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Google Japan にビジネス職として新卒入社して、本社でソフトウェアエンジニアになるまで

初めまして!タイトルの通りなのですが、自分は現在ベイエリアでソフトウェアエンジニアとして働いているものの、今の職種に就くまで少し変わった経緯があります。具体的には、文系学部(経済学部)を卒業して、ビジネス職(カスタマーサクセス)として入社した後、本社に転籍し、今はソフトウェアエンジニア(以下、SWE)として働いています。

時々「どうしてアメリカに行こうと思ったの?」「どうして SWE になったの?」「どうやって独学で SWE になったの?」と聞いてくださる方がいるので、今回少し書いてみようと思った次第です。ただ、初めにお断りしておくと、その質問に直接お答えするというよりは、自分の体験談を叙述的に記述してしまったので、一部の方には物足りなく感じてしまうかもしれません。

動機 - なぜ本社で SWE になろうと思ったのか

結論から先に書くと、学生時代にベイエリアを訪れることがあり、そこで出会った人々や製品に感化され、自分もこの地で人々に使われる製品を開発してみたい、と思ったためです。

自分は元々、学生時代に小さな事業を営んでいたのですが、それがうまくいかず、就職する機会を逃しました。そのため、就活浪人という形で留年することになり、結果的に Google Japan から広告営業としてオファーをいただきました。ところが、日本の就活の仕組み上、オファーから入社まで約 1 年のラグがあります。その頃には大学の単位をほぼ取り終えていたので、意図せずギャップイヤーを経験することになりました。

「同級生は社会に出て働いてるし、自分も何かした方がいいんじゃないか」と思い、あまり深く考えずに、かねてより関心のあったシリコンバレーに行ってみることにしました。そこで目にしたのは、当時、試験走行が行われていた自動運転車や、徐々に生産が拡大し始めた Tesla、そして何より、自ら開発を行う人々でした。その光景に感銘を受けて「この地に戻ってきたい。戻ってくるなら、自分も同じようにプロダクトを開発するエンジニアになりたい」と思い、入社後の目標の一つが「本社でエンジニアとして働く」になりました。

当時 Google で撮った写真

内定者時代 - 背中を押してくれる存在

とはいえ、どうしたら本社に転籍できるのか、当時の自分には見当がつきませんでした。そこで内定者一人ひとりにアサインされた世話役の先輩に相談してみることにしました。ただ、いきなり突拍子もない相談をして困惑させてはいけないと思い「無謀なことは承知ですが…」と一応の前置きをしました。すると、返ってきたメールにはこのように書かれていました。

この会社に『無謀』ということはあまりないと思います。素敵な目標だと思いますよ。応援しています。

この時は本当に感動したのを覚えています。当時、本社に行きたいと言うと(親切心から)「本当に行けるの?」「そういう仕組みがあるの?」と、疑問の声の方が多かったので、誰かにはっきり背中を押されたのは、記憶にある限り、それが初めての経験でした。こんなに協力的な人がいるのか、前向きな環境があるのかと驚きました。この一言がなければ、自分は今ここにいないかもしれません。

当時のメール

入社後 - セールスエンジニアという選択肢

その後、無事入社し、本業は本業で当然、一生懸命に取り組んでいたのですが、自分の進路に影響を与える一つの発見がありました。この発見がきっかけでまずは SWE ではなく、セールスエンジニアを目指すことになります。

その発見とは、たとえテックカンパニーと言えども、ビジネス部門の全員が全員(例えばエンジニアほどの)IT 技術の専門知識を有するわけではない、という事実でした。考えてみれば当然なのですが、当時の自分には新鮮な発見で「ビジネスという文脈で貢献するエンジニアには、実は広大な機会があるのではないか」と思いました。

そこで、社内の異動をサポートする社内リクルーターに「ビジネスとテクノロジーの両方の文脈を理解する、橋渡しのような仕事をしてみたい。何かそういう部署を知りませんか?」と相談したところ、gTech という部門、そして、セールスエンジニアという職種(正確には自分の場合は Ads Solutions Consultant)があると教えてもらいました。これは自分にぴったりだと思い(まずは)セールスエンジニアを目指したい、と思うようになりました。そこで、当時の部署も楽しんでいたのですが、話だけでも聞いてみようと該当部署にコンタクトしてみました。

↑ gTech 紹介動画

恩師との出会い - 技術的な基礎の形成

早速、その後の上司に当たる方とお話しさせていただいたところ、運良くポジションが空いていたので、面接してみてはどうか、という話になりました。とはいえ、当時簡単なコーディングはできるようになっていたものの、コンピュータ サイエンスの知識は完璧とは言えませんでした。幸い面接まで時間があったので、その期間にできる限りの準備をすることにしました。

当時は、その方の、そして、未来の顧客や同僚の期待に応えたい一心で、自分なりに一生懸命準備をしました。当時はコンピュータ サイエンス等について相談できる人も周りに少なく、体系的なカリキュラムも自分の中になかったので、乱読という形を取り、結果的に数ヶ月で 60 冊ほど読むことになりました。今の自分が振り返るともう少し効率的にできるよ、と当時の自分に伝えられる気はします。最終的に、なんとか面接を通過することができ、異動後もその上司の方は恩師のように様々な知恵を授けて下さりました。今振り返ると、この準備期間とその後の業務を通じて、情報系の専門教育を受けていない自分に少しずつ技術的な基礎素養が形成されていくことになります。また、このエピソードからも分かるように、自分のキャリアの多くはこのように運と縁に恵まれてきました。内定者時代に続き、こうしてまた人に恵まれて、少しずつ自分のキャリアが形作られていきました。

ちなみに、SWE との違いとしては、製品の開発をするわけではないので、コーディングよりもコンピュータ周辺の知識など、お客様と会話し、解決策を提案できる能力が求められるため、そうした活動に必要な知識を重点的につけていくことになりました。

当時読んだ本

US 本社転籍

そうした上司や同僚、そして、何よりお客様のおかげもあり、セールスエンジニアの日々は楽しく、また、当時は社会人歴も浅かったこともあり、多くを学ばせていただきました。その辺りはたくさん書きたいことがあるのですが、それはまたの機会に、ということにさせて下さい。

それから数年後、当時の仕事に慣れた頃、社内の面接にパスし、よりコーディング比重の高いセールスエンジニアになる資格を得ました。そこで、改めて自分のキャリアを考えることになった際に、業務内容がそれほど変わらないならいっそ本社に行ってしまえばいいのでは?と考え、チームにコンタクトしてみました。すると運良く積極的に採用中ということで、自身が社内の類似職経験者ということもあり、話を進めること自体は苦労しませんでした。こうして本社への異動話がスムーズにまとまったことで、技術的な基礎素養と本社転籍というピースが揃うことになります。(ただ、面接自体は大変でした。コミュニケーションを生業とするネイティブの方と 1:1 でお話しするのは初めての経験で、会話速度も語彙も発音の変化も自分が慣れ親しんだ英語とは異質で、初めは圧倒されました。)

余談: 大ボス(上司の上司)からのアドバイス

この話を進める際にアジア側のヘッドに当たるボスにも相談しました。彼は本当にいい人で、自分のチームの事情より、私のことを考えて相談に乗ってくれる人でした。そんな彼は実は(顧客向き合いではなく)社内向けの職種を薦めてくれ、該当部署につないでくれるほどだったのですが、当時の自分は、今後英語圏に身を置くのであれば英語によるコミュニケーションはどこまでもついて回る、であれば、できるだけ早い段階で(外部の顧客等も含めた)多様なステークホルダーと対話する職種に挑戦し、正面からその問題に取り組んだ方が良いのではないかと考え、僭越ながらせっかくのアドバイスに従わない決断をしました。

空っぽになった家

本社勤務 - アメリカでのクライアントワークへの挑戦

いよいよ念願の本社勤務が始まりました。ちなみに、この章は SWE というより、本社やアメリカ(ベイエリア)での勤務についての話になります。副次的な理由にはなりますが、意外と SWE や PM(Product Manager)以外のベイエリア IT 企業勤務の情報が少ないこと、また、自分がその後アメリカで活動する上で大切なスキルの多くを獲得したのもこの時期なので、書き残したいと思った次第です。そして、待望の本社勤務は順風満帆とは言えない状態で始まることになりました。

大変だった点としては、まず、海外での生活立ち上げ自体を甘く見ていました。慣れ親しんだ環境がリセットされ、生活の基本的なことがいちいち分かりませんでした。また、当時は知り合いがいなかったので、気軽に相談できる人もいません。加えて、英語も決して流暢ではありませんでした。

また、仕事の環境も非ネイティブには簡単とは言えませんでした。当時の状況として、直接のチームメイトは同じオフィスに 1 人のみで、上司含め、他チームメイトは他都市にいる状態でした。つまり、「リモートでオンボーディング大変問題」にパンデミック前から直面していました。また、社内外のコンサルティングからプロジェクトが始まる仕事の性質上、決まったタスクがなく、全ての仕事が社内営業から始まりました。そして、ステークホルダーの多くは他都市にいて、皆さん忙しい。。勇気を出してセットした 30 分の会議が 10 分で終えられてしまった苦い感覚は今も覚えています。人間関係もなく、英語も文化面もおぼつかない最初期に、この foot in the door のフェーズは大変でした。

余談ですが、この時期はイギリスの日本大使館が掲載しているこのページなどが参考になりました。

英語

英語圏で活動する上で、避けては通れない英語についても簡単に触れさせてください。自分はアジアで活動していた時は、正直英語にはあまり困らない状況でした。それでも、アメリカの英語には苦戦しました。聞き取れないことは想定していたのですが、通じない。英語圏の国で英語を話してるのに通じないことがあるか、という感じなのですが、自分の場合は流暢さと発音(と声量)に課題があり、ネイティブからすると聞き取りづらい英語になっているようでした。この辺りはまた別記事にまとめたいと思います(→書きました)。

最初はこのように苦労したのですが、上司や同僚の多大な支えもあり、少しずつ仕事も軌道に乗り、最終的に昇進させてもらったことがきっかけで次のステップを考えるようになりました。いよいよ SWE への転向です。

当時のチームと

SWE 転向 - 拾ってくれた現上司

日米通じてセールスエンジニアをやったくらいなので、その仕事が好きでした。また、簡易的な開発はできるようになっていたので、あえて SWE になる必要もないかもしれないと考えてる部分もありました。ただ、同時に、セールスエンジニアを続けていく内に、その仕事では難しい部分も少しずつ分かってきました。具体的には、特定の顧客あっての仕事なので、その性質上めちゃくちゃスケールするものではなかったり、製品の機能変更が必要な場合は、製品開発をする SWE の力が必要になります。そのため、次はよりスケールする仕事、製品の開発を自ら行ってみたい、SWE として働いてみたいと思うようになりました。

この時点で SWE になる上で自分に不足していたのは主に次の 2 点でした:

  • 実際の製品開発経験

  • データ構造やアルゴリズムを用いたコーディング能力

製品開発経験は、セールスエンジニアでありながら、社内ツールなど、それに近い経験を積むことは可能でした。また、Google には 20% ルールという、業務の 20% の時間を好きなプロジェクトに使えるという制度があり、自分はそれを活用して実際の製品開発などに関わることで実績を積んでいきました。

また、データ構造やアルゴリズムを利用したコーディング能力については、コーディング面接という文脈では情報や資料は豊富にあり、やること自体ははっきりしていました。自分も例に漏れず、いわゆるコーディング面接の問題を解き、模擬面接を行ってもらうことで、最終的になんとかコンスタントにパフォーマンスが出るようになりました。(この辺りの情報は出揃ってると思うので、細かい内容は割愛させてください。このツイートに端を発したブログ群が参考になるかもしれません。)

ここまで書くと順調に進んだかに聞こえるのですが、SWE への転向は決して楽な道のりではありませんでした。何が大変だったかというと -- これは個人の経験で、一般化できないのですが -- 自分のような特殊なキャリア(非 SWE、かつ、コンピュータ サイエンスのバックグラウンドがない)だと面接にたどり着くまでが大変でした。どこも SWE は採用に積極的とはいえ、特に Big Tech は応募はたくさんあります。その中で、自分のような人材に進んで時間を割いてもらうことは簡単なことではありません。とはいえ、これは決して「だから不可能」と言ってるわけではありません。

結果的にかなりのチームと話して、様々な事情も絡み、自分は面接に進むことはありませんでした(元チームメイトはスムーズに行ったので、やはり一般化はできないようです)。当時、別の Big Tech からのオファーもあったので(そのため、やはり皆が untraditional background を採用しないわけではない)、次のチームがうまくいかなければ転職しようと思っていたところ、拾ってもらったのが今のチームです。今の上司には感謝してもしきれません。ちなみに、ほとぼりが冷めてから「なんで自分を採用したの?」と聞いたら「なるほど」という答えが返ってきたので、もし興味ある友人がいれば直接聞いて下さい。

最後に

(もしそんな心優しい方がいらっしゃれば)このような長文を読んでいただき、本当にありがとうございます。読んでいただいた方なら分かるように、自分のキャリアは運と親切な方々のサポートに依る部分が大きいです。そのため、こうすればうまくいく!というような万人に共通する簡単な話には、心苦しいながら、なっていません。

ただ、ただ… たとえスタートが遅くても、一見不利な状況に思えても、可能性自体はゼロではないんだ、そういうキャリアもあるんだ、とポジティブに受け止めて下さる方が一人でもいれば、望外の喜びです。自分自身、これからも少しずつコツコツやっていければと思います。読んでいただき、本当にありがとうございました。


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