山形県長井市にある文化財を管理・運営する団体。長井の文化や芸術の継承と発展を目的に活動。管理している文化財は見学することが可能。映像は県指定文化財丸大扇屋の様子。
裸の男女が寄り添いあう作品。 男性の胸に顔を預ける女性が伸ばした手は、一方は男性を支え、もう一方は伸ばされた手と繋がれています。 印象的なのは、二人の足元の抽象的なオブジェ。 燃え盛る炎のような、あるいは渦巻き流れる水のような、火焔土器や土偶にしばしば見られるこの力強い文様は、あたかも命あるもののごとくに、絡まりながら、束になり、波打ち、うねっています。 縄文をテーマに、孝三先生が今作で表現したかったのは、人間が根本的に内在している力強い生命感だと思います。それと、いつ
長沼孝三彫塑館に、孝三先生が愛用したカメラ(同型機)が展示されているのをご存じでしょうか。 現代のようなデジタルカメラと違い、昔は高価なフィルムを使用していました。また、コンピューター制御がされておらず、今のような簡単にスナップ写真を撮る感覚とは違い、一枚一枚を大切にして撮影していました。 だからこそ、何に感動し、何を伝えたいか、そういった狙いを定めて、緊張感を持って撮影していたに違いなく、それは、彫刻作品づくりにも共通するもです。 孝三先生は、常に作家として目的をもっ
長井市の西根地区に、「おけさ掘」の伝説が残っています。 かつて水田の用水不足に苦しんでいた村を救うために、勘三郎とその妻おけさがたった二人で川を開削し、村まで水を引いたという逸話です。 その伝説を題材にする今作は、掘削作業をする勘三郎とそれを手伝うおけさの様子を表現されています。 中心に位置するところに彫られた「地蔵菩薩」は、村人を救いたいという二人の思いを象徴するのか、勘三郎の供養碑が建てられた草岡赤地蔵堂にちなんだ表現であったかも知れません。 いずれにせよ、我が身
髪が短い女性が、同じポーズをする人型が収められた箱を昔の傀儡師のように肩から下げている奇妙な作品です。長沼孝三先生が、世の不条理やおかしなことを皮肉ったとされる連作「怪」シリーズの一つです。 タイトルの意味には、あやつり人形の他に、人の手先になって思い通りに動かされるという意味もあります。 長沼先生が今作に込めたのは、個人的なことかもしれないし、組織的なことなのかもしれないです。 もしかすれば、当時の世界情勢を憂い制作したのかもしれないです。 それは定かではないが、間
15年間勤め続けた「東京家政大学」を定年退職した記念に制作し、同校に設置された作品です。 子供と母親を彷彿とさせる女性が花園の中で戯れている様子を、曲線を多用し柔らかく造形しています。 長沼孝三先生は、「愛」を実に広い視野でとらえています。 単に男女が互いを求める好意ではなく、それをも包括した調和といった見方をしています。古来から続く日本の文化には調和を重んじる精神があると、記念講演「二十一世紀と日本の美」で語っています。 今作は、東京家政大学を始め、長井市では、勤労セ
長井市伊佐沢地区に伝わる念佛踊りを題材にした連作の一つ。 しかし、実際は、おどけた踊りで笑いをとり、観衆の注意を引きながら、全体の舞踊の矯正・服装の点検をして廻る難しい役回りで、社中の師匠格が担うことになっています。 今作は、全体的に簡素で柔らかなフォルムでありますが、面や衣装、ほほ被りの結び目といったディティールに甘さがないです。また、軽やかなポージングでありながら、重心がしっかりとし、質量を感じられます。 一体、微笑む面の下の表情はいかなるものでしょうか。 《長
「お母さん、あのね、・・・」 母親にしがみついて頬に顔を寄せ、耳元で一生懸命に何かを話しかける幼子。子どもの、その愛らしい仕草と抱き上げる母親の穏やかな表情。 伝えるのは、信じ切って母親に身を委ねる子どもの無垢な魂と我が子に寄せる母親の無償の愛の姿です。 長沼孝三先生は、度々親子像を制作していますが、そのどれもが象るのは、抱き合い、あるいは手を取り合い慈しむ母子の姿です。 それらは、気に留めなければ過ぎ去ってしまう、ごく当たり前の母子の姿ですが、そんな何気ない日常の母
右肩に磯桶を下げ、左手に磯ノミを持ち、すっと立つ、素潜り漁をする「海女」を題材に女性が持つしなやかな美しさを表現した作品です。 健康的でメリハリがある人体造形をしていますが、写実的な表現を追求せず、長沼孝三先生の作品にみられる丸みを帯びた作風で仕上げることで、柔らかみを感じつつも、生き抜こうとしている逞しさを感じるものとなっています。 特筆すべきは、自信にあふれ、凛々しい顔つきで、真っ直ぐに彼方を見つめる表情。 モデルになった女性の芯の強さが伝わってきます。 また、磯
ひとえに彫刻と聞くと、どんな作品を思い浮かべますか? 恐らく、多くの人は写実的な具象彫刻を思い浮かべるでしょう。そういった作品とは対岸に位置するのが「抽象彫刻」です。「抽象彫刻」は作家の心象を形にした彫刻とも言われます。 今作を見ると、顔と腕がない人型の像が五体連なり一つの作品を構成しています。 単に、人体の各部分がないということではなく、衣服や筋肉の表現などを省き、純粋な形態美を求めています。 また、連なったことで像と像の間に空間が生じ、それも今作を奥深いものとしてい
日彫展に出品し、後に東京都港区南麻布にある私立幼稚園「愛育幼稚園」に設置された今作です。 幼い子どもにとっては雨降りもまた楽しみの一つでもあります。今作は、そんな雨があがった後も遊びとして楽しむ、純粋無垢な少女の姿が象られています。 長靴に合羽を着て、雨傘を持った少女が片足を上げているポーズの像。 雨があがり、道に残された水たまりを見つけては、わざと蹴り上げ、水飛沫を楽しんでいる様子が切り取られています。何気ないポーズですが、雨あがりの情景や少女の側にいる家族の様子など
軽やかなポーズで、左手にあやめの花を持ち、広げたスカートの上につつじの花を載せた少女の像。 彼方を見つめる表情には、おだやかな中にも強い意志を感じます。 今作は、「長井市民文化会館」の完成を記念して正面のロータリーに設置されました。 戦後の高度経済成長期が一段落し、これからの山形県長井市はどうあればよいか?依頼を受けた長沼孝三先生は、文化都市としての成熟と新たな飛躍を願い制作されました。 街がよりよく発展していくためには、産業だけでなく、文化や芸術が、その根底にあるべき
山形県長井市史伊佐沢地区に伝わる念佛踊り、元々は桜の花が順調に咲き続けるようにと「花しずめの祭」を行い、豊作を祝う為に行われていました。 それが、明治に入って、たまたま訪れた京都歌舞伎の役者から型や踊りを習い、念仏踊りが洗練されたと言われています。 今作は、若者が担い、歌舞伎の要素を取り入れた舞をする「枕うち」を題材としています。端正な顔つきの若者が、小豆入りの小箱でリズムを刻む姿が描かれています。 その舞もそうだが、前掛け、角帯、黒足袋、横はち巻、黒緒草履、綿なしどて
1988年、長井橋の開通を記念して橋のそばに制作設置された二体のブロンズ像のうちの一つです。 かつての舟運文化を彷彿とさせる商人がモチーフになっています 旅の衣装に身を包み、船玉大明神に手をかけ彼方を見つめる姿は、舟旅の安全を祈願し、明日に希望を持つ力強い姿を描いています。商人が立つ球体には、京都までの航路と小鵜飼舟が刻まれています。 かつて、長井市は最上川の舟運文化で栄えていました。しかし、交通の形が舟から、鉄道、車と移り変わっていくにつれて、その姿はすっかり消え去っ
長沼孝三彫塑館には、約800点もの郷土玩具が保管されています。 これらは、長沼孝三先生が作品制作の参考に集めたものです✨ 明治以降、西欧彫刻に感化され続けた日本の彫刻界を目の当たりにし、日本の彫刻とは何かという疑問を持ち、日本人の心を日本人の目で作ることを信念とした孝三先生。着目したのが、古来より受け継がれている郷土玩具でした。 孝三先生は、日本の土着文化を色濃く残す郷土玩具に、日本の心のヒントがあると収集し、それらに共通する不変的な形を作品作りの参考にします。孝三先生の
長沼孝三先生の作品の中に、社会風刺を題材にした「怪」の連作があります。手掛け始めたのは、1966年からと言われており、孝三先生が日展の審査員になった年です。 今作は、そんな日展に出品された作品で、笑った仮面を掲げる少女の無表情な印象的です。 無表情な少女が、笑った仮面を掲げ、今からそれをつけようとしています。 また、彼女の後ろには、目を伏せながらもそっと手を添えている男性の像がいます。兄弟か、恋人か、友人か、二人の関係性は明らかではないですが、彼女にとって近しい存在であ