身体を感じながら心で読んでいた。#パフォーマンス医学
生まれてはじめて、著者の方に読書感想文を
依頼して頂くという、しあわせな機会に
恵まれた。
以前ダ・ヴィンチ誌で書いていた時は、公募から
はじまった仕事だった。
本を一冊選んでそれにまつわるエッセイを書いて
いた。
その時はどなたからご指名がかかることは、
もちろんなかった。
なんていうか、細々とでも書いていたらこういう
幸せなことってあるんだなっていうぐらいに、
嬉しかった。
著者の二重作拓也先生とは、TwitterXで出会った。
かつてお世話になったこともある
「ほぼ日」でほぼ日の學校の先生でいらっしゃる
ことは、存じ上げていた。
「格闘技医学」を提唱されている二重作先生のポスト
される言葉に惹かれて、そしてそれはいつも心に直に
届いていた。
その思いを拙くとも伝えていくうちにみじかな往復書簡の
ようなやりとりが、わたしの日々のなかに息づいていた。
言葉はふしぎなもので、ミラーニューロンの
ように、じぶんのなかに取り込まれる。
乱暴な言葉でしか感情を処理できないひとたちと
つき合っている時は、感化されやすいわたしは
おなじくむきだしの感情と生きていた。
ささくれだった気持ちしかなかった時に
二重作先生の言葉に出会ってわたしはすこしずつ、
心の平穏をSNSの中でも取り戻していったような気が
する。
『可能性にアクセスするパフォーマンス医学』(星海社刊)
には、
ことが、説かれている。
先生が実践的に学び続けた医学的背景をもとにパフォーマンスとは
「生きる」ための「運動」であるとひも解いてくれている。
それは正解だけじゃなくそのプロセスであるうまくいかなかった
ことをもつまびらかにしながら。
わたしは今回思いがけない感想文を書かせて頂くという依頼を
受けてしばらく、ゆっくりと本書と対峙していた。
本書を開いている時は、ふしぎとふあんから逃れられた。
「読む」という「運動」を経て。
読み終えた時、じぶんはひとりではできていないとふと
思った。
かけがえのない思いがけない誰かと出会って来た、その証が
じぶんという人間なのかもしれないとも思い至っていた。
わたしのなかにも、あの人やあの人がいるんだと
そんなふうな読後感に満ちていた。
そして感想文を書き上げ、二重作拓也先生のnoteで紹介して
頂いた。
本を読むって、こんなにも心の中に灯りが点る
ことなんだなって、思っていた。
それは、読むという「運動」がわたしのリアルに
アクセスしてくれたからなのだと思う。
著者の方のnoteにわたしのことばがあることが
なんだかもうひとつのわたしの居場所の
ようでいいなぁと思う。
先生から頂いた宝物のポスト貼っておきます。
この機会を与えてくださったこと心よりお礼
申し上げます。
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