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ライオンの視る夢

今敏の作品は基本的には、現実と妄想、夢と現、その交差を描いている。
映画監督しては、『パーフェクト・ブルー』、『千年女優』、『東京ゴッドファーザーズ』、『パプリカ』とあって、どの作品もそれが根底にあり、『千年女優』などは、虚構と実人生の交差を描いて、観客はだんだんとどちらが現実であるのか、或いは、どちらが現実であってもいいのではないかとと思えてくる。

5作品目の企画は『夢みる機械』でこれも夢を視るわけだから、同じ括りになる。或いは、アニメシリーズの『妄想代理人』であったり、大友克洋の『メモリーズ』における『彼女の想い出』でも、夢(悪夢)であり思い出に侵食される主人公たちの悲劇を描いている。

アニメは夢である。夢であり、魔法である。アニメーションの魔法使いは、恐らくは初期のディズニーであり、現役なら宮崎駿1人だろう。宮崎駿だけが魔道士足る資格があるように思える。
今敏は、アニメーションを使用して夢と現実を暴こうと、組み立てようと作劇していて、アニメーションを道具にしているが、宮崎駿は既に夢も現実もどちらも彼の中にあって、彼のアニメーションは夢そのものであり、ジブリは現実であって現実ではない。魔法使いのアトリエである。
押井守曰く、ジブリはライオンを飼うための人工のサバンナ、とはまさに正鵠を射ており、魔法使いが魔導の研究をする場所である。
対抗出来るのは演出の鬼である高畑勲だけで、ある種、ジブリという夢に全員(国民すら)取り込まれている。

今敏の本で、『KON'S TONE? 『千年女優』への道』という本があって、これは映画の製作日記のようなものだが、頗る面白い。


アニメーションの業界というものは苛酷を極めると聞くが、今作は読んでいて本当に辛くなる。が、他人の苦労話やトラブルは蜜の味である。
今敏は足りない人員で必死に作品を成立させるために、原画もたくさん描いて、動画のチェックも鬼のようにする。そのせいで目がおかしくなる。大変な仕事であると思わされる。

アニメーションは基本的にはたくさんの人で作るから、時には人に頭を下げてでも修正をお願いしなくてはいけないが、そもそも監督になる人間はレベルが高いので、レベルの低い仕事しか出来ない人に悩まされて、自分で直す羽目になったりするが、宮崎駿は自分で率先して描きなおすそうだ。
今のデジタルのアニメーションはどのように作られているのだろうか…?

アニメーションは、大勢の人が夢を視るために、夢を視ながら作られなければならない(いや、原則全ての芸術はそうであるべきだし、そうであってならない)。然し、あまりにも多くの人間が絡む共同幻想の実現には途方も無い船頭のビジョンが必要となる。
夢を作るために現実と闘ううちに、今敏の現実も夢のようになっている。そのように思える本である。
46歳で亡くなっていなければ、恐らくはさらに4本〜5本は新作が作られていただろう。

『夢みる機械』は、本当には誰かが引き継いで作られるはずだったが、凍結しているようである。映画にはお金がかかるので、難しいのかもしれない。



引き継がれたと言えば、先月から連載が再開された『ベルセルク』であるが、この作品はどうだろうか。三浦建太郎氏と親交の深い森恒二氏の監修の元にスタジオ我画が続きを描くわけだが、この熱い友情話には世間は感動している。

けれど、私個人としては懐疑的である。私は既に三浦建太郎氏の『ベルセルク』は終わっていると思っているし、続きを読む気はない。
何よりも、普通に描けばあと10年はかかるであろう漫画を引き継ぐことには素直にすごい決意だと感嘆するが、評価は少しのことで芳しく無くなり、もしこれで未完で終わらせたのならば、それこそ目も当てられないだろう。

スタジオジブリは、宮崎駿というライオンを飼うための人工のサバンナである。そして、三浦建太郎氏もライオンであったはずだ。ライオンの視ていた夢は、人間には視ることはできない
人間にはライオンの代わりになることはできない。


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