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若菜りお の プロフィール

SNSを始めたきっかけ

私が、SNSの投稿を本格的に始めたのは、化学物質過敏症を発症した中で、社会福祉が整っている病気でもなく、家族の支えもなかった時があったもので、1人ではどうにも生きられず、声を上げたことがきっかけです。

あれから10年が経ちます。

あの頃、化学物質過敏症を発症して、自宅に住めなくなり、転々としながら、呼吸困難の発作を起こすといった体調の中で、何とか身体を休められる場所を探してきました。

当時は、化学物質過敏症についての情報もほとんどなくて、暗中模索の中、手を差し伸べてくださった方々がいらっしゃったこと、今でも、気持ちの中でも、支えになっています。

こんなかたちで始まったSNSだったもので、SNSで自身の経歴などをお話する機会がありませんでした。


若菜りおの経歴

病気をして以来、10年、社会からほぼ離れていました。今も社会生活が営めているかというと身体的に難しい状況です。

過去の経歴は置いておいて、noteを書き始めようかと迷っていました。

経歴に関わらず、アウトラインというものは、自分の意図しないところで、意図しない方向に、アウトラインだけを勝手に作り上げられていくような、でも、言葉を紡げば紡ぐほどに、その輪郭から離れた話しばかりが、広がっていくような、そんな一面もあります。

だから、いつからか、私の言葉は、引き算のようになっていて、何を言うかではなく、何を言わないかという中で、言葉の溢れるSNSの世界で、秒単位で紡がれる言葉を眩しくも、傷ましくも思いながら、自身を話すというところからは、距離をおいてきてしまったように思います。

個人の経歴は、表に書くことでもないと思っていたのですが、書かないことで、逆に、余計な憶測が生じるのかもしれないと思うに至って書き始めました。

この経緯はAmebaに記載しています。



学歴と英語について

学歴の詳細に関しては、公にしていませんが、

大学と大学院で、人権と国際法を勉強していました。

大学周りの友人の就職先などは、国内外多岐に渡り、半数程は、日本に滞在していないような環境です。

noteでは、海外の文献なども取り上げているので、英語力についても記載します。

オンラインではTOEIC900点はないと書けないような雰囲気で書きにくいのですが、TOEIC800点代になります。

英語ができるとは決して言えませんが、日英翻訳の経験などが10年あります。


ミス日本、ランウェイモデル

学生時代からモデルとして仕事をしていました。

他薦でミス日本の選考のステージに立たせていただくご縁がありました。

その折りのミス日本ファイナリストの経歴から、海外のディレクターに声をかけていただいて、ニューヨーク、ミラノ、ロンドン、など、海外のファッションショーでランウェイモデルを務めました。

ランウェイモデルとしての仕事だけではなく、海外のマスコミのインタビューに応えたりということもありました。

仕事とプライベートで20カ国以上訪れています。

アナウンサー、MC

FMラジオ局アナウンサー。

国際会議司会、国際展示会、モーターショーなどのイベントMCもしていました。


小説最優秀賞受賞

化学物質過敏症を発症してからは、通勤なども難しくなってしまいまして、在宅でできることをと思い立って、小説やエッセイを書き始めました。

ファンの皆さまのおかげで、オンラインの携帯小説にて、最優秀賞、優秀賞と、数々の賞を受賞させていただきました。

病気の中でも、小説の定期連載やエッセイなどのライターのお仕事をいただいていました。

しかしながら、重い病状に、次第に執筆も困難になりました。


化学物質過敏症の発症

化学物質過敏症を発症した当初は、食物不耐性がひどくて、飲食できるものも限りなく少なかったです。食事をするだけで1日消耗してしまうこともありました。

化学物質過敏症の過敏状態も重く、あらゆるものに反応するような状態で、暖房もつけられず零下で過ごしたり、雨で身体を洗ったり、服も着れず裸で過ごしたり、3日に1度も起きられなかったり、そんな状態なのに自宅にも居られないなど、SNSに書くのも憚られる生活でした。

1年のほとんどを化学物質などを避けて転々と移住していた時もありました。


突然の化学物質過敏症の発症で、生活が大きく変わっていきました。

今では、発症から10年になりますが、超重症から重症くらいに回復しています。

生活の不自由も多岐に渡り、発作で苦しむ日もありますし、起きられる時も多くはないですけれども、また少しこうして文字を書くことができるようになりました。

仕事は、まだ積極的に受けられる状態にはないですが、時折、オンラインで、仕事を受けるようになりました。

未だに、1日のほとんどは療養だけで過ぎてしまいますが、毎日したいことと、できることがあって、些細な日常にしあわせを感じています。

とはいえ、私の病気は、環境病なもので、周りの環境次第のところも大きく、先々のところまでは、何とも言いがたい身体です。


重度の化学物質過敏症の生活

重症になると、患者の生活の質、QOLを落とし、人としての生活を困難にする病気ですが、未だ、社会のどこに助けを求めれば良いのかわからないままで、重症であればあるほど、社会との繋がりも絶たれてしまって、声を上げることもままならない病気です。

「重度の化学物質過敏症の生活について」


難病について

物心ついた時から、難病を患っています。

化学物質過敏症は、重症になると、他の病気の治療も難しくなります。

医療の進歩が間に合って、難病の治療法が解明して、化学物質過敏症も良くなって、治療も受けられるようになったらいいなと願っています。

MCSIA (MCS国際協会)理事

発症から10年を経て、
MCSIA ( MCS国際協会 )を発足しまして、理事に就任しています。

化学物質過敏症を発症して以来、病気と社会を取り巻く状況から、さまざまな学びがありました。

MCSIAでは、MCS(化学物質過敏症)の観点から、広義な意味での社会の環境改善の取り組みを行っています。

人と環境に優しい命のための豊かな未来を目指しています。

国内外の機関と連携を取り、国際的な繋がりの中で、取り組んでいます。

WHOコンテストにて、化学物質過敏症のプレゼンテーションを行う動画制作に携わっています。

障害の垣根を越えて、MCSに限らないシンポジウムにて登壇させていただいています。

国際的なメディアのインタビューに応えるなど。

MCSIAは、国内外で活動を行っています。

noteに寄せる思い

今も、生活の不自由は続いていて、支えられることばかりの毎日ではありますけれども、少し身体がついてくるようになってきた中で、あの頃のSOSとは違ったかたちで、SNSでできることがあればと思いながら、綴り始めています。

活動の応援として、ご寄付いただけましたら幸いです。 🍀応援ありがとうございます🤝🍀