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【名作映画感想】第7回『アルプススタンドのはしの方』

こんにちは、buchizashiです。

個人的名作映画感想を綴る第7回目は、城定秀夫監督、奥村徹也脚本、藪博晶原作、『アルプススタンドのはしの方』です。

前回のキッズ・リターンに続き青春ものに寄ってしまいました。春ですし。沁みる季節ですなぁ。。

この映画はタイトルから気になっていましたのを、コロナ禍という事もあり劇場で見れず、そのまま忘れておりました。「持たざる者」映画の匂いがプンプンしましたので。。その手の映画に弱い方は私だけでは無いはず。

聞けばこの映画は元々高校演劇の優勝作品(2017年の第63回全国高等学校演劇大会にて最優秀賞を受賞)の映画化だそう。それの指揮を執ったのはまさかのピンク映画、Vシネマのベテラン職人監督、城定秀夫監督とのことで、まだまだ謎の深まる制作過程、興味深まるイントロとなっております。

また、奇跡的にもコロナ禍で公開されたという事も大変意義深いのかなと思い取り上げました。

上映時間一時間ちょっとのとても短い作品で見やすいのですが、濃厚な青春映画です。

今回も
・あらすじ
・ご覧になられていない方へのオススメ
・個人的考察
・まとめ

の順で振り返って参ります。

あらすじ

ー「しょうがない。」から始まる、演劇部、元野球部、帰宅部の空振りな青春。5回表から9回裏まで、観客席の端っこが世界で一番熱い場所になって行くー。

高校野球・夏の甲子園一回戦。夢の舞台でスポットライトを浴びている選手たち観客席の端っこで見つめる冴えない4人。最初から「しょうがない」と勝負を諦めていた演劇部の安田と田宮、ベンチウォーマーの矢野を馬鹿にする元野球部の藤野、エースの園田に密かな想いを寄せる宮下の4人だったが、それぞれの想いが交差し先の読めない試合展開と共にいつしか熱を帯びていく・・・・・。

全国高等学校演劇大会で最優秀賞の名作戯曲を、名匠・城定秀夫監督が堂々の映画化。 

監督: 城定秀夫
脚本: 奥村徹也
プロデューサー:久保和明
企画: 直井卓俊
原作: 籔博晶・兵庫県立東播磨高等学校演劇部
キャスト:小野莉奈 平井亜門 西本まりん 中村守里 黒木ひかり 目次立樹
主題歌: the peggies「青すぎる空」
演奏協力:シエロウインドシンフォニー(吹奏楽部演奏)
応援曲編曲: 田尻政義
撮影:村橋佳伸
録音:飴田秀彦
スタイリスト:小笠原吉恵
ヘアメイク:田中梨沙
編集:城定秀夫
サウンドデザイン:山本タカアキ
助監督:小南敏也
ラインプロデューサー:浅木大
スチール:柴崎まどか
制作プロダクション:レオーネ
製作:2020「アルプススタンドのはしの方」製作委員会
配給・宣伝:SPOTTED PRODUCTIONS

アルプススタンドのはしの方」公式HPWikipedia より引用

まだご覧になっていない方への見どころ
~はしの方にいた私たちへ/コロナに泣いた君たちへ~

結論から言わせて頂きますと、私個人的には良作青春映画を見させていただきました、ありがとうございました!と言った感想です。すばらしかった。この登場人物達の誰かに、自分を投影してしまう人は多いんじゃ無いでしょうか。決して登場人物が特別な人として描かれるわけじゃないため、スクリーンの前にいる私たちの映し鏡として「そこにいる」実感を得させてくれるのだと思います。

ただ人によっては合う合わないははっきりと分かれるだろうな?とも思います。それはあまりに登場人物の「立ち位置」、すなわち「はしの方」にいた私を含むたくさん人達とリンクする当事者性が高い内容であるが故に、現実世界とのギャップが残酷なほど遠くの世界の出来事と感じる人もいるのでは。。?後ほど考えてみましょう。

「高校生活という青春まっただ中において、自分は表舞台に立てなかった経験をした。」そんな記憶を脳裏によぎるのは一部の人達だけでは無いはずです。

スポットライトの当たる人達は努力を積み重ねた、或いは才能にあふれていたのでしょうか。では、「はしの方」にいた人達はどうだったのか

努力しなかったのか?できなかったのか?そこにいた人達の気持ちは熱量が無かったのか。。。。。?

人がいれば人の数だけその答えは変わってくるでしょうし、青春映画として描き出すには生々しすぎる内容です。ひょっとしたら、どんなホラー映画よりも残酷な結末が訪れるかも。

しかし、一見してくすぶりかけた”敗者”に対して、決してドライで冷淡な描き方をするのでは無く、あくまで青春映画としての爽やかさを全身にまといながら、表舞台に立てていない者達の悲鳴を演劇としてフィクション化し、輝かしく燃えさからせる。そういったものをこの映画は成し遂げていると感じます。

いい意味でも、悪い意味でも、美談に出来ていると思います。

高校生らしい、荒けずりで、不器用で、けど激しく燃えさかる、激情に胸を鷲掴みにされ振り回され続けました。

きれいなタイトルカット。はしの方の距離感と、タイトルのはしっこ感。
これは埋もれるはずだった”石ころ”を磨き上げて宝石にした「美談」。
フィクションだからこそカタルシスがあるのかな。

またこの映画がコロナ禍に公開された意味合いは、タイミング的には奇跡かもしれません。主人公安田と田宮は、ある理由で「しょうがない」と部活を続ける事を諦めた二人である事が冒頭から描かれます。

公開2020年。この映画を見て、この主人公と全く同じ感情に包まれた高校3年生が一体どれだけいたでしょうか?悔しい気持ちを「しょうが無い」と封じ込めてしまった少年少女が何人いたでしょうか?想像するに残念で仕方ありません。そんな経験と、感情を抱いた今の高校3年生に是非見せてあげたい、優しいフィクションと思います。

さらには、「しょうがない」とはしの方にいたまま、はしの方で叫べないまま、大人になってしまった人達も大勢いて、私もその一人かもしれません。


ミニマムサイズの人間模様を描き続ける城定監督。
おじさん達も意外と「しょうがない」の気持ち、少し解るつもり
(言われた方は解るワケねーだろ!ってなるかな。)
こちらのインタビューが秀逸です。
映画ログプラス 「城定秀夫監督のモットー!青春映画『アルプススタンドのはしの方』公開記念インタビュー」

本気で取り組んだことは、きっと糧になる。「しょうがないなんて言うな!」

「がんばらなくたっていい、そのままの君でいて。」みたいなムードも増えてきた現代に「がんばって何が悪い?」とふっかけてる潔さみたいなものも感じました。是非ご覧になってください!

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ここからはネタバレを含む要素がございます。
ぜひ映画をご覧になった後でお読みください。

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個人的考察①
~演劇じゃなく、映画だからこそ出来る部分~

みなさんいかがでしたでしょうか。ノレた人、ノレナカッた人。分かれたのではないでしょうか。そこを分けるポイントは二つあると思います。

①この映画の「高校演劇の映画化」といったコンセプトにおいて、役者の演技を含めた「演劇感」と映画一般に求められる「リアル感」のギャップが飲み込めるかどうか。②そもそも主人公達の立ち位置である「はしの方」にいた/いる者達にとって、現実とどのように隔たりがあるのか。

だと思いました。私は①、②共に苦にはならなかったので良作としましたが、これらの部分にひっかっかちゃった人もいるのは事実だと思います。(しかも引っかかり方がヘビーであろうことも容易に想像出来ますが。。。)

映画はわかりやすく、原作の高校演劇の舞台をトレースするかのように、球場のはしっこ付近に偏ったミニマムな空間で寸劇が繰り広げられます。球場や野球部の活躍は音声アナウンスのみで描写は写さず、場面が変わったとしても位置的移動を追った動的なカメラワークはほとんどありません。

演劇の風景。まんま映画の舞台ですよね。
あたりまえだけど演劇に合う形でセットされる舞台設定。

役者達の演技に関しても、先のインタビューにあったように役者達自身が主導した演技演出を重要視していると監督は述べられておりました。役者のほとんどは舞台版から続投という形でキャスティングされております。自然と「高校演劇調」の演技、熱量が出るわけです。

これはリアリティとは一線離れており、確かに見始め当初はそこが気になり、画面全体の”不安定さ”が出てくる部分と思います。

監督も「演劇」の部分と「映画」の部分の共存、線引きが難しかったとされているようでした。このギャップを受け入れれないと違和感は引きずってしまうかも知れません。

話が逸れますが、「演劇」「舞台劇」のような「映画」、このギャップをかなり洗練して描けているなと思う映画を最近見ました。それは「1917 命をかけた伝令」です。

「007 スカイフォール」などを手がけたサム・メンデス監督の戦争映画。
話題になったワンカット風長回しの連続した映像、
絵画的な無機質な絵作り、
明らかに圧縮された時間軸、
流れるような場面転換。
最初に見たとき「まるで舞台劇を見ているようだなあ」と思ったんです。

この映画の魅力は、映画としてのスケール感と迫力を残しつつ、役者達の小さな感情の変化を絵画的に、連続した時間描写であるにもかかわらず圧縮されフィクション化されたリアル感を出すことで、意図的かは解りませんが”舞台劇”のような佇まいを見せておりました。先のギャップが極端に埋められた例かと思った次第です。

話を戻しましょう。この映画のわかりやすい”舞台演劇感”は最初違和感として観客我々の気持ちをハラハラさせます。それは最初彼・彼女ら4人の中に言葉として表現されない「腹に一物抱えた不安定感」が助長されてる気もします。

冒頭から前半「しょうがない」とふさぎ込み、どこかよそよそしく振る舞う4人の言葉は、”作り物”の台詞でコーティングして自分を守っているようにも見える。そこにハラハラしちゃう。

そんな中でふと”映画的リアル”な部分がギューッと入ってくるのは8回の攻撃が始まり、主人公達の感情が吐露されていく場面からです。

背景の木々は揺れ、夕日が強烈に差し込み出す。今まで舞台の一部でしか無かった観客と吹奏楽部達にぐっとカメラが寄って、その背後の主人公達を遠くに映す。なぜこの人達は全力で応援しているんだろうという気持ちが解け、自分たちも心から野球部を応援してしまう事で、観客と吹奏楽部と主人公達は一本に結ばれる。一人一人の顔映し出すことで「一人一人にエピソードがあり、頑張ってここまで来た!」という説得力を出しているように思えます。そこの部分は役者の演技的な台詞とは正反対に、台詞では無く映像で見せてくるわけです。渋い!

劇中写真はいいのが落ちてなかったので、これは実際の応援写真ですが、
これを映像的にリアルに表現できてたじゃないですか。

演劇的”虚”、映画的”実”

入り交じりながら映し出された、フィクション化された(そもそもはしの方が4人と制限している時点でそうですけど)美談はこうして壮大に盛り上げられ、終演を迎えます。制作陣より意図的にカタルシスを与えられるワケです。そりゃエモくもなりますね。

個人的考察②
~あくまで”フィクション”として。。。~

とまあ映画的な仕掛けだったりとは非常に優秀と思いますし、実際ぐっとさせられるわけです。GReeeeNが流れなくたって私は感動しました。

されど、あくまでこれはフィクション。「現実世界のはし方」は先ほども申し上げたように、こんなに色濃い青春に彩られているわけでは無い。。。と思う方も少なく無いんじゃないでしょうか?

いかんせん当時者性、立場的共感が強烈にマッチすればするほど、味わった現実と違うことで違和感をぬぐえない人だっているはずです。ライムスター宇多丸氏の映画評のコーナーのはがきに「今年一番の駄作!」とする人の気持ちも、わからいでは無い気もするんです。

まずあの4人ですけど、どうですか?皆頑張れてるじゃないですか。それでもって、ちゃんと一定のスキルを身につけたじゃないですか。

演劇部は関東大会の出場資格は持っていた。宮下さんは元学年一位。藤野君は。。藤野君は。。。えー。。。

あれだ、イケメンじゃねーか!
チクショウめ!

まあひがみになるわけですけど、持たざる者からするとこんなもんですよ。

そもそもね、はしの方に”そもそも行けなかった人”はこの映画には出てこないし、何に頑張っていいのか解らないままの人もいるし、もう見てられないって帰っちゃった人だっているわけなんですわ。実際は。

まあ、ひがみになるわけですけど。

ただいかんせん、この映画のテーマがテーマだけに、見る側の当時者性がエグいほど高かったりする可能性が高く、そのひがみスパイラルに入り込んでしまうのは避けきれないし、結果「はしっこからメジャームーブメントに流されちゃって、真ん中に寄ってって終わるのかよ。。。。じゃあそのまま大人になった俺は、、、、」と怒ってしまうのも、わかります。

そうは言ってもよう。。。

すこしふざけましたけど、まじめにもっと考えると、自分の要素だけの問題じゃ無くて

ケガ、障害、家庭環境、いじめ、非行、はしの方にいる理由、はしの方にいれなかった理由、人によって様々で、「はしの方」とひとくくりにするのはいささかデリケート不足かも知れないということは覚えておかなければいけないし、はまれない人がいることは当然と思わなくてはいけないのかなと思う次第です。

個人的考察③
~それでもやっぱり頑張ることを否定しない~

それでも、やっぱ私はこの映画は良い映画だったと言いたいんです。

決して最後に矢野君が努力の果てに栄光を掴んだからいいと言っているわけじゃございません。

これは矢野くんではなく、
名作映画「桐島部活やめるってよ」のキャプテン。
「先輩、なんでまだバット振ってんですか?」
彼はドラフト呼ばれなきゃ物語は終わらないのかな?
いやいやバカな、そんなはずは無い。
ちなみによくこの映画と比較される桐島の原作者・朝井リョウ氏と本作原作者・籔博晶氏は大学同期、同学部なんだって。そんな事あるんだね。
詳細はこちらから。

栄光に結びつけることが出来なかった努力というのは「しょうがない」としまい込んでいいものでは無いんじゃないでしょうか?と言う部分に登場人物がぶつかっていくところに、凄く琴線を振るわされました。

安田さんの葛藤がどれだけ心に傷を負いながらのものだったのか、
田宮さんの自責の念と素直にまだ頑張りたい気持ちはいかほどか、
藤野君のチームメイトへの想いと嫉妬、あの場に足を踏み出す勇気、
宮下さんと久住さんの努力とプライド、

これらの気持ちの熱量は並大抵のものでは無くて、しまい込むには人の心は小さすぎるんじゃないでしょうか。

そこにデリカシーのかけらもないアホの先公・厚木先生のピュアすぎる一言「しょうがないなんて言うな!」は本人の意図しないところで引き金になり物語を進めるわけです。

だからといってこの人を肯定する気にはさらさらなれない
が、物語の起爆剤と可燃材としてだけ一役買っている。

熱量が大きかったからこそ、安田さんは皆に怒り、そして再度出場を決心する。勇気を出して大声を上げて等しく頑張ってきた者を応援する、その向こうに等しく頑張ってきた自分(はずの自分)が見えるからですね。

ライバル久住さんに賞賛を叫ぶ、宮下さん、返す久住さん。
何や君ら、最高か。

素直に頑張ること、頑張った来たことを肯定する事。気恥ずかしく難しいし、なんなら最近は「無理しないで、そのままの君でいて」ムードもありますから、一概には言えませんけど、それでも努力することを否定したくは無い。頑張ったっていいじゃないか。そこには勝利だけでは掴めない感情の爆発があるんだと信じてたい。地区予選の敗者の涙も美しいのが高校野球ぞ。

やっぱり、この映画は良かった。。たとえひがんだとしても、そう言いたい。

まとめ

いかがでしたでしょうか?賛否両論あると思いますが、映画としての作り込みや仕掛けとしてはかなり良作と思いますし、さらに感情が乗っかればそれはベスト級に上る映画と思います。

城定監督の作品は残念ながらまだ今作しか拝見できてませんが、フィルモグラフィーをみるに今回は相当異色の作品に思えます。ですが、高校演劇というミニマムな人間群像劇を描くには非常に得意ジャンルなんだろうなとも思いますし、次回作や過去作も気になるところです。多分ですけど、推理ものなんかいいんじゃないかなーなんて。金田一耕助シリーズなんか、見てみたいなあ。

青春映画はいくつになってみてもいいもんです。さらに娘が今後どの様な人生を送るのか、を画面の向こうに見ると不安と期待がにじみ出ます。

SRサイタマノラッパーシリーズ配給のSPOTTED PRODUCTIONS、尖った作品を今後注目しましょう。。。。(意味深)

次回は洋画に決めてます。邦画続きましたので。何を書こうか、楽しみです。

感想、リクエスト、お待ちしております!それではbuchizashiでした。

ラストはマイベストキャラ 田宮さん。
宮下さんとのシーン「割と好き」の概念をインプットされて
宮下さんの意識が大分ほぐれる重要なシーン。
田宮さん!あんたいい奴だな!でシメ!


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