江戸時代の階級差別復活と非婚少子化を助長するだけの「選択的」夫婦別姓

国民総夫婦同氏にしたのは階級差別撤廃のためだ。
「平民苗字必称義務令」(1875)以前の名付け習慣は階級や地域によりまちまちだった。
差別的階級構造の象徴が「名」だったのだ。
武士は極めていい加減に好き勝手「苗字付名」を自称して使っていたが、非武家の者どもには苗字を名乗らせなかった。
苗字があるかないかで身分を他者に明示させたわけだ。
このように苗字と名は他者に対する識別記号であって自認だの「私らしさ」などというジェンダーなるもののために存在するものではそもそもない。

選択的夫婦別姓主義者の言うような「夫婦別姓」など江戸時代には存在しなかった。
武家の父系系譜を踏襲する「姓(かばね)」の朝臣は(建前として)朝廷から拝受し継承するものであり「苗字」や現代民法的「氏」とは全く別のものだ。
庶民には嫁ぎ先の屋号地名を背負う慣習があり同一苗字に慣れており華族士族階級の朝臣たる別姓に馴染めなかった。
だから庶民を主とする近代民主主義の精神に則り同氏(夫婦同一苗字)に統一したのだ。
同氏の根拠はキリスト教ではない。自然発生的な庶民感情だ。
別姓主義は男尊女卑の儒教思想に基づくもので儒教国や日本の支配階級にとってのみ合理的名付けだったにすぎない。

(例えば、正室と複数の側室がいる場合夫と同じ苗字だと対外的に誰がどのような立場の妻か分からないから、便宜上妻の実家の苗字を使って「島津殿」のように呼ぶなど「家」を企業組織とするときの「部長」「課長」などの肩書と同様の機能で父方の苗字で呼ばれることがあった。
このように一夫多妻では別姓が合理的だが、一夫一妻の婚姻においては別姓に合理的目的性などない。)

現代の選択的夫婦別姓主義は江戸時代の身分階級構造を模した差別階級構造を再現しようとする運動にすぎないのだ。
「支配階級は苗字+名/庶民階級は名のみ」
だった構図を、
「支配階級は夫婦別姓/賤民階級は夫婦同氏」
とし、夫婦同氏主義者を「ネトウヨ」「ダサい」と蔑む階級構造として再現したいだけなのだ。
それは、
「支配階級=夫婦別姓=アダム階級/賤民階級=夫婦同氏=エバ階級」
の形成を意図するものであって、旧統一教会・家庭連合と結果的に同じ亡国の帰結をもたらすものにすぎない。

夫婦別姓がそもそも男尊女卑を前提とする儒教道徳に由来する通り、別姓主義者にはもとから男女差別解消する気などさらさらない。
婚姻に際し妻が夫側の氏を名乗る場合が95%でありその不平等は女性蔑視に由来すると言い募り、その解決策が選択的夫婦別姓の法制化だというのが彼らの建前だ。
しかしこの一見して女性差別のように見えなくもない氏選択の偏った現実についての課題解決には「法定氏(※注1)」の制定が合理的で実効性の高い案だ。
しかし選択的別姓主義者は「法定氏」による氏男女平等化は歯牙にもかけずこれを唾棄するのだから差別解消目的とは無関係であることが火をみるより明らかというほかはない。

皇室以外はすべて国民であり階級がないのは世界に類例のない日本の先進性だ。それを支えているのが戸籍制度とリンクした国民総夫婦同氏の婚姻制度である。
世界に先駆けて実現した平等な民主主義社会をわざわざ二千年経ってもイエスを再臨させることができなかった無能な欧米に倣った古い差別階級構造に退行させる必要はない。

そもそも結婚は両性が二人で同じ一つの事物を選択する行為だ。
選択肢が一つ増えれば意思が一致する確率は原理的に1/2に減る。
別姓という選択肢を増やすことで未婚世代の成婚確率は1/2に減りその分少子化も必ず助長される。
少子高齢化時代に別姓を選択肢として選べるよう追加するなど火事場で油を撒くような愚かな話でしかないのだ。
選択的夫婦別姓主義者は数学のテストで得点できても数学知識を現実問題を解く方法論として応用することができない頭の悪さを露呈しているにすぎない。
選択的夫婦別姓を推進する理数系学士・修士・博士には学位を即刻返上させねばならない。
イデオロギー上の違いの問題ではない。
地頭の悪さが社会へ悪影響を及ぼす顕著な実例なのだ。

1年に270万人生まれ「犬よりまし」程度に子供が蔑まれていた世代である上野千鶴子の常識で70万人しか生まなくなった時代の法律を改変するべきではない。

若い世代の成婚率を上げるために氏(苗字・名字)にこれ以上余計な選択肢を増やさないようにするのが時代の要請に叶った立法思想である。
選択的夫婦別姓ほど時代錯誤な立法は他にない。

(※注1)「法定氏」
現状民法では婚姻に際し「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」(民法750条)と定めている。
そこに「2」として「両性の話し合いにより夫か妻かのいずれかの氏に決まらない場合婚姻後の氏は法定氏に従う。法定氏とは、両性の氏の日本国内に存在する人頭数を比較し少ない方の氏のことを指す」を加えることにより生じる氏決定方法のこと。

※ ※ ※

(コメント)

選択制夫婦別姓推進派の者です。
あくまでも選択制、なのですから、夫婦同姓は認められており、同姓を希望する方が同姓にすればいい話ではないかと考えております。
何年か後に日本人はみんな佐藤さんになってしまう説は眉ツバな気もしますが…

(コメントへの返信)

結婚は男女二人で同じ一つのものを選ぶ行為です。
別姓という選択肢が1つ増えると、二人が一致する確率は原理的に1/2、50%に減ります。

夫婦同氏のみのままなら成婚に至った10組のペアのうち、別姓を選択できるようになると5組破談するのです。

成婚率が1/2になれば当然それだけ少子化も加速します。
現代の深刻な政策課題が子供を増やすことなのだから、わざわざ成婚率が下がる圧力にしかならない選択的夫婦別姓を法制化するべきではありません。
これはイデオロギーではなく確率論を現実の課題に応用した結果でてくる回答です。
「選択肢が増えて皆が幸せになるから賛成」という人は既製品を消費するような気で、選んだものはそのまま手に入ると勘違いしているのです。
選ぶのは自分だけではありません。
相手も選ぶのです。相手に選ばれないと結婚は成立しないのです。

私は別姓にしたいという女も、自らは同氏派だが選択的別姓導入には反対しないという女も、いずれも配偶するのはお断わりします。
そのようにしか考えられない地頭の悪さは、ともに生活していく上で大きな障害となるからです。
選択的夫婦別姓になれば、私が選べる女性は間違いなく人数が激減します。
自分の結婚機会を減らすような法制に賛成するわけがありません。
これは「未婚独身者」である私が、これから結婚するならと考えた上の結論であり、何も考えていない無関係な既婚者に口出されるのは迷惑なのです。
これから結婚する未婚世代の邪魔をしないでください。




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