一般財団法人 文教の杜ながい

Mission&Vision ▷「長井の心」と歴史・芸術文化の継承 ▷新しい価値創造とまちづくり - Management&Operation 丸大扇屋*小桜館*長沼孝三彫塑館 -- 〒993-0086 山形県長井市十日町1-11-7 TEL:0238-88-4151

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Mission&Vision ▷「長井の心」と歴史・芸術文化の継承 ▷新しい価値創造とまちづくり - Management&Operation 丸大扇屋*小桜館*長沼孝三彫塑館 -- 〒993-0086 山形県長井市十日町1-11-7 TEL:0238-88-4151

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    文教の杜ながいの紹介

    山形県長井市にある文化財を管理・運営する団体。長井の文化や芸術の継承と発展を目的に活動。管理している文化財は見学することが可能。映像は県指定文化財丸大扇屋の様子。

      • 日本の形

        長沼孝三彫塑館には、約800点もの郷土玩具が保管されています。 これらは、長沼孝三先生が作品制作の参考に集めたものです✨ 明治以降、西欧彫刻に感化され続けた日本の彫刻界を目の当たりにし、日本の彫刻とは何かという疑問を持ち、日本人の心を日本人の目で作ることを信念とした孝三先生。着目したのが、古来より受け継がれている郷土玩具でした。 孝三先生は、日本の土着文化を色濃く残す郷土玩具に、日本の心のヒントがあると収集し、それらに共通する不変的な形を作品作りの参考にします。孝三先生の

        • 仮面をつけるとは……

           長沼孝三先生の作品の中に、社会風刺を題材にした「怪」の連作があります。手掛け始めたのは、1966年からと言われており、孝三先生が日展の審査員になった年です。 今作は、そんな日展に出品された作品で、笑った仮面を掲げる少女の無表情な印象的です。 無表情な少女が、笑った仮面を掲げ、今からそれをつけようとしています。 また、彼女の後ろには、目を伏せながらもそっと手を添えている男性の像がいます。兄弟か、恋人か、友人か、二人の関係性は明らかではないですが、彼女にとって近しい存在であ

          • 自分は彫刻家。芸術家がなすべきことは。

            右手に粘土べら、左手に地球儀を持ち、大地に足をすえ遥か彼方を見すえる若き彫刻家の像。今作は、当時33歳の長沼孝三先生自身をモデルにし、我を律し歩まんとする己の姿を象徴的に表現した作品です。 時に、制作された1941年は、その年の12月に「太平洋戦争」が勃発してしまう不安な時代でした。次第に戦時体制へと進む中で、あえて自分をモデルに「彫刻家」という作品を作り上げたその意図は、今作の表情、毅然とした姿勢、像の大きさに表れています。 しかし、そんな長沼孝三先生の思いも虚しく、時

            新年のご挨拶

            🎍謹んで新春をお祝い申し上げます🎍 昨年は格別なご高配を賜り厚く御礼申し上げます。 文教の杜ながいは、1月4日(水曜日)より通常業務を行っております。 しかし、誠に勝手ながら下記の期間は冬季休館とさせていただきます。 お不便をおかけしてしまい申し訳ありませんが、ご了承のほどお願い申し上げます。 皆様の益々のご繁栄をお祈り申し上げますとともに本年も倍旧のお引き立てのほどひとえにお願い申し上げます。 令和5年 1月5日(木) [冬季休館] ▶︎丸大扇屋&長沼孝三彫塑館:

            冬季休館のお知らせ

            文教の杜ながいにいつもご来館していただき、誠にありがとうございます。 当館におきましては、以下の日程で冬季休暇を頂戴します✨ 丸大扇屋&長沼孝三彫塑館 12月29日(木曜日)- 2023年3月31日(金曜日) 小桜館 12月29日(木曜日)- 2023年1月4日(水曜日) お問い合わせにつきましては1月4日(火曜日)以降にご対応させていただきます。何卒ご了承いただけますと幸いです。

            助けを求める多くの人に手を千ではなく万

            こんにちは、文教の杜ながいのきむです。 山形県長井市も本格的に雪が降ってきました❄️風邪などひかれませんようにお過ごしください♪ 今回ご紹介する作品はこちらです⤵︎ 一目見ただけで、強い印象を受ける独特なフォルムの今作。タイトルは万手(まんじゅ)、万の手という意味です。 女性を象った像が真っ直ぐ立ち、その頭部付近で花のように広がっているのは、デザイン的に簡略化された無数の手。 日本には、千手観音という千本の手であらゆる生き物を助ける観音様がいます。それに対して長沼孝三

            目に見えないものを形に。

            時に長沼孝三先生は、「僕の作品は百年後に評価されるんだよ」と自分の作品について語っていました。それは皮肉ではなく、孝三先生なりの先見の明があっての言葉だったと思います。 改めて今作を見ると、描かれた女性は写実的ではないです。女性が持つ、可憐さや清楚さを表したかのような繊細で滑らかなフォルムをしています。 また、描かれた女性の髪や衣服が風でたなびいている様子はないですが、女性が身体で風を感じているようにも見れます。それも、どんな風を感じているのかがわかるようです。 時代に

            工具を持たない整備兵

            三人の整備兵(青年)が寄り添って、天を仰ぐ姿が印象的な今作。 制作された年は第二次世界大戦の最中、国民の誰もが戦争に協力し、支持する行動が強いられていました。もちろん美術作品に関しても、産業や兵隊を鼓舞する内容のものがよしとされていたようです。 今作を改めて見ると、とても戦争を鼓舞するような作風ではない気がします。「航空整備兵」というタイトルが付けられていますが、整備している様子を描いたものでもないです。 まるで、祈っているような姿をした像は寄り添い、天を仰ぎ、祈ってい

            亡き友を思って馳せる思いを形に

            山形県米沢出身の南雲 忠一(なぐも ちゅういち)。猛将の提督と呼ばれ、真珠湾、インド洋、ミッドウェーの海戦で戦果をあげています。  そんな彼と長沼孝三先生はは友人でした。もともと、兄が知り合いであったことや、東京のアトリエ近くに南雲が一時期住んでいたということもあり、交流が盛んにあリました。 今作は、1944年7月、南雲がサイパンで玉砕したという知らせを受けた長沼孝三先生が、無我夢中で即興的に作ったものです。厳しい表情の南雲。その後ろには、戦渦に巻き込まれた現地の人々が描

            時代に左右されない不変のデザイン

            山形県長井市にあるあやめ公園は、元々、杉の木が密集した鬱蒼とした林でした。明治四十五年(1912年)、国鉄長井線の誘致運動をきっかけに、その林が伐採され、後の大正三年(1914年)、あやめ公園として開園することになります。 昭和五十五(1980年)、開園七十周年を記念して、市民総参加による記念行事が盛大に行われました。その際、お披露目されたのが今作! 長井市の市章をデザインしたということもあり、長沼孝三先生に記念碑制作の依頼があったそうです。直方体を組み合わせた、シンプル

            凛とした表情にこめて

            こんちは、文教の杜ながいのきむです。 短髪、ふんどし姿の青年が、凛々しい表情で龍を踏みつけ誇らしげに立っている立像。 制作された当時は「興亜」というタイトルでした。 昭和14年(1939年)は、次第に戦時色が濃くなる不安な時代。そんな世の中を、若人たちにはたくましく生き抜いてほしいと、長沼孝三先生は願いを込めたのではないでしょうか。 後にブロンズ化され、「青年」と題を改めて、長沼孝三先生の母校である「山形県立長井高等学校」の昇降口に飾られています。 ※彫塑館に展示して

            人と自然の調和

            長沼孝三先生は、晩年、山形県長井市の伊佐沢地区に伝わる念佛踊に魅せられ、踊り手たちの一瞬を切り取った作品づくりをライフワークとしていました。 それは、郷土を愛する長沼孝三先生ならではの着眼点だったでしょう。 今作は、桜の木を中心に、踊り手たちが舞う様子を、大きな球体と捉え象っています。人と自然が一体となっている姿に、長沼孝三先生が込めた思いが感じ取れるのではないでしょうか。

            幻の女神

            かつて上野駅前のロータリーに大きな立像がありました。 戦後すぐの上野駅周辺には、戦災で家を失くした人や浮浪児達が溢れていたそうです。焼け跡からの復興と平和な社会を願い、長沼孝三先生は女性と子どもをそのシンボルとした像を制作します。 母が子どもを肩に乗せたその姿は、戦災で荒んだ人の心を慰め、駅を利用する多くの人々に長く親しまれていました。しかし、新幹線工事の際に誤って壊されてしまい、幻の作品となってしまいました。 ※長沼孝三彫塑館では、今作のブロンズの原型を保管しています

            長井市の市章誕生

            こんにちは、文教の杜ながいのきむです。 私が現在住んでいる山形県長井市は、1954年に1町5ヶ村が合併して誕生しました🎉 しかし、市のシンボルマークとなる市章は1963年まで決まらなかったです。 そこで、一役買ったのが長沼孝三先生でした。 様々な図柄を考案した中で、長井市の象徴でもある「アヤメ」の花をモチーフにしたものが採用されました。 このデザインには、農村都市から、観光・工業都市への飛躍の願いが込められています。 1963年の議会で制定され、現在まで使用されていて

            未歳の年賀状

            文教の杜ながいのきむです。 長沼孝三先生は、彫刻のような立体作品だけでなく、もともとはデザイナー志望ということもあり平面作品も得意としていました。学生時代は、三越デパートの図案部でポスター制作のアルバイトをしていたそうです。 ↑未歳の年賀状/1979年 これは、知人・友人に宛てた年賀状です。 「羊」という漢字をもじり、なるべく無駄なものを加えず「羊」の頭部を彷彿とさせるデザインは、実に洗練されたものですね!