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【エッセイ】真に子供の害にならない親になるために

 子供に対する暴力の撤廃が叫ばれる昨今、いじめ問題への対応は昔と比べて随分と聞かれるようになった。
 いつの時代にもいじめはあり、自身より弱く気に入らない者への想像力を欠いた卑怯な嫌がらせがなくなることはない。
 それでも技術の発達により、以前なら耐えるしかなかった被害者が、低いハードルで声を上げ相談できるようになった。
 私は、小学生時代から長くいじめられた経験を持つが、親に訴えても突き放すように「我慢しなさい」と言われ、絶望と孤独を抱え解決法も見出せず苦しんだ。
 当時、匿名で相談できるチャットがあったら、事態は解決しないまでもいくらかの苦しみは癒されたかもしれない。

 そんないじめと共に考えなければならないのが虐待の問題だ。
 子供に対する暴力という点では、学校よりも密室化して見えにくい家庭で行われている暴力にも、目を向けなければならない。
 虐待にも色々な種類がある。
 身体的虐待、精神的虐待、性的虐待、ネグレクトと呼ばれる育児放棄。
 絶えず苛立ちの吐け口として暴言を浴びせ、自己肯定感を損なわせる行為も精神的虐待だ。いじめの訴えに、突き放し何の救済もなく我慢を強いた私の親の行為も、精神的虐待と言える。
 親同士が不仲で相手を怒鳴りつけ罵倒する姿を見聞きさせることも、子供の心を傷つける精神的虐待になる。
 私の家庭にはそんな精神的虐待が蔓延していた。
 しかし、家庭は密室であり他所と比較しない現実では、「あなたのため」とか「躾」という言葉に隠され、虐待されていてもそうとは気づきにくい。特に精神的な虐待においては。
 私が真に自身の家庭の異常性に気づいたのも、高校を卒業してからだ。生きにくさについて調べ学ぶ中で精神的虐待に行き着いた。
 虐待されていても気づかないことは、虐待している立場なら尚更気づいていない可能性が高い。無知であるが故に、この程度のことは虐待ではない、と思っていたりする。
 私も親に精神的虐待を受けたと訴えたが、理解してはもらえなかった。

 虐待がどういうもので、どんな種類があり、どんな影響をもたらしてしまうのかを、学ぶ機会が必要だと思われる。
 子供が生まれれば自動的に親になって終わりではない。
 真に子供の害にならない親になるために、子を持つ者は定期的に講習の受講が義務づけられるくらいの、虐待が他人事ではなく自分の事として、日常的に話題として共有される社会となることを願う。

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