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バレンタインデー余話。
~もらい損ねたチョコと忘れたチョコの話~
今日はバレンタインデーらしいので想い出話でもしてみる。
もう少し若い頃ならクリスマス同様こう書いた。
「何も言葉に残る誓いはなく何も形に残る想い出もないバレンタインデー」と。
無論中島みゆき『りばいばる』からの援用だ。
しかし老後が目の前にチラつく年齢になると何もなかったはずのバレンタインデーの記憶が、沈めていた浮き輪を抑えつける手を離したように、不思議なことにあれこれと浮かんでくるのだ。
「二浪が終った時点でどこかに合格していなければそれ以上の猶予も学費もないと思え」
東京藝大美術学部油画という、国立大学屈指の競争率を誇る学部学科を志望したお蔭で高校3年の女性担任教師にすら浪人必至と諦められていた受験を、それでも二浪まで許してやろうというのだから理解のある親である。
私の藝大志望に反対する父を母が説き伏せてくれたようだった。
その猶予期間をフルに使って最終的に藝大ではなく四年制私立文系大学に進学することになった。
関西で上位四校に入る名の知られた私立大学の一つだったので、父も渋々留飲を下げてくれたようだった。
2年浪人しての大学2年の時だから、高校卒業してからすでに4年は過ぎていた頃のことだろう。
その年の夏休みに高校3年時のクラス同窓会があった。
そこで話の流れでバレンタインデーの話題になったのだ。
「バレンタインデーのチョコレートなんか一つも貰ったことがない」
私が自らの記憶通りの事実を述べた途端、近くにいた女子の顔色が変わった。
「何いうてんの、私あげたやんか」
「え、そうやったっけ?」
「ひどいわ、忘れたんけーなー」
「忘れたんけーなー」とは播州弁で、「忘れてしまったのですか?」という意味だ。
しかもそういったのは一人ではなかった。
三人の女子から集中砲火である。
「私もあげたで。忘れたやなんて信じられへん」
彼女たちは私からハンカチセットをお返しにもらったとまで教えてくれた。
自分がしたことを彼女たちに教えてもらうという実に奇怪な情景になったのである。
三人が同じ証言をするのだから事実なのだろうが、私にはその記憶が全くなかった。
私が憶えていたのは、同窓会のあった前の年のバレンタインデーに「偽りの交際」をしていた女子からチョコレートを貰い損ねた時の記憶だけだった。
クラスコンパで腕を組んで撮った写真をちらちら見せながら、
「これ友達にみせたらさ、この顔は結婚まで行く顔だって言われたよォ」
と自分の意志ではなく「友達に言われた」「結婚」イメージを使って詐術を私に仕掛けてきた女子だ。
21歳の私は19歳の彼女にまんまと騙され、結婚対象として意識させられてしまった。
罠にはまった。
彼女がすでに処女でなかったことは、私が当然のこととして想い描いていた未来設計図と完全に矛盾しており、彼女との交際を断った時、同時に私自身の未来も完全に瓦解してしまったことは、すでに様々なテーマの文章で言及している。
「使い古しを引き取るぐらいなら死んだほうがまし」
というのが未来の瓦解を言い表す言葉だ。
その19歳の彼女との交際を断る決意をすると同時に全く逆の偽りの恋人関係が始まったのが1984年のクリスマス・イヴで、終わったのが明くる年の3月だった。
その3ヵ月の間にバレンタインデーという行事が避けがたく存在していた。
彼女から学生アパートの共同公衆赤電話にバレンタインデーの前日に電話がかかってきた。
別の住人に呼び出されてでてみると彼女の声で、私が出るなりこういった。
「チョコ買ったよ」
「チョコってなに?」
とぼけたわけではない。バレンタインデーということを失念していたのだ。
私の心境はそれどころではなかった。
クリスマス・イヴに交際を断わらねばだめだと固く決意したのに、二ヵ月もそれを言い出せずにいる。
彼女に求められるがまま全裸でペッティングまでした後だったから尚更言えなくなっていた。
そのことばかり毎日考えていたので、バレンタインデーというワカモノの行事があることすら思い至らなかったのだ。
「なにって、バレンタインデーだよ」
私はハッと気が付いて咄嗟にこういった。
「ああ、そんなのあったね」
やっと気づいた私の言葉を聞いて彼女は嬉しそうな声になり、
「青春してるね」
と言った。
「懐かしいね」
と私は言ったが私にはチョコレートを貰った記憶が皆無だから、中学や高校生の頃に懐かしい記憶があるわけもないが、精いっぱい見栄を張った言葉だったと思われる。
すると彼女の口調が少し変わった。
「普通そんなふうに言わないよ。もっと嬉しそうにするもんだよ」
この言葉は私の胸に深く刺さった。
それからバレンタインデーのチョコレートを渡したいからどこで会うかという話になったが、私はのらりくらりとその結論から逃げた。
今思うとこんな優柔不断な態度はほかにない、というほどのいい加減な態度で、私はチョコを受け取ることを回避しようとしたのだ。
結局、彼女が私の部屋まで持ってくるような話になって会話は終わったが、私はそれを喜んで承諾はしていなかったはずだ。
バレンタインデー当日雪が降り、そして彼女は私の部屋に来なかった。
彼女が私のために買ったと言ったバレンタインデーの、今となっては間違いなく本命として受け取ることできたはずだと言えるチョコレートは、結局私の元へ届かなかったのである。
本命チョコレートを私はもらい損なった。
その後チョコレートの話すらうやむやになったが、それとなくあちこちに探りを入れてみるとその行方が判明した。
彼女の下宿と私のアパートを結ぶ往復の道の途中に「SB君」の下宿があった。
「クリスマスの鼻歌」に登場する、私との交際の直前に彼女の「彼氏」と目されていた男だ。
彼女と肉体関係を持ちながら「友達のままでいよう」と言ったKが彼女に押し付けようとした男子だが、彼の部屋のポストにチョコレートが放り込んであったというのだ。
私への本命チョコはSBの元へ行ったようだった。
チョコレートを受け取れなかったことを残念だと思う気持ちは全くなかったが、彼女のどこまでも周囲の人間を振り回し傷つけるやり方に憎しみが募った。
彼女との交際を断った後、長い間彼女がバレンタインデーの前日に言った言葉が私の中で何度も残響のように蘇った。
「ふつう、もっと嬉しそうにするもんだよ」
ええ。嬉しかったですとも。
心が切り刻まれ擦り切れるほど好きだった女が、私に本命チョコをくれるというのだから、嬉しいに決まっているじゃないですか。
しかし、もうその時には交際を断ると決めていたんですよ。
それなのに嬉しそうな顔して受け取れるほど、私の貴女に対する気持ちはいい加減ではありませんでした。
「ふつう、もっと嬉しそうにするもんだよ」
という彼女の言葉を想い出すたび、私の涙腺からは塩辛い水が滾々と湧いてきた。
そのバレンタインデーのチョコレートを受け取れなかった記憶しかなかった私は、そのことを想い出しながら、高校3年の同窓会で集った女子にこういったのである。
「バレンタインデーのチョコレートなんか一つも貰ったことがない」
私は期せずして大変なことを口走ったようだった。
チョコレートをあげたことを忘れられた女子たちの不満は大きかったらしい。
その話が終わった後、彼女たちは私と口を利いてくれなくなったのだ。
なんだこれは?
彼女らがくれたのは義理チョコじゃなかったということか?
だったらその時そういってくれ。
3人の内一人は、それなりに好きなタイプの範疇にいた子だった。
意外と相思相愛だったじゃないか。
そうとは全く気付かず、私は義理チョコに対して事務処理でもするように義理返しをしてとっとと忘れ去ってしまっていたのだ。
ちゃんと言葉にして「貴方が好きです。結婚してください」ときっぱり言われていたらと想像すると、私にはそれを自ら断る姿を想い描くことができない。
学校を卒業して4年も経って、苗字が変わってから知らされてもどうしようもないじゃないか。
私の本質的な話だが、このような世間が皆一斉にやる季節行事のようなものに紛れてそれとなく恋愛感情を告白しようという態度の女が生理的に好きではない。
クラスコンパで酒を飲み、酔ったふりをして女が男に寄り掛かる。
男はそれを介抱するふりをして自宅に連れてゆく。
そして二人きりになった部屋で性交に至る。
そこに確乎たる合意形成は存在しない。
それを昔「ムード」と呼んだ。
例えば、酒を飲んで仲良くなりいい雰囲気になった時に男が仮に「セックスさせてくれるか?」と言ったとしたらほとんどの女がうんとは言わないだろう。
言わずにすればよいものを口に出して気分を害することを「ムードを壊した」といい、「させて」という男をダメな男と女は罵ったものだ。
性交する時合意形成することは、互いにその行為に責任を負うことを表明し合うのであって、女は必ず事後の責任は男にとらせようとするからだ。
「彼に求められたから私はそれを受け入れた」という既成事実を女が男に強いるのだ。
それを受け入れた男だけが、女と婚外性交を楽しむ資格を獲得するのだ。
行為後の責任はフィフティ・フィフティだよと事前に男が言ったら絶対に女は性交には応じない。
それが「男が女をリードする」という言葉の真意だったのだ。
BBCが放送した『Japan's Secret Shame』の中でNPO法人ヒューマンライツ・ナウ副理事長の後藤弘子氏がこう言った。
「ノーと言ったら、それはノーなんだという考え方がアメリカでもイギリスでも一般的だと思います。
だけど日本だとノー・ミーンズ・イエス。
嫌かどうかで自分の意見を表明すること自体が女らしくないと。
女性は自分からこうしたいということがいいことではないというふうにずっと小さい時から教えられてきているのだと思います。
女性としてあるべき姿ではないと考えられているので」
まるで意思表示しないことを男が女に強いているかのような言い草だが、こんなもの日本のどの地方での風習だ?
どこにそんなものが存在するのだ?
一度たりとも見たことのない話を、後藤弘子は英国全土に放映される公共放送で、日本はこうだと放言したのだ。
こんなもの、あからさまなデマである。
そんなことも理解できずに刑法を改正しようとするものではない。
婚外性交での不同意性交は、女が男に「ムード作り」を求めることで成立するもので、同意をとることは男としてダメなことであると女が男に強いてきたのだ。
事後責任を女が負いたくないことを男が受け入れて婚姻関係にない男女の性交は成立したのである。
この精神がバレンタインデーのチョコレートで告白するという行事の中にも脈々と生きていたわけだ。
女性から男性に告白するはずのものが、男がチョコを受け取った相手にお返しをすることで告白を強いられるわけだ。
チョコをもらっただけでは、それが本命か義理かは定まっていない。
それに応じる男の側がむしろ告白することを求められているのだ。
私はそのような責任を一方的に押し付けられるような男女関係が生理的に好きではない。
どんなに好きな子であってもそのようなやり方をされた時点で百年の恋も冷める。
何の言葉も告白も添えられないチョコを義理と即断して事務処理して忘れた私が非難されるいわれはない。
日本で伝統的な「男が告白して女が受け入れる」という合意形成方法は、むしろ女が男に強いているもので、目的は自己の行動に対する徹底的な責任回避である。
「すべて男が悪い」ということにするために、女は婚前婚外性交に不同意を強いて来たのだ。
男女関係がこじれた後、掌返したように言い始める「不同意だった性交関係を強いられた」という女の主張は、まさにいつでもすべて悪いのは男だ、という責任転嫁を刑法を使ってまで絶対化し、男を支配しようとしているにすぎない。
結局、同窓会で話題に上ったバレンタインデーのお蔭で、私は3人の女性から好意を一瞬で失ったわけだが、相対化すると、私は案外女子にモテていたと言えるのではないか。
私がチョコレートを貰ったことを全く憶えていないのに、三人の女子があげたことを鮮明憶えていた。私が忘れていたことを許せないと感じた。
これは客観的評価によれば、三人の女子から片想いをされていたと言いうるのではないか。日本人の男女の合意形成の仕方は、私の生理に全く合っていない。
その結果、私は全くモテなかったという間違った自意識が形成されていたようである。未婚独身のまま命を終える年齢になって、ようやく私はモテていたことに気づくようになってきた。
無論、人間の元型は生涯一夫一妻であり、生まれた時から死ぬまで取り替えることのできないたった一人の女にしかモテる必要はない。
モテるという語そのものが不特定多数の異性の好意を集めるという意味だから、モテる必要そのものが人生にとって全く必要がない。
EPR相関関係にある女以外の誰に好意を寄せられようと、自ら求める倖せになどなれっこないのであって、モテた話など自慢にもならない戯言にすぎないのはとっくの昔に判っていることである。
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