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伝説の創業メンバーが語る、愛に溢れた仕事・子育て論。【文響者!#1】

文響社で働く「人」にフォーカスする新連載「文響者!」。第一回のゲストは、出版マーケティング部の芳賀 愛(はが あい)。文響社の創業期に参画し、当時20代で営業の責任者を務めた文響社のレジェンド。現在も営業の最前線で活躍しながら、家庭では二子の育児に奔走している。文響社と共に成長してきた彼女が今思う、会社、仕事、子育てとは。

山本社長の情熱が、私の心に火を灯した

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―まずは、自己紹介をお願いします。
芳賀愛と申します。出版マーケティング部で、書店営業やメディアPRの仕事をしています。家庭では、二人の娘の育児真最中です。本日はよろしくお願いします。

―芳賀さんは創業期を知る貴重なお一人ですが、文響社との出会いは?
私が文響社に入社したのは、2012年の夏。当時、私は新卒1年目で別の出版社で営業をしていたのですが、その時期に山本社長からお誘いいただいたのがきっかけでした。

―え?当時、1年目ですよね?ヘッドハンティングされるなんて、どんだけ優秀だったんですか!
いやいや!そんなたいそうなものじゃないですよ(笑)山本社長と出会ったのは、私が大学生のときに、文響社の一作目である『四つ話のクローバー』(水野敬也)の読者モニター会に参加したときでした。「春から出版社で働くんです」と言うと、「そうなの!今度色々教えてよ~!」という感じで、ご縁が始まりました。その後、当時文響社があった近くの書店に行った際に「書店様への営業ってこんな感じですよ〜」とお連れしたことがあったんです。それをきっかけに、山本社長から転職のお誘いをいただくようになりました

―すぐに転職を決められたのですか?
いえ全く(笑)前の会社には、本当に素敵な先輩方がたくさんいましたし、営業の仕事にもやりがいを感じていました。だから、今日できっぱりお断りしようと、断り方まで完璧にシミュレーションしてお会いしたんです。でも山本社長に、「色んな人に会ったけど、やっぱり芳賀ちゃんとやってみたいと思ったんだよね。一緒に頑張ろうよ!」なんて情熱的に説得されて、気付いたら、「入る方向で考えます」と言っていました(笑)

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私にとって営業とは、「想い」を届ける仕事

―芳賀さんにも、営業として新人時代の苦労はあったんですか?
もちろんです!新卒で入社した会社は、取次(=出版界の流通業者)を介さない直販の会社なので、とにかく出張が多かったんですね。1ヵ月に5日しか出社しないなんてことも普通でした。先輩との数回の同行営業の後は、「はい、行ってらっしゃい!」という感じ(笑)仕事の優先順位が分からないから、あれもこれも全部やろうとしすぎちゃって大変でしたね。

―文響社に入ってからはいかがでしたか?
それはもう(笑)社会人経験1年の私がいきなり、山本社長、水野敬也さん、私という並びに加えて、一応、会社の営業の責任者です。取次経由の流通のことも全然分かりません。それに、「文響社です」と名乗っても、「え?どこ?」という感じなんです。だから、「『夢をかなえるゾウ』の水野敬也の待望の新刊です!」と水野推しで営業していました。毎日200件くらい電話をかけて、20件は書店を回りました。それが、1年…いや2年以上は続きましたね。

―よく続きましね。
やっぱり、楽しかったんですよ。水野敬也さんや、山本社長のカリスマ性や情熱に、付いて行きたい!という気持ちでした。

―お二人を傍で見ていてどうでしたか?
凄かったです。二人はとにかく、めちゃくちゃ頑張ります。私も精一杯頑張っているつもりでも、レベルの差が歴然なんです。つい相対的に自分を見てしまうので、「自分には能力がない」「頑張っていない」といつも感じていました。その時期は辛かったです。

―その時期を乗り越えられたのはいつですか?
『人生はニャンとかなる!』という本が、NHKの『あさイチ』に取り上げていただけたことは大きかったです。これがきっかけで、10万部、20万部と増刷になり、山本社長に褒めていただきました。出版界の皆様にも文響社を認知していただけるようになったのも嬉しかったです。その後も立て続けに、テレビ番組や新聞などに書籍をご紹介いただきました。

―すごいですね!メディアに取り上げていただく秘訣とかあるんですか?
いきなり代表電話にかけても、大抵担当者に繋いでもらえません。だから、テレビ番組のエンドロールを見て、エンタメ担当者の名前を控えた上で、知っている風に電話したりしました。なんとか会ってもらう方法を編み出し、飛び込み営業も行っていました。他には、書評をいただくために、国会図書館でひたすら新聞記事をめくったこともあります。「メディアPR」という自分の得意な仕事を見つけられたことで、劣等感が消え、自信が生まれていきました。

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―芳賀さんにとって、営業とはどんな仕事ですか?
そうですね…。私にとって営業とは、「想いを伝える仕事」です。今では、便利なAIやアルゴリズムが、本をオススメしたりしてくれますけど、やっぱりそれだけでは熱は伝わらないと思っています。一方で、仲の良い友達から、「この本は、あなたに合うから絶対読んでみて!」と言われたら、買いますよね。営業って、そういうことなのかなと。本の背景や作者の想いを含めて、熱を持って伝えられるのは、機械じゃなくて人だと思っています。

子どもたちには、「大きな幸せ」をもらった

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―2017、19年に2人のお子さんをご出産された後、2020年に復職されましたが、大変じゃなかったですか?
大変なんてものじゃないですよ。復職のタイミングで緊急事態宣言が発令されていたこともあり、在宅で2人の育児をしながら仕事に復帰し、身体的にはもう、ゾンビでしたね(笑)ただえさえ5時間しか寝られない状況で、夜泣きで2回は起こされるんです。

―それでも頑張ってこられた理由は?
遠山部長や、部員の皆の刺激はとても大きいです。結局自分は、負けず嫌いなんだと改めて思いました。皆が真剣に本を売りたいのが伝わるから、私も頑張ろうと思います。創業時は人が少なくて、一人の時代も長かった。だからずっと、上司、仲間、後輩が欲しかったんです。今では、100人以上のメンバーがいて、出版マーケティング部というチームもあります。皆がいるから頑張れるし、頑張りたいと思います。

―家庭によって、全てを仕事に注げないことの葛藤はありますか?
それは、ないですね。私にとって、子育てや家庭はすごく大事なことですから。だけど仕事も、自分が自分でいられる場所としてとても大切です。家庭ではどうしても、ママ、妻といった役割があって、そのままの自分で輝くのは難しい。家にいるとオシャレをしなくなるし、ベビーシッターさんだって、そう頻繫には頼めません。色んなことを我慢しているうちに、だんだんと自分の「欲」がなくなっていくんです。だから職場で、役割とか関係なく、「芳賀さん」と呼んでもらえることはすごく嬉しいです!

―芳賀さんの人生にとって、家庭があって良かったことはなんですか?
「大きな幸せ」をもらいました。初めて子供を産んだ瞬間、すごい責任感を感じたんです。一生この子を守るんだという責任感。これこそ、本当に自分にしかできないことだと思いました。仕事は、どれだけ優秀な人でも、辞めたら代わりがいるんです。でも、母親はそうはいかない。上手く出来なかろうが何だろうが、子供にとってお母さんは、世界にたった一人です。これは、大きな意味での幸せだと感じます。子供は本当に可愛いですね。

私にとって、文響社は大切な「子ども」

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―創業時と今、ご自身で変わったことは何でしょうか?
全体を見られるようになったと思います。昔は、営業部長という肩書でも、プレイヤーでした。全て自分でやらなくてはならなかったから、一つ一つが上澄みになっていました。でも今は、遠山部長がいて、仕事を皆で分担しているから、一つのことをより深堀りすることができます。それにより、仕事を発展させられる時間が増え、皆がやっていることも見えてきました。

―会社が成長しても、変わらない文響社らしさは何でしょう?
メンバーが皆、文響社が好きで集まっていることだと思います。会社が大きくなると、最初の想いは薄まりがちです。でも、文響社は今でも、コンテンツが好きで仲間になってくれる人がたくさんいます。山本社長や水野さんの魂が中核にあって、ジョインした人たちがさらに熱くしているのです。本当に素敵な会社だと思います。

ー最後に、芳賀さんにとって「文響社」とは?
ちょっと、おこがましいですけど……「子ども」です。子どもって、その成長が何より嬉しく、知らなかった世界をたくさん見せてくれる存在だと思います。そして自分も、まさに二人三脚で一緒に成長していける存在。創業期は、会社も私も本当に何も知らず、全て手探りでガムシャラにぶつかるしかありませんでした。実際の子育ても、本当にそんな感じです(笑)会社の方は、とっくに私の手を離れていますが、これからも成長を側で感じていたいですし、まだまだ知らない世界を見せてくれそうでワクワクしています。

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―本日は、ありがとうございました!

〈インタビュー後記〉
僕の知る芳賀さんは、いつも笑顔で優しく、子育てと仕事を優雅に両立する完璧な女性。しかし、創業時や育児のお話を伺い、美しい白鳥の壮絶な努力を垣間見た。仕事は自分が自分として輝ける場所と胸を張りながらも、娘たちが、本当の意味で私をかけがえない存在にしてくれたと微笑む姿が眩しかった。会社をも我が子のように見つめる眼差しは、慈愛に満ちていた。

企画、ライティング:出版マーケティング部 中西亮
ビジュアルデザイン:同部 にしくらみお