【掌編小説】駆け抜ける
放課後、図書室前の廊下で見かけたのは、貼られた1枚のポスターだった。
七夕飾りの絵と、『七夕の願い事を1人1枚短冊に書けます。短冊は図書室受付にて配布中。』という手書き文字のポスター。
図書室の入口から室内を伺うと、図書の貸出や返却の手続きをする受付の近く、窓際の空きスペースに、葉をつけた笹の木があり、七夕飾りや短冊が吊るされていた。
願い事は、ある。
高校3年生の俺にとって、今年が最後の全国高校総合体育大会。
陸上部に所属する俺は、去年は怪我からの復帰後で思うような走りが出来ず、出場メンバーに選ばれなかった。出場して好成績を残し、去年の雪辱を果たすのが願いだった。
もちろん、願いを叶えるために努力を重ねて来た。
今年、俺は出場メンバーに選ばれ、5月末から6月初旬に行われた県予選で、出場種目1位になった。6月中旬に県予選上位者にて行われた地区予選では僅差で2位だったが、7月下旬から8月初旬に行われる全国への切符は手にした。
努力は着実に実を結んでいる。それでも、ここで終わりではない。磨きをかけてもう1歩先へ、と貪欲に。
人事を尽くしているからこそ、後は天に託すのだ。
俺は短冊へ願い事を書くために、図書室へと入室した。
受付へ近づく俺の気配に、読んでいた本から顔を上げた図書委員は、教室で隣りの席に座るクラスメート、星川琴音だった。
「鷲尾君……! 図書室に来るなんて珍しいね」
星川は後ろで結んでいるポニーテールを揺らして微笑んだ。
「七夕のポスターを見たんでね」と答える俺に、星川は机上の短冊を横に軽く広げて見せた。
「お好きな色を1枚どうぞ」
「サンキュ」
俺は青い短冊を選び、ペンを借りて『インターハイで優勝できますように』と願い事を書いた横に、鷲尾達彦と名前を書いた。
ペンを返して紐をもらい、短冊に通した紐を笹へ結んだ俺は、改めて自分の短冊を読み返し、「よし」と頷いた。
周囲の短冊には、『彼氏ができますように』、『彼女ができますように』、『英語の成績が上がりますように』、『ダイエットに成功しますように』、『健康で過ごせますように』など、様々な願い事が書かれている。
俺のように名前が書かれたものはほとんどなく、無記名やイニシャル、ニックネームのものが多い。
しかし、視界の端に名前のようなものを認識し目を向けると、意外な願い事が書かれていた。
『鷲尾達彦君が力を発揮して悔いなく走り切れますように』
薄いピンクの短冊に書かれたその願い事を読んで、俺は驚いた。
名前は名前でも、俺の名前。書いた本人に関する名前はイニシャルもニックネームもなく、誰が書いたのかは不明だ。
インターハイ出場を決めたことは全校生徒へ知らされており、俺の名前を知っている人がいても不思議ではない。
それでも、1人1枚分だけの願い事。その1枚を、俺のために使ってくれた人がいると思うと、何だか胸が熱くなった。
「星川、ちょっといいか?」
俺の声かけに、受付から星川がやって来た。
「どうしたの?」と尋ねられ、俺のことを願ってくれた短冊を指で示した。
「これ、誰が書いたか知らないか?」
星川はドキッとした表情を見せた後に、それを引き締めた。
「個人情報に関することは言えないわ」
「あぁ……まぁ、そうだな」
知っているとは言え、あえて無記名で書かれているものを、本人の承諾もなく情報を公開するのは、職権乱用と言えなくもない。
追及を諦めた俺は、「嬉しかったんで、誰が書いたか知りたくなったんだ」と言い訳した。
「そっか」と言って微笑む星川は、それ以上とやかくは言わなかった。
受付へと戻りながら、星川は窓から外を眺め、俺を振り返った。
「ここからだと、グラウンドがよく見えるのよ。鷲尾君、練習頑張ってたね」
「ああ。去年は悔しい思いをしたから、今年は特にね」
星川の後に続く俺は、ふと受付の机上に置かれた本に目をやった。
「参考書?」
「ううん、小説。ファンタジーなんだけど」
そう言って星川は、栞を挟んでいた挿絵のあるページを広げて見せた。
中世ヨーロッパ風の衣装で、威厳を感じさせる王と思われる初老の男と、一緒にテーブルを囲む貴族と思われる数人に向かって、ひざまずきながらも顔を上げ、緊迫した表情で何かを伝えている様子の兵士風の男。
「この日の会議がお開きになる直前、高台の国境警備から伝令が到着したの。伝令は、国境から王都までは早馬を飛ばして、王宮に着いてからは懸命に走って、隣国が大軍を率いて国境に近づいて来ている、と知らせたの。
会議が終わってなかったから、その場で迅速に対処について話し合われ、隣国の倍の軍勢を即座に国境に差し向けたことで、隣国の軍は引き返し、衝突は防がれたのよ」
星川はその辺りのあらすじを話して聞かせた。
「私、一生懸命走ってる人が好きなの」
「そっか」
輝くような満面の笑顔で紡がれる星川の言葉は、俺自身を肯定してくれているようで、嬉しい気持ちを味わいながら、俺も目を細めていた。
1週間程経ち、七夕明けの7月8日、放課後に俺が図書室を覗くと、その日も星川が受付に座っていた。
入室し、受付に近づいて挨拶した俺は、七夕飾りを指さしながら、「これどうすんの?」と星川に尋ねた。
「七夕も終わったから、今日処分する予定よ」という星川の返事に、俺は「もしよかったらなんだけど」と前置きした。
「捨てちゃうくらいなら、短冊、もらってもいいかな?……あ、俺が書いたのじゃなくて、俺のことが書かれたやつ。……ダメか?」
星川は少し考え、「まぁ、捨てる予定のものだからいいけど……」とやや言い淀んだ後、「どうするつもり?」と確認するように尋ねた。
SNSにアップするとか言ったら止めるのかもな、と思いつつ、俺は正直な気持ちを話した。
「単に持っておきたいのさ。お守り代わり、みたいな」
「そう……わかった」
答えて笹から外し、星川は短冊を手渡してくれた。
『鷲尾達彦君が力を発揮して悔いなく走り切れますように』という願い事を、改めて読み返し、嬉しい気持ちを味わった。
「サンキュ。それじゃ……!」
短冊を大事に仕舞い、そう言って図書室から出た俺は、まだ七夕のポスターが貼ってあるのを目にした。
「星川! ポスターも片付けるんだろ? 俺、剥がしとこうか?」
ハッとした表情の星川。
「そうだった。ありがとう、鷲尾君。……でも、図書室ではお静かに、ね」
つい元気よく声をかけた俺は、優しくたしなめられてしまった。
「了解」と音量を落として答え、俺は七夕のポスターを剥す作業に取りかかった。まぁ、短冊をもらったお礼としての労働、みたいなものだ。
剥し終えたポスターを改めて眺めた俺は、既視感のような、妙な引っ掛かりを覚えた。
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