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大学4年秋、進路の決まってない僕が、とりあえずシリコンバレーに行った話。


初めまして!
同志社大学4年の石川航大(いしかわこうだい)と言います。普段は、SHIFT AIというAIコミュニティの運営をしていたり、少し前からはNewsPicks Students Pickerとして活動をしたりしています。

AI、メンタルヘルス、教育等の領域に関心を寄せていて、起業をして、社会をよりよくしたいと考えています。来月からは、J-StarXの海外派遣起業家プログラムにて、フィンランドへ行く予定があります。

まだ、特に何者でもない僕ですが、シリコンバレーという土地へ憧れ、自分の視野を広げるため、3週間ほどアメリカへ行ってきました。

同じく経験を綴った方のnoteを見て、とても参考になったので、僕の体験も、誰かの参考になればなと思い、今回はその旅の振り返りとして文章にまとめたいと思います。

進路や将来に悩む方、AIや最先端のテクノロジーが好きな方、起業やチャレンジをしていきたいと胸に秘めている方などにとって、なにか参考になるものがあれば幸いです。


1. はじめに:アメリカ旅の目的と背景

目的は、現地の雰囲気を肌で感じ、現地の方々と交流してコネクションを作り、今後の進路へのヒントを得ることにありました。自動運転タクシーなど最先端のテクノロジーに触れ、世界を引っ張っている多くの企業を巡りたいという思いがありました。

シリコンバレーとは、カリフォルニア州サンフランシスコ南部のことを指します。世界的なIT企業が多く集まっており、「スタートアップの聖地」とも呼ばれる場所です。具体的には、Apple、Meta、Google本社、またスタンフォード大学などがあります。

僕たちが今、手にしているiPhone、そして、画面内の多くのアプリケーション(Google、YouTube、Facebook、X、Netflix等)はこの土地から生まれました。ここ数十年で、世界中で何兆というお金を動かし、数十億人の人々に影響を及ぼした、IT革命の中心を担う場所なのです。これからも、生成AIを初めとした、AIによる社会の変化にも多くの影響を与えると思います。

HPガレージ「Birthplace of Silicon Valley」から力を貰っている様子

そんな土地を訪れた背景には、僕自身が留学へ行けなかったという理由があります。僕らの世代は、コロナ禍に入学した人達で、留学へ行けない人々が多くいました。そんな中、今年度に入り、友人が休学して留学へ行くのを見て、僕にも再びその熱が宿りました。

長期は無理でも短期ならと思い、色々当たってみたのですが、予算などの関係から、プログラムなどを使わず、自分で行こうと決心しました。幸いにも、起業している友人が同じことを考えていて、学校の出席もあまりないことから、ハードルは比較的低くなりました。

今まで海外と聞くと凄くハードルが高く、様々な点で、僕には難しいだろうと思っていたのですが、「行ってみたら?」とアドバイスを受け、一旦動いてみました。スケジュールは何とかなり、金銭的には留学よりも安く済ませれるので、両親や祖父母へ留学より価値があることを説得し、援助してもらいました。

行きたいから、行ってみた。
見方によれば、ただの旅行です。マイナスな言葉を言う人もいました。けど、そうではない。大学生という比較的時間があるこの時期に、グローバルへと視点を広げ、自分の生活範囲外に足を運ぶこと、言葉の通じない国に出向くこと、これには間違いなく価値があると確信していました。

2. 最先端のテクノロジーに触れる

事前に作った行きたいところリスト

無人コンビニ自動運転の自動車大豆の代替肉など、とても楽しみにしていました。特に、自動運転はかなり浸透していて、運転席に人が乗っていないタクシーがサンフランシスコ街中を走っていました。

一般道路を走るタクシー(写真はcruise)

招待制のコードが必要なようで、残念ながら僕は乗れませんでした。しかし、非常に多くのcruiseやWaymoが走っていました。先日の発表によると、ホンダ、GM、cruiseの3社の協力により、写真に似たモデルを、日本で見られる日は近いようです。

サンフランシスコでの自動運転は、技術もなのですが、規制面で進んでいるようでした。事故などはあるものの、徐々に広がっています。

自動運転の規制面に関しては、日本はリスクに慎重なようです。一方、アメリカでは、ミスよりも可能性を重要視しているようでした。日本でも乗れる日が来たらいいなと、楽しみにしています。

また、街中は、電動の乗り物に乗っている人が多かったです。インフラが日本ほど整っていないからでしょうか。日本のLuupのようなものや、電動のスケボー、一輪車に似た乗り物もありました。

AppleのVisitor Centerでは、ARで施設全体を俯瞰して見られるものがありました。会話ができる人型ロボットが置いてある施設もあったり、「コンピュータに車輪のついた自動車」と呼ばれるTeslaは非常に多く走っていました。運転がスムーズで、乗り心地がかなり良かったです。

AppleのVisitor Centerにて。

他にも、香港のSandbox VRと「イカゲーム」のコラボしたVR体験が始まったところでした。日本にはまだ展開されていないようなので、時間を見つけて行けばよかったです。

知り合いの紹介で、Google本社で働かれているHiroさんにお会いできて、本社を尋ねることが出来ました。大学キャンパスよりも広い土地、建物を行き来するのに自転車に乗る人々、無料の社員食堂、あまりにも多すぎるカフェ、、世界トップのグローバル企業はやはり凄かったです。Hiroさんのnoteは非常に面白いので、ぜひ読んでみてください。

建物間を移動するための自転車

他にも、会社内に入れることはできませんでしたが、OpenAIやNVIDIA、X(Twitter)の本社を訪れることが出来ました。あの「X」の看板はありませんでした。(笑)

今回、シリコンバレーで多くのものに触れてみて、非常に心の踊る体験をたくさんしました。しかし、アメリカのテクノロジーのすごさは、ハードだけでなく、ソフトの面にもあるように感じています。

以前、有線のイヤホンをしている人を見て友人が、「日本人はオシャレにお金を使いすぎて、テクノロジーに投資できないらしい」と言っていたことが妙に記憶に残っています。

僕が行ったアメリカのお店では、クレジットカードが使えないところはありませんでした。ものの善悪は分かりませんが、日本とアメリカで、このような細かいところに意識の差があるように感じました。


3. シリコンバレーで活躍する日本人の方々


シリコンバレーには、8日間の滞在でしたが、多くの方のご厚意により、10人以上の方々と会い、お話する機会を得られました。一人一人から多くの学びを得て、しっかりノートもとっていたので、全員を紹介したいのですが、文字数の関係から、ここではその中の3人の紹介と学びをまとめさせていただきます

お忙しい中、話を聞く機会を頂いた方、また、人を紹介してくださった方、ありがとうございました。お会いした人々との出会いにより、今回の旅は一層価値のあるものになりました。僕も、人にgive出来たらと思い、以下に学びを書き出します。

Apple Parkで、Apple製のTシャツを買った。


ⅰ. 小野里晃(Akira Onozato)さん

1人目は、小野里晃さんです。彼は、アメリカで30年以上前に起業をし、今では、いくつもの会社を経営しています。北カリフォルニアNo.1の日系メディア「週刊BaySpo」を運営する方です。

最近だと、アナザースカイ(田村淳さんのシリコンバレー回)に出演し、現地を案内していました。渡航直前にこの番組を見て、無理を覚悟の上で、LinkedInでメッセージを送ってみたのです。

すると、返事を下さり、カフェで1-2時間お話をすることが出来ました。他にも、アメリカで有名なラーメン屋や、スタンフォード大学などを案内してくださりました。2人の子供を持つ小野里さんは、とてもハンサムで、温和な方でした。一方、シリコンバレーで活動する起業家としての知見から、非常に多くの学びを得ました。

小野里さんは、数々の事業を手がけてきたようです。まだインターネットが人々に広まっていない時代に、大学に在学をしながら、海外の本を日本に売り始めたことが初めのビジネスでした。時期としては、Amazonよりも前に始めたようです。

その後、雑誌や新聞を、アメリカに在住している日本人向けに繰り広げ、そこから、メディアも展開していきました。また、最近だと、田村淳さんと会社を立ち上げて、eスポーツの事業もやっています。

話している中で、他にも幅広いジャンルのビジネスアイデアがあるようでした。失敗を失敗と思わない姿勢を持っていて、「なにが儲かるか?」とビジネスの種を考えることが好きだと仰っていました。

アナザースカイの番組の中で、田村淳さんが、立ちながらパソコンで仕事をしている人に、なぜ立っているのか、質問を投げかけたシーンがありました。彼は、「立ちたいから立っているんだよ」と答えました。

シリコンバレーの人々の、物事をシンプルに考え、同時に、いい加減な文化には、小野里さんもカルチャーショックを受けたそうです。

Stanford大学にて。

日本は特殊な国だ」と言っていたことが強く印象に残っています。移民の国アメリカでは、それぞれの人が違うことが前提で、自分の意見を持って、口に出さないと、相手のことが全く分からないようです。

一方、日本人は多くの人が似た環境に属し、価値観を人に委ねている。外の世界から、日本という国を見ると、そのように見えるのだなと新たな発見を得られました。

小野里さんとは今でも連絡をとっていて、非常によくして頂いています。最近は、アメリカで新たな事業を一緒にやろうかという話がもち上がっていて、考えただけで、ワクワクしています。たまたま1つのテレビ番組で彼のことを知り、連絡をしてみたことが始まりでした。このようなご縁に非常に感謝しています。


ⅱ. 山内万丈(Banjo Yamauchi)さん

2人目は、Yamauchi-No.10 Family Office代表の山内万丈さんです。
山内さんについての紹介は、この記事が非常に分かりやすかったので、良ければ覗いてみてください。

任天堂創業家5代目の山内万丈さんは、ファミリーオフィス「YFO」の代表をしながら、現在は、スタンフォード大学で客員研究員をしています。特に、海外富裕層のファミリーオフィスに関心を寄せていて、自身の会社の存在意義のお話からは、強い哲学を感じました。

山内さんには、小野里さんから紹介をして頂きました。短い滞在期間でしたが、日程を空けて下さり、2時間ほどPalo Altoのカフェでお話をしました。シリコンバレーの中心で、普段は出会えないような方から、将来への思いなどを伺えた経験は一生の宝物とも言えるものでした。

山内さんとの会話の中で、「人生は短い」というフレーズが印象に残っています。山内家として、人生の使命を悩んだ過去から、今、やりたいことをやることに集中していると話して頂きました。

一般的なファミリー・オフィスとは、巨額の資金で安全な資産をバランスよく購入し、創業家の資産を安定的に増やすケースが多いです。一方で、そのやり方に疑問を感じた山内さんは、YFOで、2000億円規模の資金を元に、国内外の企業に積極的な投資をしています。

お金をただ増やすだけではなく、日本をよりよくすることに投資したい。受け継いだものに、イノベーションを加え、社会の一部となって、還元をしたい。そんな思いを強く持っていました。

先程取り上げたNewsPicksの記事でも語られていますが、ファミリーオフィスに対して、特に強い哲学を持っている方でした。その思いは、Yamauchi-No. 10 Family Officeの企業哲学「子供たちの未来、次世代への富・知見の還元」にも強く現れていました。

彼は、話の随所で、日本の課題についても言及していました。少子化、円安、暗い雰囲気。しかし、そんな現実に目を向けながらも、未来を楽観して楽しみにしている姿勢が垣間見れました。

この人は本当に社会を良くしようとしている、そう感じました。間違いなくこれからの日本を代表し、世界で戦っていく方の言葉の数々に、胸が打たれました。

成田空港で迎えてくれたマリオ達。


ⅲ. 島田舞(Mai Shimada)さん

3人目は、Isha health CEOの島田舞さんです。
島田さんは、アメリカで救命救急医として10年働いたあと、 オンラインをベースとした心療カウンセリングサービスを提供するIsha Healthを創業しました。

現場で救える命の限りを感じ、より大きな影響力を求めて、この会社は建てられました。彼女自身の経験から、ケタミンによる診療法に確信を持ち、今では、米国のいくつもの州で事業を展開しています。

Isha Healthの紹介を簡単にします。
Isha Healthでは、自宅からの治療へアクセスすることを可能にするオンラインプラットフォームを開発していて、専門家との個別カウンセリングを通して最適な療法が提案されます。ケタミンを併用した心理療法の提供からはじめ、今世界各地で提供が可能になりつつある療法の提供も今後進めて行く予定です。

僕自身の過去の経験から、メンタルヘルス領域にはかなりの関心を持っていて、その領域でサービスを展開している起業家の島田さんは、理想の姿そのものでした。

アメリカは、ヘルスケアの産業がとても盛んで、ウェルネス領域の市場規模は、2022年時点で、およそ600兆円にも及ぶそうです。人々のカウンセリングの捉え方にも大きな差があるようでした。

僕に大きな影響を与えたティム・クックの言葉。

保険制度の違いなどから、日本と米国の人々の健康への意識や規制面には、いくつもの違いがありました。現場で事業に取り組み、最先端の情報をとっている島田さんの見解には、学ぶものが多くありました。

僕が今考えている、いくつかのメンタルヘルスのビジネスモデルについても、意見をして頂きました。医療従事者のバックグラウンドを持つ島田さんの、知識や経験は膨大なものでした。僕自身には、まだまだ知識のみならず、直接人々の声を聞く経験が不足しているなと気づきました。


最後に、特に印象に残った話をします。
アメリカで働きたい、ビジネスがしたい、と言うと、「じゃあ、とりあえず来ちゃえば?」と言われました。「ビザや仕事は、その後考えよう」と。この言葉からは、かなりの考え方の違いを感じました。

また、法人を登記することに関しては、グローバル展開を考えるのであれば、アメリカで起業をすることをお勧めして頂きました。採用や資金調達などで、法律や制度面に色々と助けられるそうです。

野外で行われたネットワーキングBBQイベント。

今回、一人一人紹介することは出来ませんでしたが、多くの尊敬する人々にお会いすることが出来ました。自分が足を運んでみるまでは知る由もなかった世界で、働くかっこいい人々がいました。

楽天創業時からのメンバーで元取締役常務執行役員、現在はアメリカでJunifyという会社をやられている安武弘晃(Hiroaki Yasutake)さん。日本からシリコンバレーに渡り、Googleで働かれている高橋建人(Taketo Takahashi)さん、Hiro さん。日立のデジタル事業開発&企画戦略として、アメリカに駐在している吉田佳織(Kaori Yoshida)さん。、、、

非常に多くのご縁に恵まれました。1学生の僕ですが、現地で出会いたい人にSNSを使って、メッセージを送ってみたら、こんなにも、会って話をさせていただける素敵な方々がいました。今後は、僕が今までに頂いた恩を、多くの人にgive出来る大人になりたいと思います。

他にも、シリコンバレーには心躍るものが沢山ありました。Y CombinatorとGoogleが開いていたネットワークイベント。世界最大級のアクセラレーター/VCであるPlug and Play Tech Centerで行われた「NEDO Silicon Valley Pitch Event」。シリコンバレーで挑戦する日本人起業家が英語でピッチを見られたのは、いい経験となりました。

Plug and Play Tech Centerにて登壇していた起業家たち。

4. アメリカから見た日本


僕は、小さい頃からずっとアメリカへ憧れを持っていました。洋画や本で見る世界は、とても輝いて見えました。今回、短期間ではありますが、日本を外から見てみて、多くのことに気づきました。

まず、円安と米国内のインフレにより、アメリカはかなり高かったです。覚悟はしていましたが、高かったです。500mlの水が2$(約300円)して、ラーメンはおよそ1杯2000円します。

また、丸亀製麺のかけうどん(並)は、6$(約900円)。アメリカ店だからとはいえ、日本が390円なことを考えるとかなり高いのではないでしょうか。大量に持っていったインスタント食品に救われた日々でした。

他に外食となると、ファストフードばかりでした。アメリカの人々は、数多くあるメニューのうち、ハンバーガーやピザを選んで食べていると考えていましたが、違うようです。僕らがご飯を主食とするように、アメリカの方は、ポテトやピザをメインに食べていました。

日本のご飯は、比較して安く、とても美味しいことに改めて気づきました。牛丼が400円、定食が800円で食べられる、物価は上がっているけど、素晴らしいことです。

サンフランシスコにある丸亀製麺

そして、日本国内のお店や電車の中は清潔で、どこのトイレも非常に綺麗に保たれています。あらゆるところに電車で行けるインフラも整い、店員さんの接客も丁寧です。アメリカでは、イヤホンつけながら働いている人が多くいました。

サンフランシスコは、治安が悪くなっており、ホームレスが路上にたくさんいました。パトカーは一日に何度もサイレンを鳴らしていて、夜中には銃声も聞こえました。街を歩くと、大麻っぽい匂いがして、知らない人に話しかけられます。

お店の窓の銃痕。
被害額950$までの窃盗は「軽犯罪」に規制が変わり、SFは「万引き天国」となっている。


僕が夢見ていたアメリカは、素晴らしかったと同時に、画面の中だけのものも多くありました。

日本にいると、経済の停滞と安い給料、頼りにできない政治政府、高い税金に、進む少子化等、嫌なところばかり目につきます。テクノロジーの発展や教育水準、幸福度など、海外の国々と比較して、羨ましく思うことが多くありました。

ここで少し、アニメの話をさせてください。「進撃の巨人」の主人公エレン・イェーガーは、街中を囲った壁の外に、無限の希望と自由を見出していました。しかし、実際には、自分たちと同じような人類が外側にも生きていて、同じく自由を求めていた。そのような現実に彼は絶望してしまう、そんな描写があります。

現状に不満を感じ、スマホの画面の向こう側や、海を超えた別の土地、また、宇宙の先の異なる惑星そんな「外の世界」に僕達は、希望を見出し、努力をします。視野を広げると、頑張る糧を得られますが、同時に、自身の幸福度も下げていた要素がある気がしました。

世界中では戦争が起こり、日々命を晒される人々もいる。その中で、僕は生きている。素敵な友人や家族に恵まれて、学校や仕事の居場所がある。毎日お風呂に入れて、近くのコンビニでなんでも買える。外から見た日本は、そんなありきたりなことを言ってしまうくらい素晴らしい国でした。

欲望を抑圧し、頑張らない正当化をしたいのではなく、今あるものに満足できる視点を忘れてはいけない、そう感じました。


5. おわりに:これからの展望


バットエンドはない、僕達は途中だ

29年度近畿大学卒業式


これは、僕が高校生の頃に出会った、ピース又吉直樹さんの言葉です。

高校2年の夏、僕はパニック障害を患いました。学校に行けず、引きこもることしか出来なくなりました。人生に深く絶望していたその時、この言葉にたまたま出会い、心を救われました。

一時期は部屋からも出れなかった僕が、今こうして、アメリカに行き、無事帰ってきている。あの頃からは想像もつかないことです。生きている限り、バットエンドというものはなく、ストーリーは続いていくばかりだ。これからの人生にも多くの試練はあるとは思いますが、僕はこの考えを大切にして生きたいと考えています。

大学4年生の秋、同級生の多くが内定式を迎える中、僕らはアメリカへ旅に出ました。僕は、まだ卒業後の進路を定かに出来ていません。

起業、就職、その他の道。今回の旅は、そんな葛藤を胸に秘めたまま、迎えました。先の見えない時代。どうしようかと、不安で押しつぶされそうになる時もあります。

ただ、妥協したり、諦めることが出来ず、いくつかの選択肢の間を揺れ動いています。しかし、そんな不安定さが、今回の旅や人との縁をもたらしてくれたのだとも考えられます。

正解のない時代と言われています。最近、思いついたのですが、「絶対的な解答」がない、ということは、どんな選択肢も間違いではない、ということなのではないでしょうか。

ならば、自分がやりたいことをしたい、そう思います。
好奇心のまま動いて、多くのことに挑戦し続け、自分の人生を生きたい。

まだまだ僕は未熟者で、社会を知らないだけなのかもしれませんが、今回の旅は、その少年心に拍車をかける経験となりました。

このnoteが、読んでくださった方の心に響いて、少しでも挑戦を後押しするきっかけになれば、嬉しい限りです。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
ここまで育ててくれた両親と、7歳になる最愛の妹に感謝を込めて。


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