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タワマン文学#2 天神

私は今日、先輩に別れを告げる。

 今日は2人が出会った日ではないし、告白をされた日でもない。記憶に残るデートをした日でもなければ初めて夜を過ごした一日でもない。天赦日でもなければ仏滅でもない。なんてことのないただの平日。そのほうがいい。
 午前中に出張先の山口から帰ってくるとLINEがあった。連絡はまめな人だ。今日は午後休みをとって、接待疲れと移動疲れで寝ているんだろう。夕方の私の予定に合わせてくれている。待ち合わせはお互いの家以外では定番の西鉄福岡駅の大画面前にした。待ち合わせまであと15分。早くついた私は今日の気持ちと3か月ぶりに会う先輩に思いを馳せる。

 私と先輩はいわゆる新歓コンパで出会った。そこの出会いに特筆すべきものはない。大牟田から出てきた田舎娘が関東の男にひっかかったのだ。家庭はザ・九州男児とその妻といったような典型的な家庭で私が一人娘だったこともあってか、大学受験で九州から出ることは許されなかった。私も出たいとは思わなかった。比較的勉強は得意だったことと、漠然と将来の不安があった私は九州で最も学力が高い大学を志望した。約7年前の受験勉強は寝る間を惜しんで勉強した記憶だけはあった。幸運にも努力は実り、第一志望の大学に合格した。入学式の翌日の新歓で先輩に声をかけられた。大学生デビューというのだろう、自分で染めたような茶髪に、縮毛矯正のあとが残る前髪、似合っていない配色の服装、標準語で精一杯声をかけてくれる先輩が印象に残り翌日の新歓コンパに参加した。
 
そこからは典型的な大学生の恋愛だった。大学に慣れてきた7月くらいには頻繁に2人きりで会うようになり、親不孝通りや西通りの安い居酒屋でお互いを語り合った。自然な流れでお盆前には付き合った。どちらかが告白したかは覚えていない。9月には初めて先輩の家に行った。こっち側にくる時に取ったという免許を使い、昭和通りのレンタカー屋で車を借りて、指宿、都城、別府、佐世保、など九州各地を巡った。

 出会って1年が経過するころだった。先輩は就活活動を意識し始め大濠公園に支社がある大手広告代理店の長期インターンに参加した。飲み会の回数も減り、お泊まりの回数も減り、ドライブの頻度も減ったことに申し訳なさを感じているのか、連絡はまめになり、いつもインターン終わりの飲み会写真を送ってきた。私は何度かその写真を見ながら、明るい髪色の、笑顔が可愛い女性がいつも隣にいることに気づいた。なぜか、この人だれなの?と言えない自分に嫌悪感はあったし、会う度に今やっていることを楽しそうに話す先輩を思うと申し訳ない気持ちになった。

 だから、私も何かしようと思った。高校時代から変えてなかったZOFFのメガネからコンタクトにし、なんとなく行っていた安いだけの美容室から口コミ評価の高い美容室に替え、ネイルもしてみた。インスタを参考にしながらほぼユニクロだった服も徐々に変えていった。バックもメルカリ等で安く購入した。こんなに外見にお金を使ったのは初めてだった。

 彼は、私の変化に似合っているね、かわいいね、と言ってくれた。でもそれだけだった。インターンの頻度も飲み会で隣にいる女も、何も変わらなかった。
 人は見た目が9割と言ったもので、私の見た目の変化に反応したのはサークルで元気な男子女子たちだった。変わったね、可愛くなったね、今度みんなでご飯行こうよなんて誘いが増えた。彼と会う頻度が少なった代わりに新しい友達との遊びを入れた。

 彼は、いいね、楽しんで、としか言わなかった。
 調子に乗っていた私は終電を逃し、男の家に連れ込まれた。歯が浮くような、軽い愛の言葉も嬉しくなり、何度か彼とは違う男に抱かれた。粘膜同士が触れ合うだけで、気持ちまで触れ合うことはなかった。朝には後悔しながら家に帰った。父も母も朝帰りには何も言わなかった。当然彼には言えなかった。

 私に取っての倦怠期が終わったのは1年後のことだった。
「俺、なんとか九州で働けそうだ」
渡辺通の串焼きのお店で私たちは1ヶ月ぶりに会話した。
「ほら、ふみかって東京とか関西に出たくない、九州が好きだから九州で働こうかなって言ってたじゃん?俺、九州に地縁ないからさ、就職で東京戻ったら遠距離恋愛になるし、それは嫌だなって。インターンでメンターの人、彼女のために最初だけでも福岡で働きたいんですって言い続けて、頑張ったんだよ。若いね~ってバカにされながらさ。この人なんだけど」
そう言って、飲み会の写真を見せてきた。明るい髪色の可愛い笑顔の女性だった。
「そっか。私も就活頑張るね」勘違いをしていた自分、感謝を言えない自分が嫌になった。
彼と出会った頃よりLINEの通知は増えた。この瞬間も「友達」からの通知の振動が机を揺らす。上手な断り方を知らない私は合コンの連絡や一回抱かれた男から連絡がくる。私は変わらず夜の天神で遊ぶ。警固、今泉、春吉。三角公園。終電後もやっているお店やホテルの場所に詳しくなってきたと自嘲する。せめて飲み会で終電を逃したことを伝えても、彼は友達と遊ぶのも大事だよね、と何も言わなかった。

 1年後も彼と私は付き合っていたし、私は九州の最大手銀行に就職した。社会人になったら彼と向き合う、そう決めていたが初めての社会人は想像以上に体力を消費したし、出会う人はみんな魅力的で刺激的だった。自分の休息時間を確保しつつも、会社の人たちで飲み会やレジャー、世にいうお食事会にはたくさん誘われた。私は1人暮らしをはじめ、彼も福岡で勤務していたから時々互いの家に泊まり、薬院、平尾、西中洲の、学生には近づけなかった店に行くようになった。
 
昔はここに行きたい、この前のデートが楽しかった、最近みた映画が、と温かく楽しかったことを共感しあう場は私の仕事の愚痴ばかりになっていた。彼は出会った頃から変わらない笑顔でうなづき、ふみかは頑張っているね。俺も頑張るよと言ってくれた。愚痴を話して感情を整え、努力の決意する飲み会、そこに彼と私の未来の話はない。いや、どちらもこの会話に触れるのを避けていたのだと思う。

 私が仕事に慣れてきて、後輩にもアドバイスができるようになった頃、彼は転勤で関西に異動になる話をしてきた。3ヶ月ほど途切れ途切れの連絡が続いた中で、
「ちょっと話したいことがある。時間作ってもらっていい?」彼からかしこまって連絡があった。
私はいいよ、といい今日を迎えた。最後くらいにいい記憶に残りたくて、新しいワンピースを買った。今日は西中洲の和食のお店に予約を取ってくれた。会社の同僚からはとても雰囲気の良い、大人なデートに向いているお店らしい。

「お待たせ」私は彼の声で回想を止めた。
異動の準備や引継ぎで忙しいと言っていた彼とは3ヶ月ぶりに会った。ブランドのメガネ、爽やかに整えられた髪、出会った頃より肌は綺麗になっている気がする。ライトベージュのセットアップをジャストサイズに着こなす彼は過去ダサかった人とは思えない。そのギャップで微笑んでしまった。そんな私を見て彼も微笑んだ。
「なんか、格好いいね」
「そうかな。そんなこと言ってくれたの初めてじゃない?」
 お店に向かいながら、私は心臓をつねられるような気持ちになった。彼と過ごした8年間、いつから素直じゃなくなったのだろうか。素直に気持ちを伝えられていたら、もっと違う今があったのかもしれない。違う今って…なんだ。 

 コースは今まで食べた和食の中で一番鮮やかで、美味しかった。鮮やかさに対比して、私の心はくすんでいた。彼は私を疲れていると思ったのだろうか、常に労わりながら会話をしてくれた。
「なかなか時間作れなくてごめんね」最後のお茶を飲みながら彼は言った。
「俺もふみかもさ、出会って色々あってお互い頑張ってきたよね。最近は特に俺が時間作れなくてごめん」
 そんなことで謝らないでほしい。私は何も頑張っていない。彼に頑張ることも求めていない。
 そうだ、私は頑張って欲しくなかった。彼と共有する時間が好きだった。旅行でみた景色、安いハイボールを飲みながら笑い合った日、慣れなかったお泊まり、全部が大切だった。でも彼は、私が適当に話したことを叶えるために努力してくれていた。将来の不安を少しでも減らそうと今できることを頑張っていたのだった。
それをわかっていても、今の幸せを楽しもうよ、と言えなった自分が嫌だ。この人だれ、と素直に聞けなかった自分が嫌だ。
優しさに甘えて、この人に言えないことをしていた自分も嫌だ。
自分じゃどうしようもなくなって、叱ってほしいと思っていた自分も嫌だ。
 
同時に彼に対しても思う。どうしてそんなに努力しなくちゃいけないの?今の幸せを続けたいと思わないの?努力し続けた先に何があるの?
こんな雑誌に載っているようなお店で外食できなくたっていい。遠距離恋愛だってなんとかする。派手な結婚式じゃなくていい。タワーマンションに住まなくてもいい。毎日少しでもいいから電話して、映画やネットフリックスを見て笑って、近所のカフェにいって、取り留めないのない話をして、日々を積み重ねたい。将来の幸せじゃなく、今の幸せがずっと欲しかった。

「これからはさ」と彼が一段と優しい声で話しかけてくる。彼のポケットに小さな、四角いはこが入っているの気づく。やめて。これ以上は言わないで。

今日は2人が出会った日ではないし、告白をされた日でもない。記憶に残るデートをした日でもなければ初めて夜を過ごした一日でもない。天赦日でもなければ仏滅でもない。なんてことのないただの平日だ。

私は今日、愛している先輩に、別れを告げたい。

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