちになる。

立っている時と座っている時の身長の差は、

6メートルらしく。

眠るとき、脚を折りたたんで地面へとそろりと

近づく感じ。

それを見ていたらでっかいのにさ、静かな生き物

だねって思っただけで、なにかその所作のような

ものが胸にいちいち沁みて来た。

この映像からわたしはなにを感じたんだろう。

じぶんの水をわれさきに獲りに行かないその

姿なのか。

水にありつけなくても親子で互い違いに

歩いてゆく姿なのか。

去年のおわりあたりにある方のコメント欄で

すてきなことばをみつけた。

人生は手に入れたものだけは、残らない。
でも、与えたものだけは残る。


信頼しているある方のコメントの言葉だった。

あのきりんのような人が世の中にはいるんだ

なって。

わたしにかかわってくれたあの人やあの人などを

思い浮かべながらそのことばを読んでいた。

あのきりんのようなひとと出会えたことを、

わたしは誇りに思いながら歩いてゆこうと

思った。

これが今年のわたしの抱負です。

具体的ではないけれど、今はそんな気持ち。

🦒 🦒 🦒 🦒 🦒 🦒 🦒 🦒 🦒 🦒 

今年になった始まりの今日少しだけ

うれしいおしらせがありました。

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