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つまらない時代だから本当の笑いを

謙也は午前〇時頃起きて、今時分の3時30頃に腹が減る。台所で昨日の残り物を探す。白飯と味噌汁が残っていた。白飯は丼に半分、味噌汁は、僅かにガスコンロの上の小さな鍋に残っていた。極め付けは、アヒージョに使った唐辛子やニンニクが入ったオリーブオイルだ。面倒くさいとこれも温めてから白飯にかけた。新感覚のネコまんまが完成した。これが結構いけるのだ。

西洋と東洋のミスマッチ。口の中に残る唐辛子とニンニクの味。味噌汁独特の芳醇な香り。新しいものを発見したと喜ぶ謙也に褒める人もいない。なんたって、早朝の3時半を過ぎている。中途半端な時間だから、家族は全員寝ている。猫も外で遊んだばかりだから、寝転んんでいる。昨日、図書館で借りて来た沢木耕太郎の「バーボン・ストリート」という本を読み始めた。沢木耕太郎の名前は、20代後半に知った。

1970年にルポライターとしてデビューした彼は、日本社会党委員長の浅沼稲次郎が演説会で演説中に当時17歳の反共主義者少年山口二矢に刺殺されるという事件があった。それを題材にした『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。浅沼が刺殺されたシーンを当時、テレビが放映していた。1960年のことである。特に、まだ九歳の謙也にとって、あまりにも衝撃的な映像であった。作家の沢木にとっても衝撃だったと思う。

沢木は、犯人側の取材を進めている。『中村忠相は、二矢(おとや)の父である山口晋平(しんぺい)の旧制高校時代の友人で、「東京園」という温泉センターを東横線の綱島駅の近くで経営している人だった。山口二矢が日比谷公会堂で浅沼稲次郎刺殺事件を引き起こすと、山口一家はマスコミの執拗な「攻撃」に悩まされることになる。そのとき、ひそかに救いの手を差し伸べたのが中村忠相だった。自分はテロリズムを容認しない。しかし、友人とその家族が困っている以上、助けないわけにはいかない、と。中村忠相は、「役に立つことがあったらいってくれ」と電話を掛け、その申し出を受けた山口夫妻は緊急避難というかたちで「東京園」の一室に「隠れ住む」ことになった。』と沢木は、「三十年後の終止符」で書いている。

どちらにしても、テレビと映像も関わった衝撃的な事件であった。リアリティという面では、映画よりも現実味を帯びた事件であった。確か、謙也も学校のクラスで、誰もこの事件に触れないようにしていたと思う。それは、子供にとっても衝撃的すぎる映像だった。人間と言う動物は、あまりにも悲惨なものを見ると呆気にとられて、無言になるものだと謙也は知った。

そんな凄惨な事件を取材し本にした、沢木耕太郎が爽やかな一面を披露した「バーボン・ストリート」。『ぼくも散歩と古本がすき』と言う一説の中で、タイトル通り古本屋などの話を書いている。植草甚一の話が出てくる。植草の『ぼくは散歩と雑学がすき』をもじったタイトルだ。

新刊の本屋と古本屋の違いを語っている。新刊の本屋がどこか似た雰囲気になるのに対し、古本屋はどんな店でもそれなりの貌(かお)持っている点。古本屋は店に置かれるている本以上に、店主の個性によって形づくられていると言う。

謙也も学生の頃は、神田の古本屋巡りをしたが、店主となかよくなるほど通ったわけではない。むしろ、新刊の店と同じ形式のBOOKOFFの方が馴染んでいる。なんか羨ましい。古本屋は、たしかに値段だけでなく、掘出し物に出会った時の感動がすごく、他で味わえ無い体験だ。なんにも増して、自分だけの世界だから、他人にとっては価値の無い本でも、謙也にとっては宝物。謙也も「たしかに僕も散歩と古本が好き。」と言いたいほどだ。

郊外や田舎町には、古本屋は無い。小学生の頃、田舎町に一軒だけ貸本屋があった。戦後、小説や漫画単行本、月刊誌を安く貸し出す貸本の店が全国規模で急増したそうだ。1960年代後半には、廃業する店がほとんどだった。だから、謙也たちは、借りるお金も大してなかっただけでなく、時代の波に消されてしまった貸本屋をあまり知らない。

雑誌「冒険王」や「少年画報」「少年クラブ」などは買ってもらって読んでいた記憶がある。「赤胴鈴之助」や「ジャジャ馬くん」「魔神ガロン」などを我を忘れて読んだ。手塚治虫、松本零士、石森章太郎、赤塚不二夫、ちばてつや、横山光輝、白土三平、などがまだ若かった時代だ。漫画創世記の戦士たちが、現在の日本を代表する漫画アニメ文化の礎を築いた。

謙也は、そんな時代を潜ってきたことを誇りに思う。マンガ雑誌に使われているあの紙は「印刷せんか紙」は古紙を再利用した再生紙だと言う。昔は学校でもわら半紙というザラ紙が使われていた。絶滅したように思えるくらい誰も使っていない。触り心地が別格なのに。

すでに、デジタル化で、印刷が減りWEBで閲覧する若者が増えている。カラー化も簡単だから、この先は、デジタル化されたカラー漫画を読むことになる。時代は、蝕感から視覚にシフトする勢いだと謙也は感じている。今のせんか紙の漫画は、高級なブティックに置かれるような存在になる。

我々が浅沼稲次郎刺殺事件で観た映像は、日本だけのものだったが、初の日米宇宙中継から飛び込んだニュースはジョンFケネディ大統領暗殺の悲報だった。1963年のことだった。世界を震撼させた。

諸々の事件は、何も関連も関係もつながりも無いが、謙也自身の歴史の中で見事に繋がっている。人間の愚かさと無邪気さと無能無知において、繋がっている。「あなたも教科書に載っている事件の目撃者なのね」と優子に言われた。確かに映像を通して目撃者なのかもしれない。謙也は、便利なテレビジョンによって、不思議さを実感している。

この先、こんな悲惨な事件が起こらないようになって欲しいと思う。今、騒がれているオリピックも大阪万博もテレビからの映像で実際に行った人よりも知っている。多分、大半の同世代の人たちも同じ体験をしているはずだ。ただ、テレビの時代は終わろうといている。嘘も多いが、ネットに変わってしまった。テレビとて嘘で埋め尽くされた情報を垂れ流している。特に、政治に関しては、劣化の一途を辿ってしまった。正義はないかのような報道に、老人以外、誰も観なくなる。そんな予感がする謙也であった。

1961年植木等が歌った「スーダラ節」がヒットした。
軽快なコミックソングが消えて懐かしい。
作詞、作曲、歌手が揃って完成するコミックソングを作る環境にないのも残念だ。

チョイト一杯の つもりで飲んで
いつの間にやら ハシゴ酒
気がつきゃ ホームのベンチでゴロ寝
これじゃ身体に いいわきゃないよ
分かっちゃいるけど やめられねぇ
ア ホレ スイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
作詞:青島幸男

どこもかしこも本当の笑いが消えた。笑いは、腹の底から出てくる。「笑って損した者なし」「笑いは人の薬」とか言う。謙也は思う、笑いで笑えない芸人ばかりなのが問題だ。やっぱり、笑われせるげいにんの質が劣化したこと。脳もないのにコメンテーターのようなことをさせていては、先がない。
「素直に笑かしてよ」

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コミックの小説家でデビューしました。笑いをお届けしたいと思います。ペンネームは文豪乃冬目創玄てす。 こちらにも https://note.com/bungo_3/