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おじさん観察日記(主に大学教員)①

高校を出てから30代に突入したこれまでの期間、幾度となく教職の「おじさん」との関係に悩まされてきた。

初めは大学入学直後、専攻の准教授との関係を拗らした。
大変に真面目で熱心な学生だった私は新任のその先生に大層気に入られ、
夢溢れる純朴な心持ちで輝かしい経歴のその教員との師弟関係を歓迎していた。
しかし夏休みも過ぎた頃、教員の挙動が怪しくなり始めた。
他の学生の前での明らかなエコ贔屓、密室空間での容姿への言及、学業に関係のない私的なメールの送信、好意の表明、頭ポンポン、複雑な家庭環境の告白、腹違いの妹と私の名前が同じだということ(知らんがな)

車の助手席に乗せられ、妹と私を重ねてみてしまっていること、それもあって特別な思い入れを抱いていること、などを告白されたとき、19歳の私は、あー、これ、多分アカンやつや、とようやく気がついたのである。
異性間でのいざこざにおいて女性側に対し自衛の意識が足りないと非難する声は未だ根強いが、親子ほども年齢が離れている相手に、異性として(劣情を抱いていた異母妹を投影して)見られるという発想が恋愛経験のない田舎娘にできると思うか?想像力豊か過ぎやしないか?
この教員と親しい別の専攻の先生に相談し、周りにも誤解されてはまずいし、健全な師弟関係でありたいため距離感を考え直しましょうと3人で和やかな話し合いがもたれ、一件落着かと胸を撫で下ろしていたのだが、今一歩遅かった。

時を同じくして、おそらく同専攻の先輩が学内ハラスメントアンケートに私と件の教員との関係を「不倫」として報告したらしい。教務から専攻主任に連絡が行き、問題の教員へ軽い注意が行われた。専攻主任は不倫があったとはもちろん考えていないが、このような指摘がされてしまうような言動は慎むように、と伝えただけらしいのだが、問題の教員は一連の流れを私がハラスメントとして報告した、和解の話し合いを設けた上で、これは裏切りだ、とミラクル解釈し、激昂。これまでのエコ贔屓が手のひら返したように見事に反転した。(ついでに注意を促した専攻主任にも敵意が向けられ、主任の退官まで嫌がらせや攻撃など大変な事態に発展したらしい)
ことの経緯を知らない私は「話し合いしたのに?」と態度の急変に困惑、数ヶ月して上記の経緯を知ることになる。
(その後の経験からも確信しているのだが自己愛に問題を抱えている人物は「裏切り」というワードを多用する。あんたとなんらかの密約を結んだ覚えはないのだけど、という場合がほとんどである)

ほのかなセクハラは指導放棄に始まり、攻撃的なアカハラへと進化を遂げ、卒業まで大変苦しい境遇に置かれ精神的に追い込まれてしまった。

これが人生で初めて、所属する組織内で「女」としての市場価値を勝手に付けられることの厄介さを自覚した出来事であった。

そして中年以降の男性の攻撃性や弱さ、卑屈さ、生きづらさ、を考えるきっかけにもなった。

大学卒業後、修士時代には件の教員の指導放棄から救ってくれた、人生で一番尊敬している恩師から同衾を求められるというトドメを刺され、研究を続ける意欲を完全に無くしてしまった。この先生のことは今でも大尊敬しているので、つい最近までことあるごとにこのことを思い出しては深く傷ついていた。

改めて言及するが、両教員とも頭ぽんぽんや添い寝の強制はあったものの、直接の性的な肉体接触はされていない。これを幸いととるかはまた別問題であるが、悩みを相談した相手には「レイプされたわけでもないのになぜそこまで落ち込むのか、大袈裟ではないか」という二次加害発言を誘導してしまう要素になった。


上記学生時代の経験で私が何に傷ついたのか整理しよう。

・勝手に「女」にされること。
 田舎にいたころは容姿に言及されることもなく、恋愛をしたこともなかったため、「性的に見られる」ということに対し自覚的になったことはなかった。男兄弟のなかで育ったこともあり、自分のことはどちらかといえば男性的だとさえ思っていた。それが大学に入った途端、学生教員男女問わず、容姿をジャッジする発言を投げかけられることが急増した。それが例え肯定的なジャッジだったとしても、素直に誉められた気分にはならず、妙な居心地の悪さを覚えた。その誉めの裏には嫉妬や消費などの本意が隠されていたからだ。高校までは「子供」としての扱いしか経験がないのに、大学に入った途端「大人」、いやもっと正確な言い方をすれば「性交渉可能な、性的に消費可能な対象」として扱われるようになった気がした。自分は自分のことを子供でも大人でも女でもなく「人間」だと思っていたので、ここをすっ飛ばされるとは思いもしなかったのである。

・認められたのは「優秀な学生」としての価値ではなく「若い女」としての価値
 先生たちに評価されることは純粋に嬉しかった。親の反対を押し切って進んだ分野で、ようやく自分のやりたいことを真剣に学べると思っていた分、その道の専門家に課題や視点を評価されるのは、自信にもつながった。先生たちが特別に資料を見せてくれたり、自主的な課外授業に連れ出してくれたり、さまざまな経験を積ませてくれるのは、自分が見込みのある学生だと思われているからだ、という気持ちにさせられた。こうした面がゼロではなかったかもしれないが、最終的にどちらの教員も私を「若い女」として消費しようとした。先生たちが私に良くしてくれた理由に、私の容姿や性別や年齢がどれくらいの割合で貢献したのだろうか。実力で評価されたと思っていた自負が、ガラガラと音を立てて崩れていくのを感じた。些細なことと思われるかもしれないが、私自身にとっては実存の危機に関わるくらい重大な気づきだった。何をしても、私を私として、尊敬する人に見てもらえないという絶望があった。尊敬する人の目には私は単なる欲望の吐口になる可能性がある存在としてしか見られていない、というのはなかなかの暴力だった。

・矮小化と自己卑下
 上にも書いたように、彼らとの関係を第三者に相談すると問題を矮小化されることがほとんどだった。実害がないのに大袈裟であるとか、立ち回りが下手だとか、隙があるのが悪いとか。不本意な事態に陥った時、人間は理由を探すことで落ち着きを取り戻そうとする。至極自然な防衛反応である。そして原因を外部に見るか内部に見るか、内向的な私はもちろん内部に見た。相談者からの返答の影響もあり、他人は変えられないのだから自分が変わるしかないのだというしたり顔の世間の言種にも巻かれ、すべて未熟な自分が蒔いた種だとして自己卑下に陥った。自分を責めたところで事態はなにも改善しないので、ただただ耐え難い数年を過ごし、カウンセリングに通ったり服薬したりしては虚無に苛まれるループで20代のほとんどを費やした。

鬱に苛まれている期間、9割は死んでしまいたいという気持ちだったが、1割は鬱のままでいたいとは思っていなかったので、自分なりにいろいろな本や文章を読んだ。活字が目を滑る時期は長く、それでも何か気づきを得ようと最終的には意識を戻していた気がする。ゆっくりと、自分の思考の癖に、その原因に向き合い、理解が深まってくると、問題の教員たちの背景にも、自然と思いを馳せるようになった。

不適切なコミュニケーションをとってしまう我々の大半は、単に対人関係の構築の経験が不十分なのだと思う。
機能不全家族の中で育ち、愛着に問題を抱え、大人になり、支配できる、甘えられそうな対象に、幼少期の叶えられなかった願望を、とても下手な形でぶつけてしまう。
言語化する習慣もないから、思いはすれ違い続ける。


大変冗長でまとまりもないが、ここまでがプロローグである。
おじさん観察日記①と題したが、この文章は目下あらたに厄介な関係になりつつある職場の上司(研究機関の教員)とのことを書き連ねていきたいがために書き始めた。

メンタル暗黒期を経て多少回復し、ものごとを楽しむ余裕を手に入れ始めた頃、この上司は現れた。
このキャラクターを次回の②で詳しく書いていこうと思うが、主に以下の内容がキーワードになる。
・反ワクチン
・陰謀論
・男尊女卑
・反トランスジェンダー
・セックスレス

鬱の期間に彼に会っていたら無視以外の選択肢はなかっただろうが、中途半端に元気になっていた私は、彼に目をつけられ言動を聞いているうちに、「すごい、ネットでしか見たことないようないわゆる弱者男性っぽいこと、面と向かって言ってくる人、生で初めて見た」と、面白がってしまった。
これまで厄介な関係になったおじさんたちは、表面上は、学生に手を出そうとすること以外はまともであった。少なくとも反ワクチン論やその他陰謀論を新人の部下にメールで送りつけてくるというような人種ではなかった。
弱者男性の思考回路の理解になるかと思い、観察する気持ちで、構って欲しがっているこの孤独な中年男性と会話してみよう、と思ってしまったのである。(つづく)

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