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人生迷子中の人におすすめしたい/小説『オオルリ流星群』(伊与原新 著)

少し前に、ある雑誌の感想を送ったら3,000円分のクオカードが送られてきた。懸賞に当たったことなどない人間なので、オドオドしながらカードを持って書店に行き、手にしたのがこの本だ。「流星群」と「天文台」ということば、そして登場人物たちが私と同じ、バブルがはじけた後の就職難世代であることになんとなく魅かれて購入した。

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祖父の代から続く小さな薬局を継いだ久志と、地元で教員として働く同級生の千佳。物語は、主にこの2人の目線で進んでいく。薬局の経営難に加え、妻や息子らとの間に微妙な隙間風が吹く久志は、人生に漠然と不安を抱えて日々暮らしている。そんな折、高校3年の夏に空き缶で巨大タペストリーをつくった仲間のひとり、天文学者の彗子が地元に戻っているという情報を得る。彗子の目的は、この街に天文台をつくること。東京でがんばっているはずの彼女が、一体どうしてなのか。直接彗子に会って話を聞こうと試みる久志たち。そして彼女の計画に、自ら巻き込まれていく。

人生諦めモードの久志、情熱があるわけでもなく、日々淡々と教鞭を取る千佳。番組制作会社を辞めて弁護士を目指す修、現在ひきこもり生活中の和也。天文台づくりを実行に移す彗子、そこに不在の惠介。人生の折り返し地点を過ぎたそれぞれの抱える現状は、同じ就職氷河期世代の自分の周りによく似ている。彼らにとって唯一の青春の思い出、タペストリーづくり。だがそこには、誰も知らない秘密があった。青春の光と影。わだかまり、羨望、恋、置き去りにした心。28年経って、ひとりひとりが当時の感情と向き合う時が来たのだ。

私は高校生の頃、友人に誘われて少しだけ天文部に所属していた。特別何かやっているわけではなく、ダラダラと放課後を部室で過ごす日々を送っていたのだが、あるとき先生が「週末に土星の観測をするので、うちに集合」と言うではないか。なぜ先生の家なのだろう。先輩に尋ねると、「天体観測用のドームがあるんだよ」と教えてくれた。田舎の高校生の頭では、“家に天体観測ドームがある”画が全く想像つかず、とても戸惑ったことを覚えている。もちろん、泊まりがけである。先生の家まで自転車で片道2時間近くかかったが、明け方近くまで観測して雑魚寝したことはなかなか経験できないことだった。実は私と友人には天文部に憧れの先輩がいて、「一夜を共にできる」と喜び勇んで参加したのもいい思い出である(バカ丸出し)。そんなミーハー要素も、生まれて初めてこの目で見た土星によって、ふっ飛んだのだった。

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小説の中で、特にぐぐっと胸に迫るものがあるのは後半。登場人物たちは、いわば人生停滞中の人ばかりなのだが、あるできごとを知り、そこからさらに「天文台をつくる」ことに没頭していく中で、日常に少しずつ変化が訪れる。特に久志の家族に起きる小さな変化には、涙で文字が滲んでしまった。きっと彼らは、久しぶりに素直な気持ちで互いに向き合えたのだと思う。変化は千佳や修、和也、そして彗子にも起きる。巻末の解説にも書かれているのだが、最後まで読んだ後、改めて唯一彗子の目線で書かれた冒頭2ページを読み返してみると、最初に読んだ文と同じなのに、こちら側に伝わってくる彼女の心情がまったく違う。

私自身にも、遠い昔に置いてきてしまった感情、向き合わずに逃げてきたものがたくさんある。生きていくためには仕方ないのだと、もっともらしい言い訳をして。それでよかったのか? 自問自答することもたびたびある。答えは見つからず、時間だけが過ぎていく。諦め、惰性、閉塞感。今も迷子である。

人生、後は朽ちていくだけ。

この本は、そんなことを思った経験のある人におすすめしたい。たとえ小さな一歩でも、まだその先を望んでもいいんじゃないか。読後、そんな風に思える物語である。


いつもネガティブな人間が珍しく前向きになれたので、ここに書き記したくなりました。

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最後にもうひとつ。前向きになるなんてことは少ないので(笑)、これもよかったらどうぞ。私にとっての高校3年は、こんな年でした。


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