川井信良@株式会社文伸

川井信良 昭和24年東京・千駄ヶ谷生まれ。現在、印刷・出版・動画・周年事業・イベント企画運営などを通じて「人に伝える・人とつながる」ことを業務とする、三鷹拠点の株式会社文伸の代表取締役。また、日本の自費出版文化を支えるNPO法人日本自費出版ネットワークの共同代表の一人。

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川井信良 昭和24年東京・千駄ヶ谷生まれ。現在、印刷・出版・動画・周年事業・イベント企画運営などを通じて「人に伝える・人とつながる」ことを業務とする、三鷹拠点の株式会社文伸の代表取締役。また、日本の自費出版文化を支えるNPO法人日本自費出版ネットワークの共同代表の一人。

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    • 井の頭公園もきょろきょろ

      メールマガジン「ぶんしん出版+ことこと舎便り」に掲載している株式会社 文伸 川井信良会長のコラムです。

    • 周年事業奮闘記

      (株)文伸の自社の60周年記念事業奮闘記です。 周年事業の文伸 https://www.bun-shin.co.jp/syunen/

    • 仕事もきょろきょろ

      自費出版専門工房「ことこと舎」の代表、株式会社 文伸 川井信良会長の出版など仕事にまつわるコラムです。

    • 『井の頭公園100年写真集』ハンディー版の楽屋裏

      2022年3月発行予定の『井の頭公園100年写真集』(ぶんしん出版)ハンディー版制作の楽屋裏をお伝えします。 【特設サイト】ぶんしん出版の井の頭100年本 https://www.bun-shin.co.jp/inokashira100/

    最近の記事

    井の頭公園の散歩(20)アジアゾウはな子の死亡

     井の頭自然文化園の一番の人気者といえば、アジアゾウの「はな子」でした。ご存知のように、はな子は2016年(平成28年)5月26日に69歳で死亡しました。死因は「継続的な横臥で肺のうっ血を引き起こしたことによる呼吸不全」と発表されています。  ゾウは横向きに倒れたままにしておくと内臓を圧迫して死亡してしまうということです。そのため、井の頭自然文化園では上野動物園と多摩動物公園と連携を取って、もしそうなった場合は担当者が駆けつけてロープなどにより起立させることになっていました

      • 井の頭公園の散歩(19)井の頭自然文化園開園に協力した小学5年生たち

         井の頭自然文化園は、戦時中にもかかわらずなんとか開園にこぎ着けましたが、その開園に小学5年生の活躍がありました。  須田孫七さん(昭和6年生まれ/故人)は、病弱だった幼少期を過ごし、「その後、病気も徐々に治まり、小学生の頃には石神井の昆虫学者加藤正世先生が開いている昆虫の同好会に入っていました。そのとき聞いたのが、今度開園する井の頭自然文化園の中に資料館が出来るという話です。  実は、加藤先生は東京府から資料館の展示を任されていたのです。自然文化園の開園は、太平洋戦争が

        • 井の頭公園の散歩(18)井の頭自然文化園の開園

          「井の頭公園の散歩」も終わりに近づいてきましたが、普段の散歩ルートから外れている有料の井の頭自然文化園(以下文化園)にも足を延ばしましょう。有料といっても65歳以上は200円、年間パスポート800円はうれしい入場料です(一般はそれぞれその倍、小学生は無料、都内在住・在学の中学生なら無料)。ご存知のように文化園は動物園(本園)と水生物園(分園)に分かれていますが、先輩格は分園の方です。  1934年(昭和9年)5月5日に、中之島にある現在の分園の場所に東京市井の頭恩賜公園動物

          • 井の頭公園の散歩(17)400前の将軍家光の狩猟で鹿43頭

             前号の妄想の余韻にひたりながらお茶の水橋を渡り、明るく開けた右側斜面に梅林がある坂道を上る。この梅林、「昭和13年(1938年)春に有志の寄付」によって植えられたもので、当時から残っている梅は85年以上の古木であります。  坂道を上がったところ一帯は御殿山と呼ばれていますが、その理由はこのあたり一帯が徳川幕府の狩猟場であり、狩りをする将軍のために「仮の宿所」があったことから御殿山と名付けられたと言われています。 『徳川実紀』(徳川幕府の公式史書)の寛永二年(1625年)

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            井の頭公園の散歩(16)もしかしたらもしかするかもという妄想

             井の頭池一周も大詰めになりました。戦中まで井の頭池にせり出た2軒の茶店があったところを後にして、藤棚を通り過ぎ、お茶の水橋まで来ました。この橋は開園当時の面影を残している数少ないところ。伝説で徳川家康が鷹狩のときお茶の水として使用したところから「お茶の水」と呼ばれている代表的な湧水の場所。こんこんと勢いよく湧き出る水は井の頭公園最大の観光ポイントであっただろうと想像します。  現在は、その「お茶の水」の後ろにマンションが3棟(遠くからは1棟に見えますが3棟です)建っていま

            井の頭公園の散歩(15)池畔にせり出した茶店

             井の頭池に架かる七井橋を横に見ながら西に向かうと、左手奥に藤棚、その右手にトイレが見えてきますが、戦前その少し手前に、池畔にせり出した2軒の茶店がありました。茶店の存在が明らかになったのは、徳田東助さん(1905年生/故人)が撮影したネガフィルムやプリントを長男の徳田薫さんが大切に保管していたからです。  2014年(平成26年)暮れに経堂にお住いの薫さんから電話が入り、「父親の写真を整理していたら井の頭公園の古い写真が出てきた。いるのならあげるよ」と言われて、早速伺って拝

            井の頭公園の散歩(14)水を撒いたら道路がピンク色に染まったの

             井の頭公園ぶらぶら散歩も4/5ほどきました。振り返りますと、スタートの野球場から⇒西園⇒ほたる橋⇒御殿山⇒井の頭弁財天⇒井の頭池の南側を東方向にむかい⇒ひょうたん橋から池の南側を西方向にむかい⇒七井橋まで来たところです。その七井橋のそばに3軒の茶店があります。  東側に「水月」、西側に「明水亭」と「富士屋」があります。今回は「水月」の女将、冨岡俊子さんから聞いた話です。 「(前略)びっくりした思い出があるの。暑い日だったと思うわ、当時は前の道が舗装されていないでしょう、土ぼ

            井の頭公園の散歩(13)本町コミセンで井の頭公園の歩みを話します(イベントは終了しています)

             武蔵野市の本町コミュニティセンター(吉祥寺の「ヨドバシ吉祥寺」の裏です/http://honcho-c.sakura.ne.jp/)で井の頭公園の歩みを話す講演を引き受けました。題して『貴重な写真でたどる井の頭公園100余年の歩み』です。コロナの影響もあり久々の講演となります。    『井の頭公園100年写真集 改訂版』と『井の頭公園いきもの図鑑 改訂版』の発売のタイミングなので、新史料紹介や自然環境の変化も伝えたいと考えています。  前半後半の2回連続講座ですが、片方しか

            井の頭公園の散歩(12)井の頭公園の開園は地元の大きな支援があった

             5月1日の朝日新聞むさしの版(江戸川区民からも読んだとの連絡があったので多分東京全域に配信された模様)に、「井の頭公園開園時の新史料」「整備に地元の若い力結集」「ガリ版の役割表■おでんで乾杯」の見出しが躍った記事が載りました。  井の頭恩賜公園は今から105年前に開園しましたが、開園に向けての整備を三鷹村や武蔵野村の青年たちの力を借りたという東京市の記述がありました。それを裏付ける「大正六年 井のかしら公園工事帳」や、開園前日の1917年(大正6年)4月30日に地元有志によ

            井の頭公園の散歩(11)東京市初のプールは池の中の天然プール

             井の頭池をぐるっと回るのがいつもの休日散策コース。池の南側を東に向かって池端のひょうたん橋を渡り池の北側に回って行くのですが、この池の東端に、今から101年前の1921年(大正10年)に東京市の初めてのプールができました。  当時の新聞には、渋沢栄一男爵や後藤新平市長が開場式に来たことが記されています。井の頭池の一部を囲った天然プールですが、プール開場自体が画期的だったのでしょう。まったく痕跡は残っていませんが、水泳場があったことを示し想像させるものが残っています。井の頭池

            井の頭公園の散歩(10)井の頭池が少し濁ってきた

             井の頭池が少し濁ってきています。1月には底まで見えていたのに、2月3月と透明度が落ちてきています。その理由を、井の頭かんさつ会代表の田中利秋さんに聞きましたら「池の水温が上がり、さらに日照も増えたので、水中の植物プランクトンが増えているからです。それと、冬の透明度が高かった時に地下水供給量を減らしたのをまだ戻していないようですから、池の水の入れ替わりがプランクトンの発生に追いついていないという理由もあると思います」と教えてくれました。  植物プランクトンが居座ることができな

            井の頭公園の散歩(9)「エッ、これ井の頭池!」と、びっくりする写真

             弁天池の続きですが、先月(2022年1月)家猫のメイの爪が伸びすぎ、我が家では対応できないと判断し、日曜の朝一番の予約をして動物病院に行ったところ、麻酔をするので1時間半ほどかかるとのことで、目の前の井の頭公園を散歩することにしました。  いつもは午後の散歩ですが、朝方はさすがに気分がいいですね。井の頭弁財天に麻酔で事故が起こらないようお願いした後、弁天橋から池を覗いたら、「アッ!」という声が出た。小魚が100匹ほど団体であっちに行ったりこっちに来たりしているのです。池の

            井の頭公園の散歩(8)井の頭池の水草攻防と泳ぎとモーターボート

             さて、井の頭弁財天のお参りを終えると、井の頭池が気になる。まず弁天橋から弁天堂側を覗くのだが、この冬場は本当にきれいになっている。ただ、復活した絶滅危惧種の水草「ツツイトモ」に対し、外来種の水草「コカナダモ」が勢力を拡大して生育を脅かしていることが、東京都西部公園緑地事務所の調査で分かった。自然界は気が抜けないのだ。  ここに来ると思いだすのは、元井之頭町会会長の岩崎菊男さんの少年時代の話だ。岩崎さんによれば、「井の頭池はきれいでしたよ、冷たくてね、藻が多くてね、下までは

            周年事業奮戦記「その⑦ 記念旅行は伊豆大島に決定」

             60周年記念事業が4つのチーム(祝賀会、周年誌、記念旅行、動画制作)に分かれて進行している。そのうちの一つ記念旅行先が伊豆大島に決まった。正直なところコロナ禍もあり売上が伸び悩んでいるけど、こういう時こそ全社一丸となって荒波を乗り越えていこうと、正に太平洋の荒波を乗り越える旅行に決まった。  往きは竹芝桟橋を23:00に出港し大島には翌日5:00入港という大型船を利用。着いた一日は、椿を植える60周年記念植樹やあれもこれもと楽しんで久々の夜の宴会を行い、翌日は高速船で帰ると

            井の頭公園の散歩(7)井の頭弁財天周辺は江戸の香りがする

             江戸時代に井の頭が人気スポットになったのは、風光明媚はもちろんだが、井の頭池が神田上水の水源であることと、その水源を守る井の頭弁財天があったからだ。  弁財天は水の神様であり、芸術や学問の全般の神様であり、「農業や穀物の神様である宇賀神と集合して五穀豊穣の神様」でもあり、財産を授ける神様である(天台宗 井の頭弁財天HP)という実に多方面にわたる神様なのだ。そのため、江戸時代に建立された灯篭や道しるべなどには、御利益をあずかりたい方々や感謝のしるしとして、寄進者の名が残されて

            仕事もきょろきょろ(14) 「少々肩の荷が軽くなったようでさらに『如遊』に磨きをかける」

             役員交代があり、 2021年10月1日から株式会社文伸の代表取締役社長から代表取締役会長と役職が変わりました。代表取締役としての責任は変わらないのですが、少しだけ肩の荷が軽くなったような感じがしています。  そんな時に落語家の柳家小三治師匠の訃報が伝えられました。10月7日に亡くなられたそうですが、私はその2週間前の9月23日に三鷹市公会堂で噺を聞いています。その日は緞帳が上がると、すでにご本人が椅子に座っており、もう正座ができない状態なのかと驚き、さらにまくらで、東京や