選択的夫婦別姓に反対する私の氏名の話

私は確たる理由により選択的夫婦別姓の法制化に反対している。
断固反対する、というほどの岩盤反対派だ。
そういうと選択的夫婦別姓主義当事者やそのアライどもから色々と謗られることになる。
様々な的外れたレッテルを貼っては自分より下の身分に貶めようとしてくれる。
その選択的別姓主義者に対していかにそれが手前勝手なストローマン論法にすぎないかということを詳細に述べてやろうという趣向である。

私の氏名がどうやって成立したかという歴史を紐解いてゆく。
お目にかけるのは姓名判断だ。
一つだけ例示するが、結果はどれも昔からある姓名判断とだいたい同じだ。

https://namaeuranai.biz/result/%E5%89%8D%E5%B7%9D_%E7%9F%A5%E4%B9%85/%E7%94%B7%E6%80%A7#google_vignette

診断に使った氏名は私のものではない。仮名だ。
しかし漢字の画数がすべて同じなので姓名判断も全く同じ結果になる。
だから仮名といえどもこれは私自身の姓名判断に基づく運勢と同じだということだ。

なぜいきなり姓名判断の話になるかといえば、私の名が実際にこれで決まったからである。
親が名前の画数とその運勢に拘って命名したからだ。
私は自分自身の名付けについて客観的にこう表現する。

私の名は迷信という親の愛情と成功にあやかりたい他人の卑しさによって作られている

両親のどちらの意志なのかは定かではない。
何事も母の意志で家族の運営方針が決まる家だったからおそらく母の意志だろうと思うが、私が生れた時、名を姓名判断の運勢によって決めようと言うことになった。
苗字(民法上の氏)は父方のものだ。
その苗字の画数と合わせて23になるように名前の候補を持ってきてくれと「八卦見のおっさん」に依頼した。
八卦見とは母の言い方で要するに姓名判断を職業とする知人男性のことである。
八卦見のおっさんが総格23になる名の候補をいくつか持ってきて、その中から選んだ。
私の名には総格23画になる名以外の意味は親からは込められていないということだ。
実の親から依頼された占い師がどういう意図と経緯でこの名を選んだのかはっきりとした話は伝わっていないが類推によっておよそこういうことだろうという確からしい結論はでている。

私は1963年(昭和38年)生まれだが、その頃同じ名の著名人が一人いた。
「鉄腕稲尾」である。
プロ野球パリーグ西鉄ライオンズで私が生れる2年前の1961年に年間勝ち星42勝という今後とも破られることがない金字塔の記録を打ち立てた投手である。
今でいうところの大谷翔平の「翔平」をそのままいただいたようなものだ。
「ああ、あやかりたい蚊帳つりたい」
という他者依存的精神だ。
しかもその「あやかりたい」という意志は私の両親のものではない。
おそらく占い師の男がプロ野球好きで西鉄ライオンズファンだったので候補に挙げてきたものだ。
私の両親はプロ野球に全く興味がなかったので、鉄腕稲尾と同じだなどと知りもしない。
23画の候補名の中からたまさか選んだにすぎない。
同じあやかり精神で名づけられた子は全国に沢山いたようで、私と同い年の東大合格者の名ランキングに私の名が入っていた記憶がある。
それほどありふれた平凡な「あやかり名」だったわけだ。

こんな杜撰でいい加減な名前の付け方をされた子が大成しないのも無理はない。
まさに名は体を表すの格言通り。
名付けの経緯を知れば、そう思わざるをえないだろう。

しかし親には親なりの子を思う親心によりこうしたのだ。

母は23画ということに拘った。
23画頭領数である。
偉大なる隆昌・発展運である大吉運数です。あたかも猛虎のような強いエネルギーと運勢を有し、たとえ恵まれない境遇に生まれても一代でトップに立つ天賦の幸運があります。とても感情が鋭く短気な一面があるものの、強い意志と行動力で次から次へと難を排し、やがては大きな成功を手にするという大変貴重な運格です。また、強い牽引力と指導力をもつため、リーダーとして衆人の尊敬を得る人も多いです。ただし、短気で感情が燃え上がりやすい傾向があり、これが過ぎると対立・不和を招くため注意が必要です。三才と他格構成が良ければ非常な発展運となり、必ずその分野で大きな功績を上げるでしょう。」(占いサイト「虎の舞」参照)
https://www.虎の舞.com/suuri/num.php?num=23

どこの占いでも23画はだいたいこのような内容だ。
23という頭領数の名は男にとってはよいが運勢が強すぎ男勝りになるので女性には向かないとされる画数のようだ。
親は決して不幸になることを願ったわけではない。
近年キラキラネームと慰撫される言い方になってきたが要するにドキュンな親がつけた名が流行っている。
愚かな親のただの趣味によって名付けられ周囲が迷惑する親のエゴ丸出し名だが、そんな名よりはよほどましである。

姓名判断の図に戻るが、このような親の意志により出来上がった私の氏名はこのような運勢なわけだ。

私の苗字は父親から踏襲したものだが見た通り「大凶」である。
苗字が持つ生涯変えられない運勢は「天格」と呼ばれる。
それが頗る悪いのだ。

わが苗字は希少で全国に1,000件ほどしかない。
発祥地も兵庫県姫路市と青森県八戸市の二カ所しかない。
その希少性と語感からよく苗字を捩った嫌な揶揄われ方をした。
自分の苗字の持つ運勢については後年「自分の子ができたらなんとつけるだろう」と恋という変性意識状態の最中に無辺際に広がってしまう「想う」という精神作用に伴って考えてみたことがありその時にようやく知った限りだが、運勢以前にこの苗字によって嫌な思いしかしたことがない。
平凡でどこにでもある苗字ならよかったのだが、他人と違うとよく目立ち、揶揄いの対象にされてしまうので嫌な思いをする。
自分の苗字にはからかわれたという嫌な思い出しかない。
生れた時からドキュンな苗字につきまとわれてきた気分だ。
私は自分の苗字が嫌いだった。
無論嫌いな苗字を後生大事に守って生きていたいなどと思わない。
場合によれば妻側の苗字にしてもかまわないと考えていた。
私の父の弟に、他家の婿養子となって苗字を変えた叔父がいてそれを普通のことと認識して育ったのでなおさら全く抵抗がなかった。

苗字は妻のものに統一してもいいが夫婦同一苗字を譲ることはしたくない。
それが選択的夫婦別姓に反対する私の個人的な苗字の事情だ。

莫迦な選択的夫婦別姓主義者は、反対する者に対して家父長制の亡者だ男尊女卑だ、家を守ろうという男のエゴだのと過去の歴史のどこにそんな実態があるのか分からない批判の仕方をしてくる。一昨年辺りからそれに旧統一教会・家庭連合に洗脳されたという的外れ罵詈雑言まで加わっているが、私には一切当て嵌まらない話だ。
どこかの大学教授が可笑しな計算をして

このままなら世の中佐藤氏だらけになる。希少な苗字はみな消えてしまう。だからそうしないために選択的夫婦別姓に反対するな

とほざいたが、私の全国に1,000件しかいない希少な苗字は、選択的夫婦別姓推進勢力に女が洗脳されたことにより結婚する機会が奪われ消滅することが決まったのであって、決して選択的夫婦別姓にしたら消えなかったものではない。
佐藤や青野や三浦や小島という、私の苗字より遥かに多い、どこにでもあるありふれた苗字の選択的夫婦別姓主義者により、私の血をひく子孫ともどもこの世から消されるのである。
それが現実だ。

嘘を言い募るのもいい加減にしてもらいたい。

ちなみにだが、わが父方の苗字も全国で1,000件ほどしかない絶滅危惧苗字だが、わが母の実家の苗字はそれに輪をかけて絶滅危惧種だ。
全国で50件ほどしかない。
発祥地は母の実家だけだ。
全国に散らばる同一苗字の世帯はすべて母の兄弟親戚のみである。
それほど希少な苗字だがそんな「家」「家名」すら私には守ろうという気がさらさらないのだ。

嘘つき選択的夫婦別姓主義者どもがメディアつかって繰り返し垂れ流す嘘っ八の言説にはほとほと愛想が尽きて付き合ってはいられないというほかはない。

(※参考)
〇 江戸時代の階級差別復活と非婚少子化を助長するだけの「選択的」夫婦別姓


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