川井信良@株式会社文伸

川井信良 昭和24年東京・千駄ヶ谷生まれ。現在、印刷・出版・動画・周年事業・イベント企…

川井信良@株式会社文伸

川井信良 昭和24年東京・千駄ヶ谷生まれ。現在、印刷・出版・動画・周年事業・イベント企画運営などを通じて「人に伝える・人とつながる」ことを業務とする、三鷹拠点の株式会社文伸の代表取締役。また、日本の自費出版文化を支えるNPO法人日本自費出版ネットワークの共同代表の一人。

マガジン

  • 自費出版の周辺

    自費出版や印刷の周辺の話です。 川井信良 昭和24年東京・千駄ヶ谷生まれ。現在、印刷・出版・動画・周年事業・イベント企画運営などを通じて「人に伝える・人とつながる」ことを業務とする、三鷹拠点の株式会社文伸の代表取締役。また、日本の自費出版文化を支えるNPO法人日本自費出版ネットワークの共同代表の一人。

  • 「道草」シリーズ

    「井の頭公園の散歩」シリーズが23回で終わり、新しいシリーズがスタートします。と言ったものの、コーヒーブレイク。次のシリーズまでちょっと道草をします。 <担当>川井信良@株式会社文伸 昭和24年東京・千駄ヶ谷生まれ。現在、印刷・出版・動画・周年事業・イベント企画運営などを通じて「人に伝える・人とつながる」ことを業務とする、三鷹拠点の株式会社文伸の代表取締役。また、日本の自費出版文化を支えるNPO法人日本自費出版ネットワークの共同代表の一人。

  • 『井の頭公園100年写真集』ハンディー版の楽屋裏

    2022年3月発行・2024年4月初版二刷『井の頭公園100年写真集』(ぶんしん出版)ハンディー版制作の楽屋裏をお伝えします。 【特設サイト】ぶんしん出版の井の頭100年本 https://www.bun-shin.co.jp/inokashira100/ 【ぶんしん出版BASEショップ】https://bunshin.base.shop/items/59900646 川井信良@株式会社文伸 昭和24年東京・千駄ヶ谷生まれ。現在、印刷・出版・動画・周年事業・イベント企画運営などを通じて「人に伝える・人とつながる」ことを業務とする、三鷹拠点の株式会社文伸の代表取締役。また、日本の自費出版文化を支えるNPO法人日本自費出版ネットワークの共同代表の一人。

  • 井の頭公園もきょろきょろ

    メールマガジン「ぶんしん出版+ことこと舎便り」に掲載している株式会社 文伸 川井信良会長のコラムです。 <担当>川井信良@株式会社文伸 昭和24年東京・千駄ヶ谷生まれ。現在、印刷・出版・動画・周年事業・イベント企画運営などを通じて「人に伝える・人とつながる」ことを業務とする、三鷹拠点の株式会社文伸の代表取締役。また、日本の自費出版文化を支えるNPO法人日本自費出版ネットワークの共同代表の一人。

  • 仕事もきょろきょろ

    自費出版専門工房ことこと舎の代表、株式会社 文伸 川井信良会長の出版など仕事にまつわるコラムです。 <担当>川井信良@株式会社文伸 昭和24年東京・千駄ヶ谷生まれ。現在、印刷・出版・動画・周年事業・イベント企画運営などを通じて「人に伝える・人とつながる」ことを業務とする、三鷹拠点の株式会社文伸の代表取締役。また、日本の自費出版文化を支えるNPO法人日本自費出版ネットワークの共同代表の一人。

最近の記事

自費出版の周辺(その2)自費出版黎明よれよれ期

 今から40数年前、吉祥寺の武蔵野八幡宮の先にあった12坪足らずの古い店舗を購入した。借金返済のため千駄ヶ谷の家を売り、三鷹の店舗付きアパートに家族が転がるように引越しをして印刷屋を始めてから18年目のこと。狭いながらも初めての自社物件購入を当時の社長(兄捷一郎)ともども喜び、文伸印刷所吉祥寺支店と位置づけ「自費出版の文伸」と書いた大きな看板を掲げた。  実は数年前から印刷技術の進歩により小ロット印刷が簡易にできるようになり、少部数が多い自費出版仕事をぼちぼちとやっていたころ

    • 自費出版の周辺(その1)今年は邦文写真植字機発明100年の年

       写真植字(以後「写植」)を知っていますか。今年は邦文写真植字機発明100周年の年にあたります。  写植は文字組版方式の一つで、1970年代から80年代の印刷文化を支えた革命的文字組版システムでした。写植の原理をひとことで言うと、文字盤から一文字ずつ撮影して、その撮影された印画紙を現像して版下にするという方式です。正に写真方式の植字なのです。文字の大小はレンズを代えることで調節ができるため、同じ書体の大小なら1枚の文字盤があれば済んでしまいます。  それまで主力だった活版活字

      • 道草(12)「ミニコミ新聞にハマルの巻」その6

         ミニコミ新聞『みたかきいたか』に「みたかの顔」というコーナーがある。三鷹に関わる有名無名の人を紹介するコーナーで、創刊準備号から休刊になるまで75名が登場した。    そのトップバッターは、創刊準備号の0号(1979年〈昭和54〉11月20日)に登場したおでん屋「三恵」の店主今聡子さんである。「三恵」は三鷹の連雀通りとむらさき橋通りが交差する南浦交差点から西へ50m先の路地を右(北)に20mほど入った所にあった8坪ほどの店である。今聡子さんは1907年(明治40年)青森県の

        • 道草(11)「ミニコミ新聞にハマルの巻」その5

          『みたかきいたか』の最終8面も手書きのごちゃまぜ感が面白いと人気があった。書店や楽器店、映画館などの定番情報とその他諸々情報の紙面である。  ちなみに41年前の1983年(昭和58年)3月号の8面を紹介すると、三鷹駅南口前にあった書店、第九書房の石田社長報告による「我が町のベストセラー5」。その時の1位から3位は、『佐川君からの手紙』唐十郎(河出書房新社/980円)、『気くばりのすすめ』鈴木健二(講談社/980円)、『積木くずし』穂積隆信(桐原書店/980円)となっている。『

        自費出版の周辺(その2)自費出版黎明よれよれ期

        マガジン

        • 自費出版の周辺
          2本
        • 「道草」シリーズ
          12本
        • 『井の頭公園100年写真集』ハンディー版の楽屋裏
          10本
        • 井の頭公園もきょろきょろ
          23本
        • 仕事もきょろきょろ
          14本

        記事

          道草(10)「ミニコミ新聞にハマルの巻」その4

           三鷹の上連雀5丁目で行われていた『曙さくら祭』とは一体なぜ生まれたのか。初めて訪れた人や、たまたま遭遇した人は「なんだなんだこれは」ということになる。当然そう思われることを予測していたのか、桜の木々に『曙桜物語』と題して12灯のぼんぼりにその歩みをひらひらと吊るしていた。  そのぼんぼり物語は、「戦争中、三鷹がまだ麦畑とけやきの林ばかりだった頃、この住宅は出来た」で始まった。続いて、住宅は10列ほどの長屋で構成され、それぞれ井戸があり、8軒が共同で使用し管理をしていたとあ

          道草(10)「ミニコミ新聞にハマルの巻」その4

          道草(9)「ミニコミ新聞にハマルの巻」その3

           今から44年前「わが町三鷹を平和でおもしろい町に」をキャッチフレーズに創刊された『みたかきいたか』は1979年(昭和54年)11月20日に0号、80年(昭和55年)2月20日に1号が発行された。  A4判8頁のタイプ活字と手書きが混ざったミニコミであった。実は編集スタッフの中で、活字でないと駄目だという活字派と手書きの自由さは捨てがたいという手書き派に別れてしまい、結局混在した状態で船出をした。  結局活字派は、なんでもありの編集方針に嫌気がさしたのか1号が発行された時点

          道草(9)「ミニコミ新聞にハマルの巻」その3

          道草(8)「ミニコミ新聞にハマルの巻」その2

           手書き自由形レイアウトの三鷹青年団体連絡協議会(青団連)の機関紙『またんぴ』は、各青年グループに配布されて青団連のPR紙の役割を担っていった。  その効果は1974年(昭和49年)から始まった「みたか青年文化祭」の開催や「お月見キャンプ」「集中登山」などで、各グループから青年たちが集まって交流するようになった。  特に、先祖代々三鷹に暮らしている地元青年団の青年たちと、地方から三鷹に流入してきた青年たちの交流ができたことが大きかった。青年団、勤労青年学級、アマチュア無線の会

          道草(8)「ミニコミ新聞にハマルの巻」その2

          道草(7)「ミニコミ新聞にハマルの巻」その1

           振り返ると、あちらこちらのきょろきょろ人生だった。どうやら好奇心旺盛で、かつ飽きっぽいという性格のまま私の一生は終わりそうだ。実は飽きなく続いているものもあるが、人にとても言えるようなものではないので省略。さて、そういう飽きっぽい経験の中でも、後々大きな影響を与えたものもある。ミニコミ新聞の発行である。  これにはきっかけがある。20歳のとき、二浪しても志望校に入れなかったため、これ以上家族に迷惑を掛けられないと断念し、家業となっていた印刷屋に勤めることになった。家族労働

          道草(7)「ミニコミ新聞にハマルの巻」その1

          道草(6)謄写版印刷(ガリ版)に挑戦 その2

           当社の創立60周年誌が完成し、そのお届けに際しての挨拶文をガリ版(謄写版印刷)で印刷することになりました。創業当時を偲ぶという趣向です。ただ、機材がなくいろいろ聞いて、たどり着いたのが滋賀県東近江市の「ガリ版伝承館」内で活動している「新ガリ版ネットワーク」でした。このグループはガリ版講習会や機材レンタルを行っていてガリ版の普及活動をしています。というわけで早速1か月間のレンタルを申し込みました。  9月初旬にガリ版道具一式が大きな段ボール箱で届きました。懐かしい道具類が出

          道草(6)謄写版印刷(ガリ版)に挑戦 その2

          道草(5)謄写版印刷(ガリ版)に挑戦 その1

           当社の創立60周年記念誌がもう少しで完成します。その挨拶文をガリ版で印刷することになりました。創立当時を偲ぶという趣向です。「面白いアイデアだ」と思ったのですが、すでに当社には道具はありません。そこで、以前ガリ版機材を販売していた昭和謄写堂(現・ショーワ)さんに聞いてみますと、ここでも全部は揃わないことが分かりました。そこで、ガリ版文化に詳しい滋賀県彦根のサンライズ出版の岩根順子さんに相談したところ、滋賀東近江の「ガリ版伝承館」を紹介してくれました。岩根さんの会社もガリ版か

          道草(5)謄写版印刷(ガリ版)に挑戦 その1

          道草(4)自転車旅行の「スゲー」の巻 その2

           まさかの春の雪だった。寒かったけど、雪景色の静かな西湖湖畔はとてもきれいだった。西湖北側の山のへりに根場(ねんば)という集落があり、乳牛を飼っていることを事前に調べておいた。その牛乳を手に入れようと、飯盒を持って集落に入り、声をかけられそうな家を探していたら、鼻水を垂らした男の子がいたので「牛乳を分けて欲しい」と頼んだら、飯盒に半分入れてくれた。100円だった。早速朝食代わりに温めて飲んだら、温かく「スゲーうまい」となった。  少し落ちついたところで、じゃあ帰るかということ

          道草(4)自転車旅行の「スゲー」の巻 その2

          道草(3)自転車旅行の「スゲー」の巻 その1

           中学3年生の終わりの春休みにMちゃんとF雄を誘い、中学卒業記念三浦半島一周自転車旅行を打ち上げた。ユースホステル利用の二泊三日の旅行だ。自転車で三鷹から逗子経由で三浦半島を一周して三鷹に戻る計画は、15歳の少年たちにとっては結構な冒険旅行だった。往きは向かい風に苦しめられ、帰りは国道246号線のアップダウンでへとへとになったけど、城ヶ島から見た天の川に3人とも「スゲー」となった。  1年後の高校1年生の終わりの春休みは、F雄と富士五湖をめぐる自転車旅行を計画した。いつもの

          道草(3)自転車旅行の「スゲー」の巻 その1

          道草(2)図書券でタクシー代を払うの巻 

          今号も道草をします。今回は梅雨時のど酔っ払いの話。 吉祥寺にあったフランス料理のオーナーシェフとよく呑んだ。仕事を頂いているお客さんであるが、気が合った。彼の師匠は帝国ホテルの料理長「ムッシュ村上」。昭和の東京オリンピックで、女子選手村の総料理長としてコックのリーダーを務めた人物で、私も一緒に食事をする機会があった。その時の金言は忘れない。「川井さん、人生の中で『いまさら』ということはなしにしよう。何事も遅すぎることはないのです」。  そんな師匠がいたためか、彼もしっかり

          道草(2)図書券でタクシー代を払うの巻 

          道草(1)昭和謄写堂主催「孔版賀状交換会」

           「井の頭公園の散歩」シリーズが23回で終わり、新しいシリーズがスタートします。と言ったものの、コーヒーブレイク。次のシリーズまでちょっと道草をします。  昨年2月に長兄・捷一郎が亡くなった。本人もまさかの急な死であったためか、身の回りの整理はあまりしていなかったようだ。その後、つれあいの義姉は、やっと立ち直るように兄貴が残していったものを整理し始めた。そんな整理備品で不明なものや書籍や印刷に関わるものが私に持ち込まれるのだが、これがいろいろお宝なのである。  先週届いた

          道草(1)昭和謄写堂主催「孔版賀状交換会」

          井の頭公園の散歩(23)(最終回)『お葉見』ができる、とっておきの季節

           さて、4月の井の頭公園の素晴らしさをお伝えして「井の頭公園の散歩」シリーズを終わります。  井の頭公園の桜の花びらが空に舞い上がるころ、木々が一斉に芽吹きます。私は、公園が一番美しくなる季節と思っています。特に芽吹いた若葉を愛でることを、私はお花見に対して「お葉見(おはみ)」と呼んでいます。  シリーズ最終回ですから、井の頭公園のお薦め「お葉見」スポットを一つ紹介します。御殿山を通る玉川上水のほとりに松本訓導殉難碑がありますが、その西側です。昼間もいいのですが、夜、街灯

          井の頭公園の散歩(23)(最終回)『お葉見』ができる、とっておきの季節

          井の頭公園の散歩(22)「オオタカがいる井の頭公園」

          さて、井の頭公園の散歩もそろそろ終わりに近づいてきましたが、先日オオタカの気になる研究報告がありましたのでお知らせします。オオタカは井の頭公園にも姿を見せるだけに、興味ある研究テーマでした。  研究報告のタイトルは、「営巣林への立入制限は都市近郊に生息するオオタカの繁殖成功を促進する」 (日本鳥学会誌, 71巻 2号 p.185-191. 板谷 浩男, 夏川 遼生, 守屋 年史)です。  人の接近制限がある場所とない場所で繁殖率が違うのかという調査です。三鷹市・武蔵野市を含

          井の頭公園の散歩(22)「オオタカがいる井の頭公園」