見出し画像

道草(9)「ミニコミ新聞にハマルの巻」その3

 今から44年前「わが町三鷹を平和でおもしろい町に」をキャッチフレーズに創刊された『みたかきいたか』は1979年(昭和54年)11月20日に0号、80年(昭和55年)2月20日に1号が発行された。

 A4判8頁のタイプ活字と手書きが混ざったミニコミであった。実は編集スタッフの中で、活字でないと駄目だという活字派と手書きの自由さは捨てがたいという手書き派に別れてしまい、結局混在した状態で船出をした。
 結局活字派は、なんでもありの編集方針に嫌気がさしたのか1号が発行された時点で姿を見せなくなった。
 そんなわけで、その後はすべて手書きとなった。手書きの自由さは、見出しや最終面の情報コーナーでその威力を発揮した。そして何よりも私たちが楽しんでいることや息遣いを伝えられたと思っている。

 主な紙面構成はだいたい次のようになった。
 表紙は金子静江さんとそのお弟子さんの三鷹に因んだ切り絵とその周りに「三鷹の歳時記」などが掲載された。
 2面に読者投稿コーナーの「真実(まこと)八百」や連載コラム。3面は創刊以来のシリーズ「みたかの顔」。有名無名の75人が登場した。
 4・5・6面は特集。7面はニュース性のある記事とコラム。8面はいろいろ情報コーナーや突撃的「みたか的美人」というのが大体の紙面構成となった。

 40年前に発行された『みたかきいたか』を見ると、数多くの市民が登場し、手前みそだが、その頃の三鷹がいきいきと興味深く伝わってくる。私が特集を担当したのは第3号(1980年〈昭和55年〉5月5日発行)、「春は曙(あけぼの)桜も曙(あけぼの)上連雀5丁目曙さくら祭」という見出しで三鷹市上連雀5丁目の桜並木で行われていた「曙さくら祭」を取材した。
 
 驚きました。道路を占有してのご近所総出の大宴会。まず目に飛び込んできたのはおじさんとおばさんのチークダンス「昼間の道路の真ん中でいいのかよ」と思った。そのダンスの演奏はひな壇に並んだ三味線、琴、太鼓の合奏団。その曲目は『曙さくらまつり音頭』。
 この音頭を作詞作曲したのが地元の銭湯「亀の湯」の主人、山岡修一さん(当時61歳)。なんと住民総出の手作りさくら祭であった。そもそもこのさくら祭はなぜ行われたのか、このストーリーがすごい。

次号に続く。


メールマガジン『ぶんしん出版+ことこと舎便り』Vol.32 2024/01/16掲載


このコラムは、(株)文伸 が運営する自費出版専門工房「ことこと舎」が毎月発行しているメールマガジン「ぶんしん出版+ことこと舎便り」からの転載です。メールマガジンをご希望の方は、ことこと舎のお問い合わせフォームから、メルマガ希望とお知らせください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?