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短歌で傷つけてしまったあの日の父へ。

父から携帯に電話がかかってきた。

絵本をこの間送った時のありがとうの
電話だった。

20分以上彼と話しながら今回は、父は
傷ついていないのだな、
よかったなって正直思った。

ずっと昔に短歌集が出た時、父と娘は
ほとんど交戦状態で。

父に歌集がみつかってしまって、和歌山の
田舎の書店で買ってくれたのだけど。

わたしの書いた短歌にショックを受けて
彼が悲しんでいるのがすごくわかった。

手紙をもらった。

短歌の中の主人公はわたしではなく
架空の人間だと思って欲しかったのだけど
父には到底そう思えなかったみたいで。

なんどもごめんねを言われて。
そのことでわたしは苦しかった。

それはわたしもずるかったから。

リベンジというワードもでてくるその歌集は
主人公はわたしじゃないと言いながら。

そのなかのわたしは、適当にわたしでも
あった。

あの頃言葉は、刺すものだと思っていた。

嫌な言葉で言われたら必ずその嫌な言葉で
やり返す。

それは上司であれ友人であれ、知人であれ
編集者であれ。

喧嘩腰な日々を過ごしていた。

世間に腹が立っていたし。世間に腹を立ててる
じぶんも嫌いだった。

いまでいうク○リプみたいなものと何ら
変わらなかった言葉を、むりくり短歌の
カタチにしていたきらいもある。

今でこそ。
言葉に復讐を肩代わりさせてはいけないとか
えらそうな想いを綴ったりすることは
あったけど。

今もそれをしそうになるけれど。

あの頃、いけしゃあしゃあとこれ短歌ですから
という免罪符を手にしたわたしは、言葉を
盾にしながらリベンジをしていたのだと思う。

思うのだけれど。
ぜんぶがぜんぶ、腹いせで書いたわけでもなかった。

父がいくつかの短歌を引いて手紙をくれた。

メランコリーがブランコ乗ってる焦げよ焦げよ
あの闇に届くまで

闇にいるともがきたくなる自分も他人もころして
しまいたくなる

黄昏は朝でもやってくる園児が唄うふぞろいの声
聞く時も

ポケットに住むビスケッツやがてこっぱみじんに
なること知ってるさ

これらの歌たちが父の罪悪感を掘り起こしてしまった
みたいで。

ちいさいあなたを傷つけて申し訳なかった。
取り返しのつかない子供時代を過ごさせてしまった。
とくにビスケッツの歌は、ビスケッツを父はひとつの
家族だととらえていたみたいで。

それをばらばらにしてしまったのはパパのせいだと
そういう謝罪の手紙をもらった。

その時、わたしはその解釈に驚いたのだ。

あのビスケッツの歌は、実話で。
よそのお家に遊びに行った時その場で食べられない
わたしはすぐポケットに入れるくせがあって。

それを忘れていたわたしはポケットの中で
袋の中でこなごなになったその欠片をみつけて
ぽろぽろになった元ビスケッツをぽそぽそと
リビングで食べたりしていた。

たったそれだけだったのに、父の解釈に驚きながらも
そのことを違うよって言ったけど。

父はずっとそう信じているみたいだった。

そして父から謝罪の言葉をもらいすぎたおつりに
気づくかのように受け取った。

ずるいんだよな、ほんとうに。

わかいってずるくて嫌だなって思う。

だからわたしが本を共著をふくめて、それを父に送る時。

一瞬苦い思い出がふっと顔を出す。

今回はイシノアサミさんとご一緒した絵本だった。

携帯で感想を語ってくれた。

恥ずかしいので感想はここに書けないけれど。

書きたくて書いたものが、結果父の気持ちに
届いたみたいでうれしかった。

わたしも変わったよなって思う。
あんなにやたらに反抗だけしていた
いけすかないにんげんだったけど。

今は父の言葉がすっと胸に届いてくる感じが
ある。

応援してくれていることがひしひしと伝わった。

願わくばこのnoteをみていませんように。

はずいやん。

父と娘ってなんかおかしな関係性の歴史を
たどるやん。

わたしもじぶんにどの面さげて言ってんだって
重々ツッコんでおく。

そしてさいごに。

電話を切った後、その余白の中に絵本の中で
書いたこの言葉が浮かんでいた。



しっかり売りなはれって、父にくぎをさされた
ので。

ここに絵本ショップ記しておきます。
イシノアサミさんとわたしの絵本読んでみたいな
って方がいらっしゃいましたら、⇩こちらに
アクセスしていただいたらうれしゅうございます。

🔷絵本『どこかでだれかが』のショップ🔷

どうぞよろしくお願いいたします。

※note辞めたみたいに更新まで日が空きましたが、コツコツ書いてゆきたいのでこれからもまたどうぞよろしくお願いいたします。




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