川路虹之介

1988年3月、自然法司法試験に、2000年ぶりに合格した。 「自然法に反する人定法は…

川路虹之介

1988年3月、自然法司法試験に、2000年ぶりに合格した。 「自然法に反する人定法は無効」という鉄則に基づき、法律や政治や風俗や人間の意識を批判してゆく。

最近の記事

空前の下り坂

あちらに掲載したものと同一の内容だが、一々あちらに飛ばして参照してもらうのもアレなので、こちらにも転載することにした。 ―――――― 「空前の下り坂」とは私オリジナルのいわゆる学術的用語。  1991年2月から始まったとされる不況という経済現象を、まだ日本経済が不況に入っていると認識されない段階で、予言的にそれを言い当てた言葉が「空前の下り坂」だった。  一般には、不況が始まって10年たってから作家村上龍がNHKの番組で使ったことから流行語のようになった「失われた10年」

    • 堂々と嘘をつき徹すことが女子アナの職務適性である。

      東京都知事の学歴詐称が本格的に立証されつつあるが当の本人は「カイロ大学卒業は事実」と未だ言い放っているらしい。 堂々と嘘をつき徹すつもりのようだ。 これぞ「ザ・女子アナ」。 女子アナの真骨頂というほかはない。 女子アナという仕事は臆面もなくいけしゃあしゃあと嘘をつき続ける傲岸さがないと務まらない仕事らしい。 TBSに豊田という名の女子アナがいたが、彼女が入社間もない頃ネット上のテキストで 「面接でついた嘘が次々にバレてゆく」 と書いていたことがある。 女子アナが採用されるた

      • 江戸時代の階級差別復活と非婚少子化を助長するだけの「選択的」夫婦別姓

        国民総夫婦同氏にしたのは階級差別撤廃のためだ。 「平民苗字必称義務令」(1875)以前の名付け習慣は階級や地域によりまちまちだった。 差別的階級構造の象徴が「名」だったのだ。 武士は極めていい加減に好き勝手「苗字付名」を自称して使っていたが、非武家の者どもには苗字を名乗らせなかった。 苗字があるかないかで身分を他者に明示させたわけだ。 このように苗字と名は他者に対する識別記号であって自認だの「私らしさ」などというジェンダーなるもののために存在するものではそもそもない。 選択

        • 成金消費生活から貧困生活へと転落することが子に何をもたらすか

          私の母は幼少期に子守が三人ついていたことをよく自慢していた。 本人は無自覚だったが、事実は決して自慢できる話ではない。 ちょっと目を離すと独りで勝手にどこかへ行ってしまい、危険なことでもすぐ真似て行動し何度も親をひやりとさせる場面があったからだ。 目を離すと命に係わることになりかねないから子守の数を増やして見失わないようにした。 しかしその甲斐なく母はまんまと子守の監視の目を盗んで近所の川に架かる橋まで独りで遊びに行った。 母の年は三歳かそこいらだっただろう。 私の子供の頃に

        空前の下り坂

          性別変更、生殖不能の手術要件は「違憲」判決がもたらす「未来予想図」

           性同一性障害者が戸籍上の性別変更を可能にするための特例法がある。 「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」と呼ばれる。  これに関する画期的な最高裁判決が2023年10月25日に下された。  同法の性別変更許可要件のうち、生得性の生殖機能を人工的に喪失させることを強いるのは憲法違反かどうかを最高裁で争われていた。  その判決が2023年10月25日に下され、最高裁判事15人全員が生殖機能喪失条件を違憲だとした。  違憲判断をした最高裁判事は以下である。 よく氏名を

          性別変更、生殖不能の手術要件は「違憲」判決がもたらす「未来予想図」

          ルソーの「良心」は生得的原理である

           これは私が2001年11月13日に書き、昔持っていたホームページの随筆として公開していた文章を一部改変したものだ。  文章のほとんどすべてが当時のままである。  2001年は22年前だ。  その頃からこのような理解と認識であったという証左である。  ※ ※ ※  学校の成績が良いから優秀とは限らない。  大学生時代の話だが、2年の一般教養選択科目に教育学を選んだ。  担当の教師はジャン・ジャック・ルソーの研究者で教科書も彼の著書であるルソー研究書だった。  ルソーの思

          ルソーの「良心」は生得的原理である

          なぜ歩きながら独り言を呟きたいのか

           鳥巣頭先生が自覚していない、深層心理を私が読み取って教えて差し上げようという趣向です。  「意識」には、「(顕在)意識」と「個人的無意識」と「集合的無意識」と「普遍的無意識」の4層がありますが、ここで述べるのは  「普遍的無意識」に関する話です。  先生はしょっちゅう歩きながらブツブツ喋ってますよね。  なぜそんなことしたいのか、自分の行動の本当の動機をちゃんと自覚化できてますか?  Youtube動画撮ってるんですけどね、実際の行動としては。  しかしそれには無自覚な別の

          なぜ歩きながら独り言を呟きたいのか

          死ぬのを思いとどまった理由

           東大を最優秀成績で卒業したらしい成田悠輔というイェール大学の学者が「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹をすればいい」と言ったことが問題になった。  NYTが報じたことで世界的に悪名が轟いた形だ。  当然の如くメディアは非難轟々で、保守側はそれを冷笑している。  なんでもウヨサヨに別れて罵り合う図式へと還元されてゆくのはいつもの風景である。  これを批判する論法は色々あるだろう。  『バカの壁』を400万部売った養老孟司という権威を持ち出して留飲を下げさせようとした週

          死ぬのを思いとどまった理由

          「元型」の話

          「意識のスペクトル」 「意識  個人的無意識  集合的無意識  普遍的無意識」  「元型」という語を私は日常語のように使います。  説明なしにいきなり使うので理解できないと思います。  専門性の高い言葉を定義の説明もせず使うのは不親切だと思うので、今回それを理解できるように、できる限り簡略化して解説してみようと思うわけです。  私の言うことを理解する気のある方なら、いちおう語の意味ぐらいは理解しようと思ってネットで検索したり、専門書を読んでみたりしたことでしょう。  結

          「元型」の話

          バレンタインデー余話。

          ~もらい損ねたチョコと忘れたチョコの話~  今日はバレンタインデーらしいので想い出話でもしてみる。  もう少し若い頃ならクリスマス同様こう書いた。 「何も言葉に残る誓いはなく何も形に残る想い出もないバレンタインデー」と。  無論中島みゆき『りばいばる』からの援用だ。  しかし老後が目の前にチラつく年齢になると何もなかったはずのバレンタインデーの記憶が、沈めていた浮き輪を抑えつける手を離したように、不思議なことにあれこれと浮かんでくるのだ。  「二浪が終った時点でどこかに合格し

          バレンタインデー余話。

          得したこと ~退院の明くる日に想う

           日記というマメな習慣は続いた試しがない、と書いた。  自意識上では間違いのないことだが、客観的には少し事実に反するような気もする。  その時々で、事実と感想を織り交ぜた短文を暇に任せてしたためていたことがあるようだからだ。  昔それを漠然と『遺詞集』という題名を冠して書いては印字する習慣があった。  今日その一篇の短文が目についたので転記してみたい。  日付は1994年10月20日とある。  この二ヵ月前の8月某日、私は職場に出勤途上に交通事故に遭った。  私はミニバイク

          得したこと ~退院の明くる日に想う

          「カズレーザーと学ぶ。」~なぜ心は簡単に支配される?マインドコントロール仕組と防御法~を観た。

           2022年12月13日、日本テレビ系列で放送された「カズレーザーと学ぶ。」という番組でマインドコントロールを取り上げていた。  テレビでよく見る雛壇タレントを生徒に見立て、先生方から教えてもらうという体のバラエティ番組だ。  マインドコントロールについて解説するパネリストは西田公昭先生と、女性公認心理士と、男性脳科学者だった。  結論から言えば、 「テレビは常に正義で視聴者の味方であると思い込ませるためのマインドコントロールを施すのが目的の番組だった」  と言っていい。

          「カズレーザーと学ぶ。」~なぜ心は簡単に支配される?マインドコントロール仕組と防御法~を観た。

          「出稼ぎ」を間違った意味でメディアが報じることの罪

           2022年11月13日放送のフジテレビ『Mrサンデー』で日本人の出稼ぎについて報じていたが、経済現象について正確に理解し政策に活かすための課題意識を持たない単なる現象取材レポートに過ぎず閉口した。  まず問題なのは報じた事例に「出稼ぎ」と類型できる事例が一つもなかったことだ。  「出稼ぎ」とは「住所地に家族を残したまま、賃金を送金し家族を養うためにする移住労働」のことである。  閑農期に地方から都市部へ父親だけでていくことが日本語の本来の「出稼ぎ」の意味だ。  それに加

          「出稼ぎ」を間違った意味でメディアが報じることの罪

          22年前の介護日記

          初出原稿:2022年10月14日 「3月8日のシンクロニシティ」という文章の中で、日記を書く習慣が私にはなく、それが苦手だったと書いた。  無論、それは事実なのだが、人生の中で何度か日記を書く習慣を持とうと試みたことはある。ノートに毎日その日あったこととともに、雑感のようなものを綴っていたこともあった。すべて途中で頓挫し、現段階まで続けることはできていない。  毎日続ける習慣としては、1日1回出走で定めたコースをロードワークで10km走る、ということを1月累計走行距離200

          22年前の介護日記

          美しき伽藍堂

          これは今から20年前、2002年4月21日に書いたものだ。  文芸誌「すばる」を書肆で手にするときいつも感じるのは、デザインが美しいということだ。扉を開き、文字に目を通す段になっても同じ思いは持続する。洗練された現代アートの感性が横溢すると感じる。ホームページを訪れても同じ思いが湧く。同じ人物の、同じ感性が構築した「作品」だと実感できる。込み入ったjavascriptの技術を駆使し、数多あるサイトのなかで最も優れたデザイン性を醸し出そうする意志の痕跡が、ソースを開くと明らか

          美しき伽藍堂

          イエスの再臨は日本にいる

           私が自然法の司法試験に合格したのは、広瀬健一元死刑囚がクンダリニーの覚醒を経験した数日前だ。1988年3月5日午前3時40分。 広瀬氏が3月8日にオウム入信を決意したのだから、地下鉄サリン事件はおろか坂本堤弁護士一家殺害事件すら起こっていない時期である。  自然法司法試験合格は、釈迦が「悟り」「解脱」と言ったことと同じでイエスが預言者となったのも同じ過程によるが、それで救世主になれたわけではない。  ナザレのイエスもキリスト教や旧統一協会・家庭連合の教義上は救世主なのかも

          イエスの再臨は日本にいる