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道草(4)自転車旅行の「スゲー」の巻 その2

 まさかの春の雪だった。寒かったけど、雪景色の静かな西湖湖畔はとてもきれいだった。西湖北側の山のへりに根場(ねんば)という集落があり、乳牛を飼っていることを事前に調べておいた。その牛乳を手に入れようと、飯盒を持って集落に入り、声をかけられそうな家を探していたら、鼻水を垂らした男の子がいたので「牛乳を分けて欲しい」と頼んだら、飯盒に半分入れてくれた。100円だった。早速朝食代わりに温めて飲んだら、温かく「スゲーうまい」となった。
 少し落ちついたところで、じゃあ帰るかということになった。雪が心配だったけど予定通り山中湖を見下ろしながら籠坂峠に向かい、そこから小田原方面の海に出ようということになった。明るいうちにどこまで行けるか心配だったけど、その心配より先に恐怖を味わうことになった。すでに薄暗く、籠坂峠からの下り坂は半端がないほど急で、トンネルもあり、そこを大型トラックがクラクションを鳴らしながら自転車すれすれに追い越していくのだ。声には出さなかったけど「ヒェー怖いよー」が長い間続いた。
 無事小田原に着いたけど、とにかく行けるところまで行こうぜと、横浜まで来た。疲れた。お腹がすいた。その前に、どこに泊まるかが問題になった。そこに現れたのが小学校。宿直室をこんこんと叩いたら、大学生くらいのお兄さんが出てきたので「高校生です。自転車旅行をしています。体育倉庫で寝かしてくれませんか」と言ったら、「いいよ倉庫なら」と軽く言ってくれた。体育用のマットやドッジボールがゴロゴロ置いてあって真っ直ぐには寝られなかったけど「やったースゲー」と言って眠りについた。
 翌日は三鷹に帰る日だけど、千円ほど財布に残っていたので、相談の結果、エイヤッと映画館に入った。ヒッチコック監督の『北北西に進路を取れ』だった。映画館を出たらすでに薄暗く、冷たい北風が吹く多摩川沿いの道を三鷹に急いだ。
 なんとか家に着いたら、家族の中で言い争いがあったらしく、空気は最悪。結局スゲー話しをすることはできなかった。
 その年の秋、根場集落がニュースに出た。台風26号の大雨で土石流が起き壊滅状態になったのだ。牛乳を分けてくれた強君も死亡者欄に載っていた。

メールマガジン『ぶんしん出版+ことこと舎便り』Vol.26 2023/08/16

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