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【生々しい話】大学教員になれるか、なれないかー両者を比較ー

大学・研究業界の生々しい話、現実について綴ります。大学教員を目指して奮闘中の公募戦士にはなんとしても戦線を勝ち抜いていただきたく、研究者としての一歩を踏み出した院生の皆さんにはやがて直面する現実への備えをしていただきたく、研究者を志す学部生・中高生には覚悟を固めるために現実をお見せしたく、錯綜する気持ちを正直に本稿に込めます。自分の体験談と、身近にいた(いる)方のかなり生々しいお話しです。

モチベーションを是非上げていただきたく、今回は大学教員に「なれた」後の話から始めます。

1.大学教員になった後で得たもの

大学に専任教員として勤めるようになり、なんと言っても精神的な安心感を得ました。この先定年まで、とりあえず食いっぱぐれることなく研究・教育に従事することができるのです。何の心配もなく家庭を持つこともできます(すでに所帯持ちです)。こんなに素晴らしいことはありません。

具体的なことを晒します。まずは給与。私は28歳で某大学の専任講師に採用されました。初年度に大学側から提示された年収は、月額+賞与+諸手当で700万円強です。これに加えて他大学での非常勤、外部講師、雑収入等が年間100万円ほどありましたので、私の初年度の額面年収は約800万円です。金額から察しが付くかとは思いますが、所属は経営が安定した都市部の私大です。かなり恵まれている方だと思います。私の高校・大学の同級生はすでに社会人としてキャリアを積みながらバリバリ稼いでいましたので、ようやく肩を並べることができたといった感じです。

親戚・世間的な評価もがらりと変わります。まず家族。特に妻の両親です。D3の時、私の将来を心配しつつも結婚を許してくださりました。就職したときは大喜びで祝福してくださり、妻と共に新天地に送り出してくださいました。私の実家も一安心といった感じです。世間の評価も一気に変わります。20代後半・学生の身分から、20代の「学者」(口が裂けても自称はできませんし、自覚もありませんが)に化けるわけです。仕事を聞かれた時のウケは抜群ですし、取材、外部講師、各種委員の依頼も受けるようになります。

研究自体も、私の場合はより充実してきたと思っています。科研費に応募する資格も得ますし、大学から個人研究費も貰えますのでより自由に研究を進めることができます。もちろん教育や学内業務との兼ね合いは考えなくてはなりません。ただ、そこは多忙なサラリーマンと同じ。一般の企業人と違うのは、自分の思うがままにタイムマネジメントできる点です。裁量労働制ですので、私は特定の曜日・時間は研究に充てると決め、家か研究室で研究を進めています。有意義です。

このように、精神的な余裕、収入、世間の評価、研究と、文句の付け所がありません。もちろんこれはほんの一例です。採用される大学によってはもっと素晴らしい待遇もあるでしょうし、国公立は渋めです。現に、私が採用辞退した国公立大から提示されたのは、年俸制・月30万強でした。ただ、後述する「なれなかった場合」の待遇と比べればそれでも十分です。

2.大学教員になるまでの生活

私の実家は金銭面で全く太くありませんでした。私は学部生の時から奨学金を借りつつ授業料減免措置を受け、バイトで学費・生活費を稼いでいました。修士課程の時には、バイトを2,3掛け持ちしつつ、学費のため奨学金を借りつつ、寝る間を惜しんで勉強していました。月の収入は奨学金を含めて約16万円、当然仕送り無し。ひとり暮らしをしていましたので、ここから学費と生活費を捻出しなければなりません。完全に「その月暮らし」状態で、月末には生活費の残高数百円というのが常でした。国費で1年間研究留学し、その間休学していたため、修士課程には3年間在籍していました。

博士課程に入り、生活自体は少し余裕が出てきます。残念ながら学振DC1は不採用だったのですが、学内のあるプロジェクトで調査員を任され月10万円ほど稼いでいました。他にも予備校講師を継続していましたので、月の収入は20万弱といったところです。バイトで雁字搦めになることがなくなり、研究をそれなりに前進させることができました。博士課程2年次には学振DC2に採用され、とりあえず月に20万円を確保します。その他、他大学で非常勤を任されるようになりましたので、月の給与は約25万円ほどになりました。ここで、調査員と予備校は辞めます。学費は半額免除を受けていました。博士課程修了までの2年間はこのような感じ、最終的に28歳、年収約300万円でした。28歳・年収300万をどのように評価するでしょうか。学歴的に割と冷遇な気がしますが、これでも学振に採用されていただけだいぶマシです。博士課程(大体アラサーに差し掛かるあたりの年齢)の50%は無給、25%が年収60万円以下、25%が年収60万以上(600万じゃないですよ!!)。これがこの業界の現実です。

収入面で渋いことこの上ないのですが、さらに追い打ちをかけるのは世間体や精神面です。まず世間体。これはどうしようもありません。アラサー・学生です。職業欄をどう書くか、みなさん迷われると思います。この問題は、学振を取ることで何となく解決しました。「研究員」と書けるからです。嘘ではありません。アラサーで学生というのは、正直書くのにためらう方が多いのではないでしょうか。何とか別の書き方をするとすれば「研究員(自称)」でしょうか。とにかく苦しいです。精神面もキツいです。大学教員の高い壁を越えることができなければ、その月・その日暮らしの生活が継続する。貯金など夢のまた夢。私はそれまで学振の収入があった分、その後についての猛烈なプレッシャーを感じていました。

3.大学教員になれない(なれなかった)方の話

はじめにお断りしておきますが、これはあくまで私の身近な方の話です。必ずしも一般化しうるものではありませんのでご承知おきください。

私が博士課程に進学したとき、所属研究科には40代の方が4,5人在籍していました。博士号持ちの研究員、博士号なき研究生等、立場は色々です。みなそれぞれ非常勤を掛け持ちしながらなんとか生計を立てていました。その内1人はすでに結婚し子どもがいました。パートナーさんの扶養に入り、収入が108万円を超えないよう注意しつつの生活です。子どもさんから「パパのお仕事はなあに?」と聞かれることが辛いとおっしゃっていました。1人身の方も、非常勤でなんとか生計を立てていました。毎週授業を組み立て、テストを作り、採点し、休暇中は収入が絶たれ、来年度雇用の保証はない。それでようやく300万円前後だそうです。しかも、生計を維持するために働かざるを得ず、研究も進まない。完全に悪循環だとぼやいていました。

収入的に家庭を持つことなど夢のまた夢、それどころか定職がないため相手などできない、職業欄ははっきりしない、学歴は華々しいが年齢がかなりいっているため他への逃げ道もない、研究はなかなか前進しないーこれが、私の周囲の大学教員になれていない方の現実です。先述したように、皆がこうなのかは分かりかねます。私の専攻分野は社会科学系の中でも生存競争が過酷な分野(博士号取得者の約3割が消息不明になるといわれています)ですので、他分野はもう少しマシかもしれません。

実際、この4,5名の方は、1人(妻子持ちの方)を除き現在連絡が取れない状況です。非常勤先からも消えてしまったそうです。どうなったかは存じ上げません。

4.まとめ

大学教員になれるか、なれないかはその人の人生を大きく左右します。左右しすぎるほどです。私の周りには、消息不明になった先輩方の他に、見事大学教員の座を射止めて巣立った先輩方も多くいます。彼らは、現在准教授、専任講師、助教として活躍されています。みなゆくゆくは教授として学界をリードしていくのでしょう。一方、公募戦線で敗れ続けた先は闇としか言い様がありません。

この業界は、闇が深すぎます。大学教員を志す人は、「逃げ道」を確保したうえで、覚悟を決めてください。そして、なんとしてでも大学教員の夢を実現できるよう、全力で研究に取り組んでください。

公募戦線の行方を左右するのは業績だけではありません。以下の記事や既出の記事では、大学教員への「道」について記述しています。有料のものもありますが、無料部分だけでも参照するに値すると自負しています。

少しでも参考にしていただき、みなさんの教員への輝かしい一歩への一助とならんことを願っています。お読みいただきありがとうございました。


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