見出し画像

【掌編小説】過ぎ行く秋を送る宵

 待ち合わせの店へと歩く足元を、落ち葉が風に音を立てて運ばれて行く。
 晩秋の夕暮れ時。空にはまだ微かに赤みが残っているが、夜の帳が下りるのもそう時間はかからないだろう。
 到着し、懐かしさも感じる扉を開けて店内へ足を踏み入れると、奥の窓際の席で立ち上がり、笑顔で軽く手を上げる旧友の姿があった。
 俺達が知り合って12年になる。小柄な体躯、人の好さそうな顔に丸眼鏡、天然パーマだという縮れ毛も、最後に会った数年前から変わりはなかった。
 「良治、久しぶり」
 「ああ、光太、久しぶり。待たせたか?」
 向かいの席に座る俺の問いに、「いや、ついさっき来たところ」と答える光太は店員を呼び、「取りあえず飲もう」と促した。
 酒と料理を注文し店員が離れると、光太は気遣わしげな目で、「少し痩せたんじゃないか? ただでさえ背が高いのが、ひょろひょろに見える」と言った。
 「激務でね。でも、ボーナスもらって年末には辞めるよ。さすがに身が持たない」と、俺は苦笑いで説明する。
 心配げな眼差しながらもやや呆れた口調で、「良治は無駄に責任感が強いから」と嘆息する光太に、俺は「そんなことはないよ」と答える。
 それでも、「そういうところも変わらないね」と指摘する光太の言葉には、複雑な思いが混ざっているようだった。

 俺と光太が出会ったのは、高校2年生の時。光太は俺の通う高校への転入生だった。
 俺達は初めの頃、あまり関わりはなかった。席は離れていたしお互い雰囲気が違うことから、日常的につるむ間柄でもなかったのだ。
 状況が変わったのは、クラスの中でもガラの悪い数人の連中が、口下手でおどおどした態度を見せる1人のクラスメートの男子に、からかう口調でしつこくちょっかいを出していた頃だった。
 それは、以前から時々散見されてはいたが、この時は特に声も大きく、俺は不快さに眉をひそめた。いじりといじめに境界線があるかどうかは微妙だが、この時のそれはいじめに類するものだと思えた。
 それを始まりに、少しずつ連中の行為はエスカレートした。俺は連中に関わりたくはなかったが、見て見ぬ振りをしてはいけない気持ちもあった。
 俺の1つ下の妹である香澄も、中学時代のいじめが原因で不登校になり、しばらく学校に通えない日が続いたのだ。高校に進学して自分をいじめていた連中と物理的に離れ、環境が変わったことで日常を取り戻していた。
 香澄のような者を作らないためにも、俺は放っておいてはいけないという思いでいた。
 しかし、先手を打ってそれを制したのは光太だった。光太は連中に、人権を侵害する卑劣な侮辱はやめるべきだし彼に謝るべきだ、と正論を説いた。
 しかし、そもそもそんな連中が、そんな正論に耳を貸すはずはなかった。貸すくらいなら始めからやってない、という話だ。
 翌日から連中の標的は光太に移った。連中は口々に、「転校生のくせに生意気だ」、「上から目線で高圧的」、「責められて傷ついた、謝るべき」と、離れた位置から独り言のような顔をしながらも、充分に聞こえるような声で騒ぎ立てた。光太は遠目にも傷ついた表情に見えた。
 面倒事に巻き込まれるのを嫌って、光太の周囲からは人が離れて行った。移動教室の際に1人でとぼとぼ廊下を歩いている光太に、俺は「急がないと送れるぞ」と声をかけ、どうでもいい話をしながら、それ以降も何かと一緒に行動するようになった。
 光太と2人でいる時に、「良治、そんな奴といると上から目線で高圧的に責められるぞ」と連中から囃し立てられたが、クラスで1番背が高かった俺は連中の頭上から威圧的に睨みつけ、「やかましい。責められるようなことはしてないし、余計なお世話だ」と啖呵を切った。
 それ以降、俺と光太は連中に、「上から目線コンビ」と揶揄された。
 元々いじめられていた男子生徒は、標的が移ったことでいじめられなくなり、それなりに親しいクラスメートとそれなりに平穏に過ごしていた。いじめの標的に選ばれた光太も、俺が傍にいることで孤立を免れた。
 しかしそれで上手く収まる程甘くはなかった。
 当時の俺は、数ヶ月前に告白されて付き合っていた千秋という恋人が隣りのクラスにいた。千秋は可愛く明るく活発であり、話題も豊富で、彼女の周囲は常に楽しげな笑い声に溢れていた。
 俺はそんな千秋の楽しそうな様子を見るのが好きで、社交的で積極的な彼女の聞き役でいることが多かったが、ある日俺のクラスでのことを人伝に聞いた彼女から、光太と関わるのはやめてほしいと言われたのだ。
 はたから見れば、俺と光太がクラスという集団からはみ出して見えなくもないわけで、そんな人物が恋人だなんて自身の評判に影を落とす、と危惧したのだ。
 俺は驚きつつ、何も悪いことはしていない、と弁解したが、千秋にとっては事の善悪は関係なく、少数的弱者であることは負け組を意味するため、そうならないよう根回しして日頃から充分な味方を確保したり、空気に敏感になって会話を選んだりする等、注意を払う必要があり、恋人への影響を配慮しなかった非がある、と言ったのだ。
 千秋は多くの人から好かれるために、日頃からそういう努力をしていたのだろう。そのため光太や俺の行動が、浅慮で愚かなものに感じられたのだろう。そして、俺が光太と関わりを断てば、挽回できる可能性もあると思ったのかもしれない。
 でも俺には、そんなやり方は何だか性に合わなかった。上手く立ち回って世渡り上手であることを至上と考える千秋とは、そもそも価値観が違うように感じた。
 あちらもこちらも、とできるほど、俺は器用じゃなかった。両立できないならどちらかを選ぶしかないし、啖呵まで切った以上、今更引き返せないと思った。
 俺は千秋に、光太と関わるのをやめる気はないし迷惑なら別れよう、と言った。千秋は顔を真っ赤にして怒り、「こんなに馬鹿な人だとは思わなかった。私の方こそ願い下げよ!」と言い捨てて去った。
 その後、噂によると千秋は俺を振ったと言って回ったらしい。別れようと言ったのは俺の方だが、振られたのではないかと疑念を持たれることは評判に差し障ると危惧して、奔走したのだろう。
 自分が選んだ結果とは言え、別れに至ったことは俺にとって傷心な出来事だった。噂を聞いたらしい光太から心配げに、「何となく心ここにあらずな感じだよ」と言われ、俺は「そんなことはないよ」と答えたものだ。
 そう、まるで今のように。

 「俺と千秋が別れた時のことを思い出したか?」
 光太は「まぁね」と答えた。
 光太は自分が、俺と千秋の別離の原因だと思い、少なからず責任を感じていた。もちろん俺はそれを肯定しない。昔も今も。
 「良治が無駄に責任感が強くなかったら、僕から離れて彼女を選ぶ道もあったんだしね」
 俺はフンと鼻で笑う。
 「ないね。それに、責任感じゃない。一度決意してやると決めたことを、簡単にやめたくないだけだよ」
 「それ、責任感って言わないか?」
 光太が呆れたように言う。
 「違う。そんなのカッコ悪くて嫌だから、ってだけだ」
 俺の言葉に、光太は「そうか」と小さく笑みを漏らし、俺も「そうさ」と口の端を上げた。

 高校2年生の時はそんなことがあった俺達だったが、3年に進級した際のクラス替えで、俺と光太は再び同じクラス、件の連中とは別のクラスになったため、平穏な高校生活が戻った。
 新しいクラスでは新しい友達もでき、俺達は充実した時間を過ごした。
 俺と光太はお互い別々の大学に進学したが、それ程離れてはいなかったこともあり、度々会って飲み食いした。この店もそんな時代の行きつけの1つだ。
 卒業後はそれぞれ就職し、忙しさから会う頻度は減ったものの、時々は連絡し合う仲だった。
 注文した酒と料理が運ばれて来て、俺達は乾杯し、飯を食う。
 「この間、政彦に会ったろ?」
 光太に聞かれて少し考え、俺は「あぁ、会った会った。仕事帰りに偶然な」と答える。政彦は、高校3年生の時にできた共通の友人だ。
 「で? その政彦がどうした?」
 「久しぶりに会ったお前が酷く痩せてて心配になった、と言ってたぞ」
 「そうか」と俺は苦笑いする。それで光太も気になって俺を呼び出した、というわけか。
 「心配かけたな。でも、もう年末には辞めるから。上にも言ってあるし」と俺が言うと、光太は「次は考えてるのか?」と尋ねた。
 「まぁ、仕事の合間にそろそろ、と思ってはいるが、その時間も取れない有様だからな」と俺がぼやくと、光太は「うちの会社はどうだ?」とうかがうように尋ねた。
 「お前のところと俺の職種って、接点あったっけ?」
 少し驚きつつも確認する。
 光太は、「ここ数年は新規で業務拡張しててね。その割に人材は足りてないから、既にスキルのある良治なら歓迎されると思う」と答え、「ちなみに、今、月いくらもらってる? ボーナスとか手当は?」と切り込んで来た。
 俺の回答に光太は、「月給は少し減るかもしれないけど、ボーナスと手当で同じくらいになると思う。その上、うちは激務じゃないし」と言って胸を張る。
 時短で給料が同じなら、それはいい話だ。
 「僕も少しは口添えできるしね。心当たりがあれば紹介するよう言われてもいる」
 「そうなのか?」
 尋ねる俺に、光太は頷いた。
 「今度は、僕が良治を助ける番さ」
 その言葉と真摯な眼差しに射抜かれる。
 「いい友達を持ったものだな」
 「お互いにね」
 笑みを交わし合い噛み締める言葉は、流れた歳月を思う程に感慨深い。
 窓の外では日の落ちた闇の中、街灯に照らされて銀杏の葉が黄金こがね色に舞っているのだった。




 良治と光太が登場する別の小説もあります。よろしければどうぞ。





 最後まで読んでいただきありがとうございました。
 よかったら「スキ」→「フォロー」していただけると嬉しいです。
 コメントにて感想をいただけたらとても喜びます。

サポートしていただけたら嬉しいです。いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます。