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“絶対に映像化不可能”と言われた男(短編小説)

カメラがちゃんと回っているかをカメラマンに確認した。

OKの返事。

チェックモニターにはもちろん彼は映っていない。

実際には彼は私とハの字で向き合うように椅子に腰掛けている。

老いて痩せた体。日焼けした顔には深くシワが刻み込まれている。人の人生の何倍も疲れたかようにどっかりと深く腰掛けている。

“絶対に映像化不可能な男”

人は彼をそう呼んだ。

どんな方法で彼を映そうとしても絶対に彼は映らなかった。

そんな彼の人生をハリウッドの名だたる映画監督たちが映像化しようとして失敗してきた。

興行的に、という意味でではなく。物理的、物質的に、だ。

彼を演じようとする役者でさえ映らなくなってしまうのだ。

『星が天空を巡り、月の影が太陽を覆うとき……』

まるで彼の人生にそんな感じのピラミッドの呪いみたいな何かがかけられているかのように……。

彼の存在は私のジャーナリズムに火をつけた。

滅多に公の場には出ない彼だったが、粘り強い交渉の末に、今夜のインタビューにこぎつけた。

このインタビューの収録は撮影スタジオではなく、彼の指定した隠れ家で少人数のスタッフによって行われる。

今までインタビューによって数々の大物の本音を引き出してきた私のキャリアにとって、今夜は特別なものになるだろう。

マイクテストで何か言って欲しいと頼むと、「何も言うことがない」と言ってくれた。

どことなくカメラ映りの良さそうな笑みを浮かべて。

絶対に映像化不可能と言われた小説だってほとんど映像化されてしまった。

彼の真実の言葉を引き出したい。

私は硬い椅子をさらに硬く感じながら座り直す。

カメラに映らない彼を見据えながら……。

今の気分は……、例えばニクソンの政治生命を終わらせるインタビューをしたフロストのそれとは違う。少なくともニクソンはカメラに映った。

絶対に映像化不可能な男は目を閉じてその時を待っている。「全て話すつもりだ」と事前の打ち合わせでは言ったらしい。

ディレクターの合図。

私はインタビューを開始した。

◆    ◆    ◆    ◆

彼は彼の人生をひとつひとつ丁寧に思い出しながら語った。

彼がひとつ思い出して語るごとに我々は言葉を失っていった。

その内容が信じ難いものだったからだ。

なんと彼は過去のあらゆる歴史の転換点の場に居合わせていたというのだ。

まるで暴露本何冊分もの、その場にいなければわからないようなことを次々と惜しげも無く披露していった。

「全ての古い記録映像をチェックしてみるといい、ワシが映っているはずだ」

急いで本社で待機しているスタッフに調べさせる。

返答を待つ間、彼が囁くように私に話しかけてきた。

「君、結婚は?」

「してますが」

「愛とは何かね?」

「はい?」

「愛とは相手の中にある見過ごしがたい欠点に芽生えるとは思わんかね?」

「さあ、相手によるのでは」

私は先程の結果の方が気になって、少し受け流し気味になってしまったが、男は満足そうに頷いていた。

本社から連絡が入る。

なんと、まさか、全ての記録映像に彼は映っていると言う。

先ほどまで語っていたことは全て本当のことだったのか。歴史の教科書が塗り替えられるレベルの新事実ばかりじゃないか。

信じられない。それに、彼は“映る”人間だったとは……。

私は気を取り直してインタビューを続ける。

「つまりあなたはこの世界の真実を傍で目撃し続けてきたわけですね」

「ワシはあなたがたが思っているよりももっと真実の近くでそれを見ていた。だがワシは真実ではない。ワシはただの現象に過ぎない」

「歴史的瞬間に立ち会い過ぎたことによりあなたはカメラに映れなくなった……、そういうことですか」

「そういうことだろう」

彼は水を飲み。

私もそうした。

その時、カメラマンが激しく合図を送ってきた。

『彼が映っている』と。

そう、ついに彼は映像化されたのだ。

思わず喜びをあらわにしてしまった私に彼は静かに言った。

「おめでとう、君は歴史に名を残した」

“絶対に映像化不可能だった男”は少し顔に影を作った。本当の何かを言っていないように見えた。

長い収録が終わり、彼は静かに去って行った。

我々は興奮の冷めないうちに編集作業を終えて公開しようとした。

だが、できなかった。

この世の中には歴史の教科書が塗り替えられては困る人たちが沢山いるのだ。

我々は、この世界の秩序をつくる側の人間たちの圧力に屈した。

彼のインタビュー映像は揉み消され、真実は闇に葬られた。

私が残した名は汚名だった。そのことを彼はあの去り際に予言したのだろう。

その後、彼が公の場に現れることはなかった。

私はあのインタビューの後、カメラに映りにくくなってしまい、降板した。

だが、あの世紀のインタビューに悔いはない。

人にあの時のことを時々聞かれる。

私はこう答えることにしている。

「今日も真実は彼と共にひとり歩きしているだろう」と。



                        終

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