上野千鶴子が「胸に手をあててみろ」と言ったことについて

Xでしつこく朝日新聞の「悩みのるつぼ」というお悩み相談企画のプロモーションポストが割り込んでくるようになった。

その一つにこういうのがあった。
失踪した娘からの絶縁状が、上野千鶴子さん『胸に手をあててみて』

https://www.asahi.com/articles/ASQ1Y462XQ17UCFI00D.html

また上野千鶴子が偉そうに横柄な答え方しやがって、である。
私は朝日新聞に金を払う意志が全くないので本文も読むつもりはなく、この見出しだけを読みこう思ったしXにもそうポストした。
ところがたまさかその内容をタダで読む機会があったのだ。
そこで判ったことは相談者の60歳の母親に対して、まるで毒親認定でもしたかのように「胸に手を当てて見ろ」と言ったのは実は上野千鶴子ではなく、朝日新聞だったということである。

上野千鶴子氏は一応責任もって相談には答える気があったようで、「情報が少なすぎて判断ができない」と至極まともな前置きをして、相談者に対しどうすればいいかを端的に答えていた。
「胸に手をあててみろ」という字面通りのことは言っていなかったようなのだ。
上野氏の回答をみて、この企画を担当した編集者がそうとしか理解できなかったということにすぎなかったということだ。

実際の上野氏の助言は至極まともだったと言える。

このケースに関してはまず担当するカウンセラーは注意深く「布置を読む」ということをせねばならず、この一通の相談メールだけで回答しろということじたいが無理なことで、やってはいけないと肝に銘じるべきことだ。
それを朝日新聞はまず理解していない。
またこんなデタラメな企画の回答者になることに応じてしまった上野氏も不見識である。
不見識だが不見識なりに企画の範囲内で無難に回答をしたということころだろう。

私も布置を読むための情報が足りないので簡単には答えられないことを承知で、「毒親」として相談者を蔑む朝日新聞の愚かさを批判する意図をもって敢えて分析的なことを書いてみようと思いこれを書き始めた。

まず最初に知っておかねばならないのは、母親と絶縁した娘には生まれつき「元型」があるという事実だ。
「元型」は彼女オリジナルのもので、二つとして同じものはない。
同時に「元型」はすべての人間が必ず生得的に持って生まれてきているもので「元型」をもたないで生きて来た人間は一人もいない。
その人間すべてが持つ「元型」に共通しているものに「生涯一夫一妻の結婚」があり、それが「結婚の元型」そのものである、という事実だ。
それを何人たりとも忘れてはいけないのだ。

「元型」とは、自然法の一般法理と特殊法理が表裏一体となったその人の人生の緻密な設計図で、人間はすべて生まれた時からどのような人生を生き自己実現をするかについて極めて緻密な予定された姿を持って生まれてきているのだ。
例えるなら元型は、スイカという植物の種のようなもので、それに水や空気や日光や気温や土や肥料などの後天的なものを与えて育てないとスイカという実を実らせることはできない。
本能のままでスイカという実は実らない。
「スイカの元型」を活性化させることでスイカはスイカの実を作るのだ。

自らの生得的な元型に基づく自己実現という実を結ばせるには、元型という種だけではなくそれを活性化させるための「元型活性化イメージ」が必要なのである。
「元型」には生まれた時から、女性ならたった一人の男性と結婚し生涯夫婦として添い遂げて人生を全うする、という設計図を持っているが、それを自らの姿として具現化させるためにはその完成形に似た実像イメージに日常的にふれることによって活性化させる必要があるのだ。
その最も卑近な「元型活性化イメージ」が両親という存在である。

人は自ら生得的に持つ将来の自己実現像である「元型」に近いものを見たり聞いたり触れて見たりすると、いい気持ちになる。
幸せな気分になったり、羨ましいと感じたり、あのようになりたいと肯定的な感情が湧く。
肯定的な感情が湧くとともに、元型活性化が行われ自己実現のイメージとして具体化が促進される。
逆に元型に反した、元型と矛盾するようなイメージを押し付けられると、気分が悪くなったり、嫌だったり、醜いと感じたり、否定的な感情を覚える。
ネガティヴな感情が湧くと同時に、元型活性化そのものが阻害され、それを自己イメージとして育てにくくなるのだ。

この原理をまず理解せねばならないのだ。
人間はすべて「元型」を持って生まれてきており、元型には「生涯一夫一妻の結婚」という自己実現が生得的に予定されている、という人の前提を理解しておかねばならない。

60歳の母親に絶縁を宣言した娘は、両親が離婚している。
離婚は生れ持つ自らの未来像である結婚の姿を否定する実像イメージである。
この時点で、娘は自分の生きるべき道に障害がおかれてしまったのであり、元型を十全に活性化させることができなくなってしまうのだ。
当然それによって極めて不快で嫌で許し難くて理不尽な感情が湧くようになってしまっている。
しかし幼い彼女にはその嫌悪感が何なのか分からないのである。
得体の知れない不快な感情としか認識できないのだ。
両親のしていることが、自分の生まれつき持つ元型と違っているから嫌なのだ、ということが解らない。

元型活性化を阻害しているのは、生涯一夫一妻という親が娘に与えるべき元型活性化イメージが破綻したからであり、それを破綻させた犯人は、父親と不貞をした女であり、父親である。
そして婚姻関係を維持できないと判断し離婚ということをした母親も元型活性化イメージを壊した者の一人なのだ。
すべての元型活性化イメージに係わる大人は彼女にとって否定的な感情を湧かせる犯人として当事者なわけだ。
大人なら離婚という帰結の原因となったのが父親の不貞であり、父親と不貞した女が一番罪が重いと認識できるが、未成熟な彼女にはそうは理解できない。
善悪の判断と自らの好き嫌いの感情が混線してしまうためだ。

離婚した母親は、責任感の強い信頼すべき女性だろう。
離婚はしたが、別の男と恋愛をしたり再婚したりするような、なおも娘の元型活性化を妨害するようなイメージを与えることをしなかったし、離婚したから娘を不自由にしたり不幸にしたということにならないように、父親の代わりも自分独りで務めあげようと努力したのだろう。
親としての責任感が強いと、子には厳しく接するようになるものだ。
反対に、婚姻関係を壊すような不貞をする父親は、親権者としての自覚や責任感が薄いので、子には甘く優しい場合が多い。

分別のつかない娘には、父親が不貞したという大人の事情は遠く彼方のことでしかなく、自分に接する父親と母親の接し方によって、元型活性化が損なわれているために感じる不愉快の犯人捜しをしようとするのだ。
厳しく躾けようとする責任感の強い母親を疎ましく思い、「お母さんがそんな人だから父は母から逃げて不貞をしたのだ」という合理化を脳内でし、「離婚したのは母のせいだ」と思いこむのである。

このような無分別な理解の仕方は、私が子供だった1970年代だったら起こらなかっただろう。
なぜなら「生涯一夫一妻の結婚」という実像がそこかしこにあり、元型に予定された結婚のイメージを活性化させるための実像以外のイメージもそこかしこに存在したためだ。仮に両親が離婚し元型活性化の義務を果たせなくなっても代替してくれる夫婦が沢山いる。
「クレオール再生」が可能なのだ。
厳しく躾ける母親を嫌いだと思う感情に対しても、生涯一夫一妻を当たり前のこととして生きている誰かに「それは違うよ」と諭される機会がどこででも得られる。
自分が憧れる夫婦像の大人が「お母さんを憎んではいけません」と教えれば、素直に受け入れることができる。

ところが今の時代にはまともな一夫一妻の結婚をしているものはおらず、厳しい母親の愚痴などもらせばここぞとばかり「毒親」認定をし、「貴女を生きづらくしているのは母親だ」という知恵を吹き込もうとする。
物質還元主義的科学主義をひけらかし、遺伝子とホルモンで何でも説明できるかのように言う脳科学者や、行動心理学者、
フロイト主義的単系人格形成論者が、すぐに親を悪者にして悩みを取り除こうとする。
ユング派の心理療法ではこのような愚かな犯人捜しはしないが、フェミニズムのような単細胞の科学主義者にとって、毒親という後天性の犯人捜しは都合がよいからすぐにその屁理屈を援用しようとする。

自分が不快と感じる対象が悪という価値と結びつくほど楽なものはないので、独りで悩んでいる時は持たなかった母親への憎しみさえわくようになる。
要するにフェミニズムやその手の知恵を吹き込まれ、マインドコントロールにかかって親子の縁を切られてしまったというわけだ。
統一教会・家庭連合が家族と絶縁させ文鮮明と韓鶴子の奴隷に過ぎない天寶家庭へと収斂するマインドコントロールとほどんど変わりがないやり方だ。

娘の人生がうまくいかず生きづらいのは、母親のせいではない。
結婚して未来を築くイメージをもてないのは、生得的な生涯一夫一妻の結婚という元型の活性化が阻害され未来を想い描けなくなっているからであって、その元型活性化を妨害しているのは、厳しく彼女を躾けた母親だけではない。
元型活性化を阻害する犯人は、離婚した父も両親を離婚させた愛人の女も、「毒親」という下らない知恵を吹き込むメディアや文化人も、生涯一夫一妻の結婚をしない世間の連中すべても犯人であり原因である。
母親はその数多いる犯人の中のほんの一人にすぎず、むしろ罪の重さでいえば限りなく軽い過失程度の責任しかない。

そのことを娘にちゃんと理解させてやることが、この母娘絶縁の問題の真の解決だということだ。

相談者に対して「胸に手をあててみろ」と偉そうな見出しをつけた朝日新聞こそ、相談者の娘を生きづらくさせている犯人のうちの主犯格レベルの加害者であり、朝日新聞こそよく自らの胸に手をあててみろ、ということだ。

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