成金消費生活から貧困生活へと転落することが子に何をもたらすか

私の母は幼少期に子守が三人ついていたことをよく自慢していた。
本人は無自覚だったが、事実は決して自慢できる話ではない。
ちょっと目を離すと独りで勝手にどこかへ行ってしまい、危険なことでもすぐ真似て行動し何度も親をひやりとさせる場面があったからだ。
目を離すと命に係わることになりかねないから子守の数を増やして見失わないようにした。
しかしその甲斐なく母はまんまと子守の監視の目を盗んで近所の川に架かる橋まで独りで遊びに行った。
母の年は三歳かそこいらだっただろう。
私の子供の頃にも残存していた木製の吊橋でユラユラとよく揺れていた記憶がある。
橋の中央で小学生の悪ガキどもが次々に川に飛び込んでいる。
昭和10年頃の水の綺麗な頃の川だ。
プールの無い時代水泳はこのような川で遊びとして覚えるものだったのだ。
三歳児の母は無論泳げるはずもない。
しかし目の前で年上のお兄さんたちが楽しそうに川へ飛び込む情景を眺め自分もできると思いこんだ。
母は彼らの真似をして川に飛び込んだのである。
播磨五川のうち県内二番目の長さを誇る水流の最下流だから川幅も深さも相当なものだった。
その時みたものは記憶にくっきりと刻まれ、
「水の中はキラキラ光って綺麗だった」
と後年息子の私に向かって述懐した。
美しい水中の情景を眺めながら母はどんどん下流に流されていく。
苦しかったという記憶はない。
ただ突然誰かに腕を摑まれぐいぐい引っ張られて河岸に引き上げられたことは記憶していた。
幼い娘子が川へ飛び込み溺れながら流されていくので慌てて誰かが後を追って飛び込み助けたという人命救助の場面である。
その時助けてもらわなければ今私はここでのほほんとこんな文章を書いていられなかったわけだ。

目に見たことを好奇心だけで真似て行動してしまう母の性質は、アルツハイマー認知症にかかった晩年にそのまま現れ介護する私をほとほと困らせた。
入院した病院でもナースコールを一度も押さず、トイレへ行きたくなったら自分で勝手に病室を抜け出して探しにゆく。
介助が必要な身だから当然転倒して怪我をする。
目を離すと勝手にどこかへ行って倒れて怪我をする、の繰り返しは自宅でも同じだった。

だから三人子守がついただけのことだが母はそれを裕福だったことの証と錯覚して自慢していたわけだ。
無論奉公人を何人も抱えて子守を雇えるのだから自慢以前に裕福な家だったことは間違いない。
子守の娘奉公人だけでなく男子奉公人が何人もいて後に出世して国鉄の幹部職員になり世話になった礼をしに訪れた者もいた。

その母の蝶よ花よと大切にされた富裕層の娘時代も戦後の女学校時代に突然終焉を迎える。
まずは農地改革だ。
母の実家は米屋で母の祖父(私の曽祖父)の人徳かなにかで、金に困った者たちがよく金を借りに来ていた。
わずかばかりの自作農地を差し出し、金を貸してくれというから、その通りの条件で金を貸すが、農地がなければ生活ができまいと形にとった土地でそのまま小作人にしてやった。
その温情が敗戦で徒になった。
農地改革が施行され母の実家は借金を踏み倒された上に小作人に強制的に農地の所有権を移されるという二重の損害を被った。
加えて戸主の父親(私の母方の祖父)が間もなく結核で亡くなった。
米屋は廃業を余儀なくされ預貯金も農地もすべて失って残された未亡人と七人の子供たちに向かって税務署は情け容赦なく税金の払えないペナルティとして家財道具差し押さえの赤紙を貼りに来た。
窮するものへの過酷な仕打ちは今の比ではなかった。
それでも母の親兄弟姉妹たちは自力で生活することを当たり前のこととして生きて来たのである。

女学校に通っていた母は中退して家計を助けるために働きに出た。
裕福なお嬢様の身分から貧困家族を養うために働きに出ざるを得ない身分へと真っ逆さまに落ちた。
うちの家系は、戦後日本の世界に類を見ない平等社会化を実現するための、最も過酷な犠牲になったと言っていい。

以上のわが母に纏わる話には、山猫女史の娘さんに通じるものがあるのではないか。
かつては週末になると軽井沢の別荘で過ごす類まれなお嬢様生活だったが、一転して貧しい生活へと急激な消費生活の変化を体験している。
それはおそらく彼女の宝となるだろう。
貧乏人の子沢山の家に生まれそれを当たり前として育った子は、仮に夫が事業に失敗して一切の資産を失ったとしても、その貧しさの中でどうにかやりくりして生活していける素地たる知恵を身につけている。

結婚は当人同士の意志だけでするべきもので家のために結婚を強いられるのは不幸だ、という歴史上の事実に基づかない可笑しな話がまるで真実の如く語られるが、私は配偶者となる可能性のある女性をその対象にできるかどうか判断するためにまず彼女の生い立ちや親のことを知ろうとする。
薄給の学者の父と専業主婦の母の間に生まれた五人兄弟姉妹の一人という生育条件から、彼女は貧しさに対処可能な基礎を持つとみる。
彼女が自らの意志で築いてきたものが信用にも評価にも値しないものであっても、彼女の実家を見て妻にする価値が高いと私なら判断する。
本人の自我や自認より実家が彼女に与えた基礎部分が判断の根拠になるということだ。

本人が好き勝手に決めた自由恋愛の末の結婚の50%が離婚し見合い結婚の離婚率が10%未満だったという動かしがたい過去の事実は私の判断の方法論が正しいことの傍証である。

山猫女史の娘が週末に別荘で過ごす両親の成金趣味を成人するまで強いられなかったことは幸いなことなのだ。
両親が与えたものと同じことをしてくれる男はこの世にまず存在しないからだ。
ミラーニューロンしか働かない時代に両親が刷り込んだ生活習慣のために、娘が婚姻関係を維持できる男のストライクゾーンが極端に狭くなっているのだ。
親は子の倖せを考えるなら、より多くの男が配偶者候補のストライクゾーンに入るように可能な限り平凡な生活習慣を子に身につけさせたほうがいい。
父親が逮捕され企業経営を存続できなくなったことで、自慢気に披瀝する成金生活が強制終了となったことは娘の将来にとって幸いなことである。
娘には普通で平凡な結婚生活を自力で勝ち取る可能性がでてきたからである。

成金生活を当たり前とする親の子が結婚生活を破綻させないためには同じ種類の成金生活者の子女と結婚させるしかない。
それが同一階級同士の結婚であり家同士の結婚だ。
生涯一夫一妻を全うさせるための合理的な方法が家同士の釣り合いを重視した見合い結婚であって、決して家を守るためにさせたわけではない。
むしろ逆で、離婚して出戻ってこないように、娘を自立させるためにさせようとしたことなのだ。
子に不幸な結婚をさせないための方法でしかないものをあべこべに曲解し勝手に自由意志でした結婚が案の定ことごとく破綻した。
それが恋愛結婚の離婚率50%という現実だ。
ほらみろだから言わないことではない、というしかない話だ。
その間違いを認めたくないために「家を守るために強いられた結婚は不幸だ」という現実にどこにも存在しない論説をでっち上げて「離婚する結果になっても自分の意志で選べたのだから私の方が倖せなのだ」と思いこみたがっている。
「眞子さまには不幸になる権利がある」
という言説はそのような負け惜しみ根性から出た話なのだ。

フェミニズムの家父長制だとか家のために強いられる結婚だとかいう稀にしか日本の歴史に存在しなかったことをまるで過去の人々がすべてそうだったかのように言う嘘話は、必ず恋愛結婚に失敗した女が離婚に至った責任をすべて元夫に転嫁する目的で言い募っている。
失敗した者の負け惜しみのための自己実現。
その嘘話に安易にマインドコントロールされて同じ轍を踏む女が増える。
結婚という自らの人生に立ち向かうことからの現実逃避にすぎないキャリアを女の自立だ解放だと理想化しロールモデル化しようとするのは、単に死なばもろともの、同じ人生の落伍者を増やして安心したい衝動の産物にすぎない。

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