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小説は楽譜なんだよね。人生も。

三寒四温とは、冬に寒い日が3日続くと、それから暖かい日が4日ほど続き、次第に暖かくなっていくことを指す。
それから、谷崎潤一郎の『細雪』のタイトルは、当初は三寒四温さんかんしおんであった。あの、つらつらと続く、蒔岡シスターズの物語のタイトルとしては、実際そちらの方が正しいようにも思える。

今年は暖冬で暖かい。こういう、暖かい、という言葉を、川端康成は温かい、という漢字を使う。
小説を書くときに、どのような漢字を用いるかで、表現はその表情を変える。例えば、『山の音』でも、向日葵は日まわりと書いている。普通の人は、特に検索機能が発達しているPCやスマートフォンで小説やエッセイをそうしている人は、やはりどうしても向日葵やヒマワリでいってしまうだろう。でも、日まわりの方が美しいし、印象に残る。

川端康成はそういう、なんというか、まぁ、小賢しい、といったらなんだが、そのような表現が多いのだが、それも極めて行くと、なんだか、文章が溶けいくようで、そうして唯一無二のものになっている気がする。
小賢しいといえば、津原泰水も相当に小賢しい。人名は普通に生活していたら一生相まみえることのないような名字を使用し、喋る言葉はそれ以上、ならば、塚本邦雄はその極地の一人か。

文章には種類がある。小説、短歌、歌詞、俳句、詩、随筆、論文、作文、感想文、紹介文、報告書、惹句じゃっく、字幕スーパー、キャッチコピー、メール、LINE、つぶやき(ポスト)、などなど、たくさんあるのだが、やはり、芸術に連なる文章たちは楽譜であって欲しいものだ。

全ては文体である。その人の個性である。落語もそのようなものだろうか。あれは噺家が変わると同じ物語の色が変わるわけだから。まぁ、私はあんまり詳しくないのでなんとも言えないが。

小説をよく読む人は、その作者の言葉に惚れて、贔屓ひいきの作家が出来る。私にも何人かの贔屓にしている作家や映像作家がいるが(ほぼ故人だが)、彼らが紡ぐ言葉で天を仰ぐこともしばしばで、そういうときに芸術の喜びに浸る事ができる。言葉は伝達手段であって、それ単体では美しいものではない。いや、美しいのだが、それは、人々の共同幻想やその背景があって生まれる感情であって、贔屓にしている作家というものは、その読み手の持つ幻想の共犯者でありアジテーターなのである。本を読むときに、人は芸術という魔の森の中に秘匿された宝石を探しにいくわけであるから。

楽譜のなりをした地図を、芸術家は書かなければならない。

楽譜、といえば、私はNetflixで絶賛配信中である『マエストロ その音楽と愛と』を鑑賞していた。


監督はブラッドリー・クーパー。主演もブラッドリー・クーパー。ほぼ全編、出ずっぱりのブラッドリー・クーパー。

偉大な指揮者であり作曲家であるレナード・バーンスタインの伝記映画である。
ブラッドリー・クーパーは、数年前にレディー・ガガと共演しての初監督作、『アリー スター誕生』という作品を撮っていて、それは傑作だった。私はかなり好きな映画だが、2本目も音楽映画である。
然し、音楽映画、というよりは、まぁ、一人の天才指揮者とその妻との話であり、バーンスタインは同性愛者で、妻はそれにも気付くが、まぁ、然し、魂的な繋がりをこの夫婦からは感じられる。
前半はモノクロで、後半からカラーになる。1943年、彼が25歳の時から物語がスタートする。40年代だからモノクロの映像なわけだが、このあたりの映像は極めて美しい。映画もまた、どのように演出するか、どのようにカラーコーディネートしていくかでその作風が決まる。これもまた一枚の楽譜である。
大指揮者の病欠の代役で急遽呼ばれたバーンスタインがアパートの部屋から急いで服を着替えながら飛び出るとホールの廊下へとシームレスに移動していく演出はさながら魔法のように美しく幻惑的で洒落しゃれている。モノクロ時代、ノスタルジーの時代の演出はこのように、記憶が別の記憶へと飛んでいくように、現実が幻想めいてように彩られていて、素晴らしい。
反対に、カラーになると苦悩や夫婦間の歪み、愛情がより肉体性を持って立ち現れてくる。だからこそ、最後に妻を演じる若いキャリー・マリガンが微笑むモノクロのシーンは、その美しさを際立たせている。

この、死ぬときや走馬灯などで若い姿になり最愛の人と再会するという演出は、人類誰しもが持つ願望なのだろうか。
1999年4月2日に発売された『サガフロンティア2』の攻略本のアルティマニアにおいて、ウィル・ナイツがその死の床で、若くして死んでしまったコーデリアとそのときのままの姿で再会するシーンを描いたベニー松山のノベライズはとても素敵だったが……。

コーデリアってすごく美人。

とにかくバーンスタインを演じるブラッドリー・クーパーの完コピが素晴らしく、特殊メイクも相まって、本人にしか見えない。
そして、圧巻は最後の指揮シーンで、6分21秒の指揮のために、6年間修行を重ねたというそのプロフェッショナルぶりである。
6年間……。恐ろしい男である。これは最早ネテロであり、音を置き去りにしているといっても過言ではない。いや、音を置き去りしてはだめか、指揮者だし。

音速を超えるパンチ。夢やね。

6年間の重みを鑑み、アカデミー賞主演男優賞は普通に獲るのでは……と思われる。

まぁ、話がそれてしまったが、私が言いたいのは人生三寒四温、であるということだ。

3日間、寒い日が続いても、また温かい日が来て、そうして、春が来るのだ。だから、きっと今年もいい年になってくれるはずだと、そう願ってやまない。

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