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道草(7)「ミニコミ新聞にハマルの巻」その1

 振り返ると、あちらこちらのきょろきょろ人生だった。どうやら好奇心旺盛で、かつ飽きっぽいという性格のまま私の一生は終わりそうだ。実は飽きなく続いているものもあるが、人にとても言えるようなものではないので省略。さて、そういう飽きっぽい経験の中でも、後々大きな影響を与えたものもある。ミニコミ新聞の発行である。

 これにはきっかけがある。20歳のとき、二浪しても志望校に入れなかったため、これ以上家族に迷惑を掛けられないと断念し、家業となっていた印刷屋に勤めることになった。家族労働主体の零細企業だけど長野出身のイトー君がいた。その彼から「信ちゃん青年学級に来ない。女の子いっぱいいるよ」と誘われたのが、三鷹市勤労青年学級との出会いとなった。ちょっと冷やかし気分で覗いてみると想像とは違っていた。

 青年学級振興法による本来の青年学級は、中卒高卒の勤労青年に生活や仕事に必要なペン習字や話し方や洋裁などを教える社会人としての勉強の場であった。しかし三鷹市は違っていた。というより社会教育主事が違っていた。「君たちが生きていくためには、社会や歴史や文学を学ぶべき」という主事だった。そして「自分自身のことを書け」ということで、毎週学級新聞『きずな』がガリ版印刷で発行されていた。私はそこでガリ版印刷を覚えた。

 実は兄捷一郎は、私が青年学級に入る前、謄写版コースの講師だった。浪人後プラプラしていた時「みんな頑張っているよ」と嫌味を言われて反発し、そんなところ行きたくないと思っていたのだが「女の子いっぱいいるよ」に降参した。ガリ版印刷は面白かったが、『きずな』という名には抵抗感があった。堅くてクサイ名前だと思った。

 しかし、青年学級は面白かった。刺激があった。その内、三鷹市内には地元の青年団などいろいろなサークルがあって、それらが集まった三鷹青年団体連絡協議会(青団連)なる団体まであることが分かった。そこで調子に乗って青団連の新聞を作ろうと言ってしまった。
 名前は『またんぴ』。方針は、道に落ちていても拾って読みたくなる新聞を目指した。名前といい見た目といい、『きずな』への反発心があった。最初は当時の漫画のギャグを勝手に借用し『またんき』と命名したが、逆に読む人が出てきてあわてて「ぴ」に代えた。(つづく)

メールマガジン『ぶんしん出版+ことこと舎便り』Vol.30 2023/11/16掲載


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