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タワマン文学#11青山

 煙草を吸い始めたのはいつからだっただろうか。6Fのこの部屋のベランダから青く光るスカイツリーは小指の先っぽくらいの大きさで見える。最後の一吸い、切れかけた蛍光灯のような音。くしゃくしゃのアルミホイルに短くなった煙草をおしつけた。

 7月になったばかりなのにひどく暑い。6月は梅雨、7月から徐々に暑くなってきて、8月上旬がピーク、それ以降は残暑で徐々に下がって行くという幼少期の記憶とは異なる天候になっている。週末は貴史の結婚式だ。この気温でスーツを着なくてはならないのは気が重いがサークルの同期メンバーの結婚は嬉しい。

週末のLINEグループを見る。最初の投稿は貴史だった。

“結婚式は俺たちが大切にしたい人たちだけの小さな会にしたいと思っています。“

貴史の大切な人たちの中に自分がいることがむず痒くなってしまう。グループの参加者を見る。このグループに一向に彼女が追加されないことへの安堵感と反対に心が綿縄できゅっと絞められるような気がしていた。

彼女とは3年前に別れた。

なんとなく、家を出たかった僕は地縁のない九州の大学に進学した。知らない土地、聞き慣れない方言、新しい友人。悪い遊び。サークル活動。酒と煙草との出会い。1年はあっと言う前に過ぎた。そして2年時に彼女と出会った。

「私、7月に生まれたから、ふみかって名前なんです。7月は文月、そして季節は夏だから、文夏。漢字にするとあんまり好きじゃないんですが、響きは好きで」

新歓で横に座った彼女は僕に文夏と空に書いた。

 色白の肌にバランスよくパーツが配置された顔立ち。黒縁メガネの奥に見える、綺麗な奥二重の優しい目つき、若干のクセがある黒髪。僕は彼女に一目惚れした。2人で共通点を探し合い、酒を飲み、付き合って、愛しあった。 九州から出たくない、といった彼女と一緒にいるために、就活やインターンを必死にした。結果福岡で働くことができた。彼女のために、とインターンも始めて見れば「仕事」というものは面白く、のめり込んでいった。僕が仕事にのめり込むほど、なぜか彼女は綺麗になっていった。
 コンタクトになり、化粧の雰囲気も変わった。服装も変わり、バックはブランドのロゴが付くようなものになっていた。彼女が可愛くなっていくことは嬉しかった。終電を逃すことがあったとしてもサークルのメンバーと飲んでいると聞いていたから安心していた。仮に男と遊んでいたとしても僕も文夏と出会う前はよく遊んでいたから、彼女に強制するのは重いと思って、言わなかった。

 3年目の春、僕は異動の辞令を受ける。このタイミングで、とティファニーの指輪を買った。当日現れた文夏は一番綺麗だった。そして、一番綺麗な文夏と僕は一緒になることはなかった。

「ごめんなさい、私は先輩と一緒になれないんです」メイクも気にせずなきじゃぐりながら言う。なんで、には答えることなく、ずっと、泣いていた。彼女をタクシーに乗せた時の、バイバイ。それが最後の会話だった。
 
 あれ以降文夏からの連絡はない。考える日々は続いた。もちろん答えが出ることはない。いつの間にか、付き合った時から文夏が言っていた、
「煙草吸う人は嫌い。長生きしてほしいのでやめてくださいね」に応えるように辞めたことにしながら、隠れて変わらず、煙草を吸っていたことが文夏にバレてしまったことが原因なのだと、荒唐無稽ながらも自分が少しだけ納得できるストーリーを構築し、それに則ることにした。あれから3年経った。煙草に火をつける。いつからか、煙草の本数は増えた。

 貴史の式は天候に恵まれた。青山の小道の奥にある小さな教会で、まだ日が明るい17時に挙式、そのまま隣接のレストランで披露宴と二次会。非常に王道な、しかし感動する式と披露宴は盛り上がった。サークルメンバー15名程度の二次会も馬鹿騒ぎしたあの頃と変わらないメンバーで懐かしくあの頃の話と少し真面目に現在、未来の話をした。分かっていたが席次表に彼女の名前はなかったし、二次会にも現れなかった。それが錘のよう引っかかって、僕三次会の誘いを断って、僕は表参道の交差点に向かって歩き出した。

 交差点の交番前の公衆喫煙所に入ると人はまばらだった。火をつけ、深く吸い込み、吐き出す。左奥に金髪のショートヘアで紺色のレースをあしらったパーティドレスの女性が引き出物袋を左腕に引っ掛けてカバンを弄っていた。口には煙草を咥えている。まばらな人たちは機械の先から出た煙草を吸っている。ふと彼女と目があった。

「すみません、ライター借りても?」彼女は隣に来た。ええ、もちろんと右ポケットからライターを渡す。慣れた手つきで火をつけ、彼女も深く吸って、吐いた。

「紙煙草の人も減っちゃって、助かりました」僕より少し年上に見える彼女は笑った。

「分かります。ライターないと頼れる人減ったの、困りますよね」

社交辞令のような笑顔を貼り付けただけの会話。

「結婚式…帰りですよね?」

「そうですね。貴女も?」煙草に火をつけるようにお互いの服装から取り留めのない会話をする。この瞬間喫煙所には僕らしかいなかった。

「そうですね」

「やっぱり結婚式はいいですよね。幸せをもらえるというか」自分の心に反したような発言をした。彼女は相槌を打つものだと思った。

「そうかもしれないですが、私先月婚約破棄しちゃって。自分で壊した幸せを見ているようで素直に喜べなかったんですよ」彼女はあっけからんと言った。

「実は、僕は数年前に婚約破棄された側なんです」ビールとワインの飲み合わせが悪かったのか。それとも赤の他人だから言えることはなのか。東京という交差点では数奇な出会いがある。まだ喫煙所には誰も入ってこない。煙草のいいところは無言になる理由をくれることだ。深く吸って吐く、約5秒の沈黙の理由をくれる。

「よくない、偶然ですね」ばつが悪そうに笑い合う。もう一本吸ってもいいですか、と彼女は尋ねた。ライターは彼女の左手にあった。暗くなり始めた青山に蛍が現れるようだった。

「結婚、結婚式って他人から見たら幸せの象徴じゃないですか。でも、他人から見た幸せなんて私の幸せじゃない、って思ってしまって。特に深い理由もなくて別れを告げたんです。相手はなんで、なんでって質問してきたけど相手が満足する答えなんてなくて」彼女のハスキーな声だけが残る。もしかしたら僕が求めている「理由」なんてないのだろう。文夏はいなくなった。それだけの話であって、僕の人生が交わらなくなった理由などわかることはないのだ、と。

「僕もなんで婚約破棄されたか分からないんですけど、幸せの形が僕とあの子では違ったのかもしれませんね」

「それは分からないけど、いつだって、何にでも理由があるわけじゃない」

 信号が変わり、人が歩きだす。歩く先には目的や行き先がある。思考には目的も行き先もない。いつまでもぐるぐると同じ場所から動くことはない。僕は3年前の理由を今も探し続けている。時間は解決しない。
「もしよかったらこれから1杯いかがですか?」自分でも想像しなかった提案をした。理由は、ない。彼女は灰皿に煙草を押し付け、僕の顔を見た。厚い二重瞼で、濃いアイシャドウで整えられた大きな目が僕を捉える。
「ええ。喜んで。ここから少し歩いたところに行きつけがあるんです、そこでもいい?」
 僕が同意すると、同時に人が入ってきた。僕らの会話は誰にも知られてない。いつになっても誰かと秘密を共有するのは特別感がある。
僕らは誰かの幸せのお裾分けを持ちながら、交差点に並ぶ。
「そういえば、お名前を伺ってもいいですか」
「さつき、と言います。日本の昔ながらの月の呼び方。何月かわかる?」さつきは訊いて、僕の反応を見て満足そうに微笑んだ。
理由がなくても、僕が止まっていても、季節は巡る。



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