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サステナブルに疲れたら -私と古本編-

前回の記事では、「古着」を通して過去から現在に至るまで、私が自然と行ってきたサステナブルな行動を紹介した。今回は、「古本」をテーマに考えてみたい。

私は「本」が好きである。誰かの文章を読むことの面白さに気づいたのは高校時代だった。私は古着ファッションを楽しむのと同時に、読書も楽しんでいた。

きっかけは、高校時代に受けた国語の授業にあった。その授業では、現代文の教科書に載っている物語を丸半年かけて読み解くというものだった。テーマは芥川龍之介の「羅生門」だった。

半年かけて、その授業では物語を楽しむことの醍醐味を教えてくれた。指導要綱からは著しく逸脱していたと思うけれど、それ以来私は「羅生門」と芥川龍之介の大ファンになった。

以来、同時代の色々な作家の作品を読み始めていた私は、エキナカの本屋さんで一冊買っては家に帰ることが増えた。そんな生活をしていると、問題になるのが「お金」である。私の高校はバイトを禁止にしていたので、月数千円のお小遣いしかなかった。

もちろん、それだけでは足りなかった。図書館で借りればよかったのかもしれないが、愛する本はいつだって手元に置いておきたかった。

そういうわけで、私は「古本」を買うようになっていった。最初は、地元の「本を売るなら♪」でおなじみの古書店に通っていたが、念願の本に出合うことはあまりなかった。だから、だんだんと足は都心へと向いていった。

古本といえば、神田である。私は、なけなしのお小遣いを握りしめ古書店街に定期的に行くようになった。整然と本棚に並べられた、日に焼けた黄色っぽい分厚い本や、無造作に積んである文庫本の山をみてとてもワクワクした。この中にめちゃくちゃ面白い本が眠っていて、自分に選ばれるのを待っているのだと思った。

当時、古本は新刊の代替品という考えだったが、今は少し違っている。古本には新刊では体験できない面白味があると思う。

例えば、一般に流通していない「絶版本」を楽しむことができる。歴史に埋もれてしまった、作家に出会えるかもしれない。

あるいは、同じ著者で別々の出版社から出されている同じ作品を見くらべてみるのも面白いと思う。外国文学の場合、出版時期によって訳者が違う場合があり印象が変わることがある。

もう少しマニアックな楽しみ方としては、「書体」の楽しみがある。書体によって、読みやすさは大きく変わる。例えば「文庫」だったらどこの出版社でも同じだろう、と思うかもしれないが実際は違う。また、書体も時代を追うごとにバージョンアップされているので、その違いを比べてみるのも面白い。

なかでも、私は「装幀」に面白味を感じている。装幀とは、ざっくりいえばブックデザインのことである。膨大な本の山から、「面白そう!」と手に取ってもらうためには素敵な装幀でなければならない。すでに装幀の段階から物語が始まっているといっても過言ではないのだ。

特に私が好きな装幀家に杉浦康平さんがいる。彼は、日本のデザイン、ブックデザイン史に名をとどろかせる鬼才中の鬼才である。
彼の装幀に出会うきっかけとなった雑誌がある。それは、工作舎の『遊』である。1971年に創刊された『遊』は当時最先端の印刷技術とブックデザインによって完成した珠玉の雑誌である。特に創刊号から10号までが貴重だ。『遊』の装幀は一度見たら忘れられない独特なもので、「一体どんなことが書かれているのだろう?」とページをめくらずにはいられなくなる。
私は、3年くらいかけて創刊号から10号までをコンプリートした。我が家でもっとも希少価値の高い本たちだ。

一方で、一流漫画家がブックカバーを手掛けることもある。集英社文庫から出版されている芥川龍之介の『地獄変』のカバーは、「デスノート」でおなじみの小畑健さんがイラストを手掛けている。他にも夏目漱石の『こころ』や太宰治の『人間失格』などのカバーも手掛けている。歴史的な作家と大人気漫画家のコラボレーションは集英社だからこそ出来たことだ。また、装幀を変えることで有名文学に対する印象を変えることに成功した事例だといえる。事実、今あげた作品はすべて読んだことがあるのに、小畑さんのイラストを見た瞬間、「面白そう!」と思った

このように、「新刊」「古本」問わず、「本」には色々な楽しみ方を見出すことが出来る。とりわけ「装幀」には、時代ごとの流行・トレンドが反映されることが多い。だから、「この時代の本は、どういう人に読んでもらいたかったのだろう?」と思いながら本を選ぶことが出来る。古書店で本を選ぶ際の醍醐味かもしれない。

無題 68


「古いものを長く、大事に使うこと」。これは最も基本的なサステナビリティの一つである。しかしこの行動は、自身の「好き」や「こだわり」とセットでなければ長続きしない。私は、サステナブルだから古本を楽しんでいるわけではない。

むしろ逆で、「今までの行動を振り返ってみたら、サステナブルな文脈に相応しかった」だけなのだ。

今までの好きから、サステナブルをみつけだす。これがサステナブル疲れに対する特効薬である。だから、もし今読んでくれている読者でサステナブルに疲れている人がいたら、すぐに自分の中の「好き」に目を向けてほしい。なぜならば、「好き」を持続させることが、私たちにとって最もサステナブルなことだからだ

次回へ続く

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▼前回の記事はこちら

▼世界一の本の街「神田神保町」

▼古書店・バリューブックスさんのサステナブルな試み

▼工作舎『遊』について

▼小畑健さんによるブックカバーについて

▼おしゃれで綺麗なブックデザインについて

▼Z世代と共感されるサステナブルビジネスについて


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