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死ぬのを思いとどまった理由

 東大を最優秀成績で卒業したらしい成田悠輔というイェール大学の学者が「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹をすればいい」と言ったことが問題になった。
 NYTが報じたことで世界的に悪名が轟いた形だ。
 当然の如くメディアは非難轟々で、保守側はそれを冷笑している。
 なんでもウヨサヨに別れて罵り合う図式へと還元されてゆくのはいつもの風景である。

 これを批判する論法は色々あるだろう。
 『バカの壁』を400万部売った養老孟司という権威を持ち出して留飲を下げさせようとした週刊誌もあったが、どれも聞き飽きた理屈ばかりだ。
 「人権意識」に悖るとか、「切腹」「集団自決」という語彙への浅薄な知識への批判が多かったように思われる。

 「集団自決」にはすでに歴史的に確定した意味がある。
 旧日本軍と運命を共にした民間人が、米軍の捕虜となる屈辱を回避するために皆集まって手榴弾を使って集団爆死することだったり、バンザイクリフと後に命名された崖から身投げした史実を指す言葉として不動の定義がある。
 それを知らずに「集団自殺」程度の意味として流用した愚かさがあった。
 「切腹」についても同じだ。
 成田氏が言う「切腹」は三島由紀夫が市ヶ谷陸上自衛隊総監室でした割腹自決のことのみを指しており、その意味はファッションであり、カッコイイ死に方という認識しか持たない。
 そもそも三島の割腹自決そのものが歴史的な「切腹」の「模倣」にすぎず、全く違う目的と文脈での形式の援用にすぎない。
 「葉隠」は佐賀鍋島藩の一部でしか通用しない思想にすぎず、一般的に武士道は朱子学を意味しており、日本の武士と呼ばれる階級の慣習として、三島がしたようなデモンストレーションとして腹を切るなどという行為は一切行われていない。
 歴史上の切腹は、武士がした罪に対する刑罰の態様だ。
 庶民階級の罪人に対してする磔獄門や打首獄門の恥を晒すより、武士の面目を保って自ら命を絶つ償い方を許そうという温情のような慣習である。
 「老害になる前に切腹する」などという行為は意味不明で、武士の歴史にどこにも存在しなかった切腹でしかないのだ。
 三島由紀夫の割腹自決とその反響と後世の得手勝手な評価や崇拝、さらにはインチキな政治的な意義づけを斜め読みしただけの理解しか成田氏にはないのだ。
 そもそも三島の自決の意味すら咀嚼していない。
 一応三島も、総監を縛り上げ監禁するという罪への償いをするという武士らしい切腹の理由を、わざわざ自ら罪を犯して後付けで作ったのであり、三島はファッションや格好の良さをひけらかすために腹を切ったのではない。
 自決の真意はもっと深く洞察すべきもので、私の見解では三島の死は政治的なものではなく芥川や太宰の文学的死の系譜に置くべきものであり、憂国の情や割腹自決は真の動機を自己韜晦するための形式美にすぎないという見方だ。
 そのような評価すら一切顧慮しない浅はか極まりない比喩表現が成田氏の「高齢者は集団切腹しろ」という愚言だったのだ。

 無論、私がここで述べようとする主題は、そのような世間で千度語られたような話を要約することではない。
 私には私独自に感じたものがあった。
 だからこのタイトルを掲げて書き始めたのだ。

 ――老人を生かすために若者が犠牲になっている。

 成田氏の見解は極めて単純なこの責任転嫁論だったに過ぎない。
 常日頃ひろゆき氏が言っていることと全く同じで、若者が年寄りの犠牲になっている、という因果律であり、年寄りさえいなくなれば世の中がよくなるという程度の低い楽観論にすぎないのだ。
 タチが悪いのは成田氏本人が思春期性ニヒリズムを純粋培養したエリート意識に浸る洟垂れ小僧に過ぎない点だ。
 自分はいつ死んでもいいなどと粋がっているがいざ自らが臨死場面に遭遇すると泣きわめいて命乞いするのが目に見えている種類なのだ。
 楽に死にたいという欲求のもと拡大自殺としての無差別殺人を犯す罪人がいるが、その中には必ず死刑判決が確定してもそれを回避しようと命乞いするかのような再審請求を繰り返す死刑囚が散見される。
 自ら死刑になることをよく想像することもなく犯行に及び、死ぬことに怖気づいたわけだが、成田氏のニヒリズムもそのような見苦しい帰結が予定されている底の浅いニヒリズムなのだ。
 意見を訊くだけ無駄な放言にすぎない。
 それは成田氏に同調するひろゆき氏も同じだ。
 彼らは、高齢者を集団処刑した結果何が起こるかを全く見透すことができていないのだ。
 そのことについて私の経験を元に結末を予測しておいてやろうと思うわけだ。

 おのが経験から紐解いてゆく。

 私は今年還暦だが、遡ること39年前の21歳の年から3年間、毎日死ぬことばかり考えていた時期がある。
 色々なテーマ設定して何度も書いていることだから再び詳らかには書かないが、死のうとした理由は端的に言ってこれである。
「使い古し女を引き取らされる結婚をするぐらいなら死んだほうがましだったため。」
 当時の私は、処女と童貞で結婚し生涯一夫一妻で添い遂げることを自明のものと考えていた。
 しかし21歳の時結婚対象として意識することを私に強いてきた19歳の女は、私のもとへ来る前にすでに別の男と性交した後だった。
 他の男の生殖器が出入りしそれで快楽を得た膣を持つような女と結婚するなど虫唾が走るほど嫌であり、添い遂げることなど私にはできるわけがないと明らかだったから、3ヵ月時間を費やして交際を断った。
 心の深部への侵入を不用意に許してしまっていたから自分の身を切り刻んで傷だらけになりながら彼女を拒否したので、交際を止めたと同時に、私の未来も完全に跡形もなく消えてしまっていた。
 私の元へは使い古し女しか巡って来ない、という現実を突きつけられて未来を想い描くことが出来なくなったのだ。
 自ら交際を断った後、予期せず不本意なまま死ぬことばかり考えるようになったのである。

 大学生で授業も履修科目の提出課題もあるから、目先の課題をやりこなすということに縋ってようやく明日に向かって生き延びている体だった。
 よく芸能人が自殺したというニュースで、死ぬ直前に一緒にいた者が「全く変わった様子はなかった」と証言するのを聞くことがあるだろうが、当時の私がもし死んでいたら周囲は同じ感想を漏らしたはずだ。
 大学へ行き、いつもの「内輪」と呼ぶ仲間と集って冗談を言って笑わせている。
 しかし自らの住む学生アパートへ帰ると寝転がって天井の梁を見つめながら身動きもせず死ぬことばかり考える、ということを漫然と毎日繰り返していたからだ。
 私が死のうと思っているなど、誰も知らなかったのだ。

「自殺しようと思っている人は一人で苦しまないで誰かに打ち明けたら楽になって死なないで済む」
 という方法論が、一度たりとも自殺することを考えたこともない連中のたわごとにすぎずちゃんちゃら可笑しいと思うのはこの経験知に基づいている。
 死のうとする者で、誰かに泣き言を言う者などいない。
 泣き言垂れてあちこちに相談する者は、最初から自殺する可能性などない。
 芸能人の連鎖自殺が報じられた時「私も自殺を考えたことがあります」と真っ先に名乗り出たYoutuber女芸人は「ほんの数分死ぬことを考えてみた」程度で自殺企図者の代表者ヅラしてメディア露出しようと思っただけの輩で、こいつが代表者ヅラすることでむしろ救われなくなる人間が増えるだろうと私は喝破した。
 芸能人の自殺を報じる画面に自殺者相談「こころの窓口」のような電話番号を表示させるが、そんなところにのこのこ恥を晒しにかけたりするものかと毒づいたこともある。
 しかし今は、SNSで死にたいと発信したことにより同情するふりをして自殺企図女性を強姦する犯罪があると知り、SNSで苦しみを吐露するぐらいなら救われることがなくても公的な相談窓口に電話をかけるほうがよほどましだと態度を多少は軟化させている。

 無論、かつての私は死にたかったわけでは決してない。
 事実は、生きていることが死ぬことより辛いと感じられたのである。
 生きていることが辛かったのであり、死に憧れたわけでも求めたわけでもない。
 生きていることの耐え難い恥辱と苦しみからの逃げ場が死ぬことだと思われた限りだ。
 もしくは、生まれて来たくなかった、消えてしまいたいという感覚だ。
 当然、使い古し女を結婚対象として意識させられたことが殺されたに等しい屈辱だったわけだから、他人に殺されることは屈辱でしかなく全力で抵抗する。
 仮に死にたいなら殺してやろうか、というのがいたとしたら、全力で抵抗し、返り討ちしてやろうと考えただろう。
 そういう精神状態だったのだ。
 
 毎日死ぬことを前提にとりあえず死なないでいるという状態が1985年3月から1988年3月まで3年ずっと継続したのである。
 並の苦しみではなく、ほとんど即身成仏の修行僧のような生活だったに違いない。
 その頃ユング分析心理学を紹介する河合隼雄氏の本に出会い、自らが陥っている状態が何なのか理解するのに大変役に立ったのだが、一言でいえば自我の崩壊であり、底なし沼を沈んでゆくような意識の深い部分へ下降である。
 末期に初代ワープロ専用機を買い『遺詞集』と題した遺書代わりの散文を認め始めた頃、作文力をつけるため乱読した小説のなかに太宰治があった。
 太宰の処女作品集『晩年』は、まさに私がたった今『遺詞集』と題して書いているのと同じことをしていると思えたし、最晩年の短編集『ヴィヨンの妻』にある『トカトントン』は終わることがないと思われた私の日々の精神状態そのものを描いているように思われた。
 死のうと思いつつ色々考えてしばしば立ち直り明るい展望めいたものが湧いてきて悟った気分になるが、次の瞬間何かの拍子にまたどん底に舞い戻る。
 やる気を出してやり始めたこともすぐ嫌になって投げ出したくなる。
 「幻の悟り」と「地獄」の間を一日に何度もくり返し揺れ動くような状態が、まさにトカトントンだったのだ。
 今思えば、これはおそらく躁鬱病の症状で、太宰治と同じ種類の双極性障害だったのだと判っているが、当時はそんなこと思い当たることすらできないで苦しい躁鬱の振り子を振り回している状態だったわけだ。
 よく死なずに生きのこれたものだと、今思い出すと嘆息するほどだ。
 21-24歳と若かったから生き残れたのだと思う。
 今の年齢で始まったら生き残れるとは到底思えない。

 3年の期間中、極めて危ない時期が何度かあった。
 しかし思いとどまったから今の私がある。
 無論、誰かに相談して苦しみを吐露してすっきりしたからではさらさらない。
 自殺を思いとどまったのには経緯があり今も鮮明に憶えている。

 四畳半の学生アパートの部屋で横臥しながら自らが死ぬ様子を想い描いていた。
 思い返せばあの時が最も実行に移しそうな危ない精神状態だったと思われるが、今まさに死のうと決意した時、扉を誰かがノックした。
 共用の公衆電話に誰かから私宛の電話がかかって来たので、とった別の住人が知らせにきたのだ。
 死ぬという想念を中断して電話にでてみると、相手は実家にいる母だった。
 母が電話をかけてくるなど滅多にないことだ。
 私がでるなり何の脈絡もなく母はこういった。

 「あんた大丈夫?」

 藪から棒に何が大丈夫なのか判らないから当然私は訊き返す。
「なにが?」
 すると母はこんな話をした。

 母は夢を見たというのだ。
 幼い私の手を引いて、母は葬式に参列している。
 石原裕次郎の葬式だ。
 石原裕次郎はその年の7月17日に亡くなっていた。
 その葬式の会場で、幼い私を見失ったというのだ。
 おろおろといくら探し回っても見つからないまま目が醒め、もしかしたら私の身に何かあったのではないかと胸騒ぎがしたので電話をかけてきたというのだ。
 「あんた大丈夫?」というのは、私が石原裕次郎にあの世に連れて行かれてしまったのではないか、死んでしまうようなことが起こったのではないかと心配したこと、あるいはこれから死ぬようなことが起こるのではないかと思ったことを意味していたわけだ。
「なんや。そんなことかいな。大丈夫やから安心しい」
 と私は笑いながら母の心配を否定して電話を切ったが、内心冷や汗ものである。
 今まさに死のうとしていることを見透かされたように感じたからだ。
 誰かが母に告げて「息子が死のうとしてるから止めなさい」と母を動かしたような気がするからだ。
 「虫の知らせ」である。
 分析心理学者ユングはこのような「意味ある偶然の一致」を『共時性(シンクロニシティ)』と呼んだ。
 私自身に起こった自己完結的な共時性ならただの思い過ごしとして唾棄してもよいだろうが、虫が知らせたのは私ではなく母だ。
 母は巫女のように別の意志によって動かされて行動したに過ぎない体なのだ。
 母の夢を杞憂ということにして誤魔化したから母は自ら虫が知らせたという自覚すらない。
 気持ち悪いことこのうえない「意味ある偶然の一致」だった。

 誰が母を使って「死ぬな」と釘を刺しに来たのか知らないが、効果てきめんだった。
 これに戦慄した私は以後死ぬことを想う度石原裕次郎の葬式で私を見失ったという母の夢の話が脳裡に浮かんで母のことを想わざるを得なくなったのだ。
 私が自殺することは先立つ不孝だ。
 私がもしも死んだら残された母はどうなるのか、という思考と死のうと思う情動に条件付けがなされてしまったのである。
 死ねなくなった。
 未来も希望も何もないが、とりあえず私が死んだ後の母のことが心配で仕方がない。
 だから両親の老後の面倒をみて死に目に会って葬式をして埋葬するまでの義務を果たすために生きようと思うようになったのだ。
 そうこうして死ねなくなった私はまもなく自然法司法試験に合格して、意識の深い部分へどこまでも落ちてゆく下降をようやく上昇へと転じることができるようになった。
 1988年3月5日早朝3時40分に自然法司法試験の合格通知である「頭の中でチリンと鈴が鳴った」と比喩する共時現象が起こり、クンダリニーの覚醒が起こったことは「3月8日のシンクロニシティ」や「自然法司法試験に合格した人は誰なのか?」というテーマで既に書いていることである。

 生まれて来たのは親を守り天寿を全うさせた後始末をする義務を全うするためだ。
 それが自然法であり、自ら命を絶つことは自然法に反しているという認識を得たのだ。
 知識としてそう認識しただけではない。
 誰かが母を遣わした虫の知らせで、その義務を強烈に意識させられ死ねなくなったのだ。

 その後2017年まで私が生きたのは、老いた両親を介護し看取るための義務のためである。
 夢や未来や希望や生きる喜びを取り戻したのではない。
 ただ生きるという義務を果たすために生きたにすぎなかった。
 それが人というものだということだ。
 親という高齢者の命を守ることが、若者を延命させたわけだ。

 もしも成田悠輔やひろゆきの言うように高齢者を集団自決させたとしたら、夢も希望も未来もなく人生を自ら終わらせようとすることの歯止めを失い、若者に自殺者が増え、拡大自殺としての無差別殺傷事件が起こることを止めることができなくなるだろう。
 少なくとも私は24歳までに死んでいた自信がある。

 高齢者は集団自決などしてはいけない。
 生きて若い世代に介護する義務を負わせ、生きることを強いなければならないのだ。
 若者を犬死させないために高齢者は自然な寿命を全うするため生きる努力をせねばなないのだ。
 それが自然法だ。

 高齢者をとっとと始末した結果起こることは、若者の自殺増加と拡大自殺としての無差別殺人事件の増加だ。
 若者は夢や希望や明るい未来を獲得するどころか、全く逆の結果がもたらされる。
 よくテレビで放言する頭の悪い文化人が「この世に絶対に正しいなどというものはない」と大して考えもせずに言っている。
 「正義が悪い事をする」と意味不明なことも言っている。
 「この世に絶対に正しいなどというものはない」という思想の先にはニヒリズムがある。
 唯一の正しさを求める思考の放棄とニヒリズムは紙一重だ。
 ニヒリズムは自殺や拡大自殺としての犯罪やテロの動機を形成させる。
 この世に正しいものはない、という思想そのものが、絶望をばら撒き自殺や犯罪を増やしているという因果が正しい。
「しなきゃなんてないさ。しなきゃなんてうそさ。あらゆる人がらしく生きていいのさ」
 というプロパガンダCMをテレビが放送していた。
 多様性だヘチマだという種類の人間が口をそろえていう「生きなきゃなんてうそさ。自分らしく死ねばいいのさ」という通りにすれば、自殺志願者はそのままなんのひっかかりもなく自分らしく自殺するだけだ。
 このCMの作者は自らが自殺志願者が死にたがることを慰撫し自殺する者を増やしているという因果にすら気づかない愚か者なのだ。
 自殺することを止める気もその条件を無くすることも一切する気がないのが「自分らしさ」や「多様性」プロパガンダなのだ。
 そればかり刷り込むメディアや世間を未来や希望を奪われた者どもが逆恨みする構造は少しも改められようとはしていないどころか、益々死ななければならない条件を増やそうとしているにすぎないのだ。
 成田悠輔という東大卒エリートの底なしの莫迦さ加減が少しは理解できただろうか?

 自分らしく生きる必要など微塵もない。
 人は自らの「元型」に従って生きる義務を負っていることを知るべきなのだ。
 生きることは自然法が万人に課した義務である。
 それを心に刻むべきである。

 還暦を目前にして再び『新遺詞集』と題した散文を書き始めた。
 無論、『新遺詞集』は『遺詞集』同様の遺書だ。
 「新」がつくのは終活という別の目標のゆえである。
 21の時に生き急いで死ぬことばかり考えていた思考に実際の年齢が追い付いてきたということだ。
 私は自ら命を絶とうなどと微塵も考えていない。
 避けられない死期が近づいているので、心の整理をしているだけである。

 希望を見失い自らの未来を想い描くことができずふらふらと漂流するように生きていた女が子を産んで死ぬことを考えなくなった。
 子を大人になるまで育てるという義務が彼女を延命させたのだ。
 自らの未来を取り戻せないままの彼女は我が子の肩越しに子の未来を想い描くことでようやく生きる気力を湧かせている。
 四面楚歌の如く袋叩きに遭う境遇に落ちても泰然自若として見えるのは、子供が自立するまで生きれば後はいつ死んでも構わないと思っているからだ。
 「私を嫌うなら好きだけ嫌え。母としての義務を果たしたら望み通りいつでも死んでやるから」というニヒリズムが心の奥底に住み着いているからだ。
 しかしそれは間違いである。
 母が死ぬことは、娘の生きる義務を奪い取ることであり、死のうと思うことの歯止めを取り除くことでしかない。
 娘の命を全うさせるために、母は老いさらばえてなお死ぬまで生きようとしなければなければならないのだ。
 これは私の経験に基づく確乎たる結論だ。
 私の言うことは「正しい」。
 娘に未来を生きさせるために、母は老いてなお生きて、娘の世話にならなければならないのだ。

 高齢者を集団自決させる、という発想がいかに稚拙で価値のない放言にすぎないかは、自らの胸に手をあてて考えれ分かるはずだ。
 生きる希望も未来も見失って死のうと思う人間が知るべきは、生きることは義務である、という自然法の法理である。

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