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道草(2)図書券でタクシー代を払うの巻 

今号も道草をします。今回は梅雨時のど酔っ払いの話。

吉祥寺にあったフランス料理のオーナーシェフとよく呑んだ。仕事を頂いているお客さんであるが、気が合った。彼の師匠は帝国ホテルの料理長「ムッシュ村上」。昭和の東京オリンピックで、女子選手村の総料理長としてコックのリーダーを務めた人物で、私も一緒に食事をする機会があった。その時の金言は忘れない。「川井さん、人生の中で『いまさら』ということはなしにしよう。何事も遅すぎることはないのです」。

 そんな師匠がいたためか、彼もしっかりしたシェフだった。そして共に気の置けない酒好きの友人であった。よく呑みに行ったのは吉祥寺の「のろ」で、私の好きな「自然郷」という福島県矢吹町の清酒が置いてあった。その一升瓶をボトル購入して呑むのである。その日は1時間半ほどで肴をつまみながら一升四合ほど呑んだあと、真向かいの焼き鳥屋でもう一杯呑んで別れた。彼は愛車の中でぶっ倒れたらしいが、私はすいすいと自転車で井の頭通りのセンターラインの上をはみ出さずに走ったりして、意気揚々と帰宅して布団の中に滑り込んだ。

 ところが、気持ちよく爆睡しているところに大量の水をかけられた。「なんだなんだ」と目を覚ましたところ、なんか変だ、自宅ではないことに気がついた。見知らぬマンション裏手の空き地にぶっ倒れて土砂降りの雨に打たれていた。「まずい帰らなくては」と自転車とカバンがあるのを忘れてふらふらと井の頭通りに出た。手をあげタクシーを拾った。ずぶ濡れなのによく止まってくれた。土砂降りでよく見えなかったのだろう。運転手さんありがとう。

 車内でしずくを垂らしながら寒さに震えていたが、なんとか家のそばに着いた。震えながら「あ~がとうございす。いいいくらですか」と聞きながら財布を開けたらお金が入っていなかった。酒代で消えていたのだ。よく見ると図書券が入っていた。三鷹市が公募したまちづくりの提案に応募して、義理でもらった図書券5千円分があった。頭を下げて図書券を差し出したら、黙って受け取ってくれた。そしてふらふらと自宅玄関に。玄関に手を掛けたら開いている。午前2時だというのに開いているとは不用心だとぼそぼそ言いながら、そ~っと開けたら、女房が立っていた。

 後日談がある。数日後、女房が近所の魚屋さんに買い物に行ったときのことである。「オタクのちびちゃんたちが、そこの道路で寝ているから、お前たち何しているんだ! と言ったら、『おとうさんゴッコしているんだ』と言ってましたが何なんですかね」。


メールマガジン『ぶんしん出版+ことこと舎便り』Vol.25 2023/06/15

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