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「元型」の話


意識のスペクトル

意識
 個人的無意識
 集合的無意識
 普遍的無意識

 「元型」という語を私は日常語のように使います。
 説明なしにいきなり使うので理解できないと思います。
 専門性の高い言葉を定義の説明もせず使うのは不親切だと思うので、今回それを理解できるように、できる限り簡略化して解説してみようと思うわけです。

 私の言うことを理解する気のある方なら、いちおう語の意味ぐらいは理解しようと思ってネットで検索したり、専門書を読んでみたりしたことでしょう。
 結果、私の予想では百パーセント「何のことかさっぱり解らなかった」ということになっただろうと思います。
 当然です。
 誰も理解できずにこの語を使っているのだから、読む人間にわけわからないのは当たり前です。
 少なくともネット上で拾える「元型」の説明は、専門書に書いてあることを適当に要約したものでしかなく、一つとしてまともに理解している筆者が書いたものはありません。
 それほど難解な語なのです。
 難解である理由は色々重なっているのですが、まず翻訳して輸入する段階から「元型」という語を誤解していた可能性があります。
 それ以前にこの語を使い始めた張本人の言語化・思想外化作業がいい加減だった可能性がある。
 その複合要因で、とても大切なことを言っているようだが、意味不明な言葉になってしまっているのです。

 「元型」とはアーキタイプス(archetypes)の翻訳語で分析心理学用語です。
 分析心理学派の心理学者や心理療法家が使います。
 単なる思想哲学用語ではなく、心理療法の方法論として実際的な価値がある専門用語なわけです。
 言葉はカール・グスタフ・ユングという精神科医が使い始めたものなので「元型」を精神医学用語に含めても私はよいと考えます。
 「分析心理学」とは「ユング派心理学」を指します。
 心理学マニアや心理学オタクなら「分析心理学」と書いてあれば即ユングを連想できるはずです。
 「分析心理学」はユング、「精神分析学」はフロイトと全く違う方法論をとる別の心理学派を意味するのです。

 私が日常的に使用する「元型」は、無論ユングの提唱した概念を借りたものですが、分析心理学者や分析心理学派心理療法家たちの使う意味と全くといっていいほど違います。
 従って、私が言う「元型」がどのようにユング派心理学者たちが使う元型と含意が違うかを、ユング本人の間違い指摘とともに、明らかにしてゆくことがここでの徒然書きの目的となります。

 ●私が言う「元型」はユング派のいう「元型」と意味が違う、ということです。

 私が実際に過去に経験したお話から導いてゆきたいと思います。
 小学生時代に鶏をひよこから成鳥まで育てた話をしてゆきます。

 確かな学年は判りません。
 おそらく小学3年生頃だっただろうと思います。
 学校からの帰宅時、小学校の裏門(北門)の傍で生徒たちが集まっているので、何事かと覗いてみると、見知らぬおじさんが座って、段ボール箱をひらいていました。
 中には沢山のひよこがいました。
 養鶏所の経営者か繁殖業者が、子供たちを喜ばせる目的でひよこを売りに来たのだと思います。
 いくらだったか記憶しないが、金額も1羽20円とか30円とか、小学生の小遣いで買える値段設定をしていたと思われます。
 箱の中で黄色い毛玉が犇めき合うようにピヨピヨ鳴いている様子は、一瞬で子供の心を捉えます。
 私は一目散で帰宅し小遣いを握りしめて買いに戻りました。
 親に全く相談せず、独断の衝動買いです。
 私はメスとオスの二羽買ったのですが、昔肉屋の自家製コロッケを買った時に詰めてもらったのと同じ茶色い油紙っぽい袋に入れてもらいひよこを受け取った。
 袋の口を閉じ手に乗せて持ち帰る時の袋の中でガサガサ音を立てて移動する掌の感触と、ピヨピヨ鳴く声を喜びの感情とともに今でも鮮明に想い出すことができます。
 勝手にひよこなんか買って帰ったというのに、それを見た母は叱ったりしなかった。
「なんでオス買うてきたん? オスなんかコケコッコーいうて朝に鳴いてうるさいだけやで」
 文句を言うポイントは「なぜメスだけにしなかったのか」という点でした。
 無論、メスは成鳥になると卵を産むからです。
 私とすればメスとオスは番いが自然であり、メスだけ飼ってオスがいないのは淋しいだろう可哀相だろうという考えで雄雌一対二羽を、番いの夫婦と見立てて買ったのですが、母はそれを卵を産ませ採って食べる家畜としてみていた。
 母と私にはその命に対する大きな認識の齟齬があったため、判断の違いになったのです。
 しかし、オスを買ったことについての文句も一度だけ軽く言っただけで、後は私がヒヨコを育てるために協力してくれたのです。
 母の実家は古い時代の米屋で、子供の頃には店舗兼住戸の裏庭には鶏舎があった。
 小さい頃から鶏の世話をすることが日課だったから、全く抵抗がなかったようです。
 母から知恵をもらいつつ私が独りでひよこを鶏の親鳥になるまで育てることになったのです。
 父も協力的で、最初段ボール箱の中で飼っていたのが大きくなるに従って飛び出てくるので、庭に鶏用の木製の小屋を作ってくれた。
 父は古い時代の大工の倅で、今私が暮らす築52年の戸建て住宅も父が一人で建てたものだから、鶏小屋作るぐらい朝飯前です。
 私は毎日鶏に欠かさずエサと水をやり続ければよかったのです。

 最初オスとメス二羽だったのが、オスが死んでメス一羽だけになりました。
 オスが死んだ時の経緯は判りません。
 私がいない時に事故で死んだそうです。確かな記憶はないのですが、家人が出入りする玄関の扉を開いた時、箱から飛び出た鶏が閉じる扉に挟まったというような経緯を伝聞で知ったような微かな記憶が残っている限りです。
 オスが死んだ後、メス一羽だけを大切に育てることになりました。

 かなり大きくなって、庭にある小さな鶏舎に移しての飼育になった。
 小学校から帰ると宿題もせず、鶏のところへ行って、じっと彼女の姿を見ている。
 無論、ルーチンワーク化したエサやりの世話もする。
 米糠を水で溶いてそぼろ状にした餌と飲み水を、欠かさないようにやりにいく。
 それだけでは栄養が足りないかもと思い、私が傍にいる時は鶏舎の扉を開けて、外に出してやり、当時我が家しかなく周りは田畑や空き地ばかりだったところを、一緒になって散歩した。
 私を親と認識しているので、鶏は成鳥になってもずっと私が行くところへどこまでもついてくる。
 私と鶏はカルガモの親子さながらに野原を駆け回ったわけです。
 無論ついてくるだけではなく鶏はしばしば道草を食う。
 途中で後ろに姿が見えなくなったりすることがあって、いなくなると私が戻って探すのですが、途中みつけたトノサマガエルに興味を持ち、捕獲して飲み込もうとしていた。
 捕まえてみたものの、大きすぎて飲み込めず、放置して私の後を追うことに復帰することもあった。
 小さなツチガエルは捕獲して飲み込んでいたので、たんぱく質の補給に良いのではないかと、鶏の「散歩」(と当時読んでいた)も私の放課後の日課に加わったのでした。
 カラスエンドウを採って来て、これは食べるだろうかとか、草類も餌に混ぜてやってみるような試行錯誤もくり返し、やがてひよこは立派な一人前のメスの鶏に成鳥したのです。
 小さい時は黄色い毛玉だったのが、大人になると赤褐色の毛色になったので、ボリスブラウンか何かの鶏種だったと思われます。

 前フリですが、鶏を飼った大まかな経緯はこのような流れです。
 このあたりからそろそろ「元型」の存在に気づいた実話に入ってゆきます。

 羽も赤褐色になり姿形も成鳥の鶏になったころです。
 すでに住まいも玄関に置いた段ボール箱から、父が作って物置区画の隣に設置した鶏小屋に移って久しい頃、いつものように学校から帰宅し、鞄を放り出して鶏の世話をしに鶏舎に行った。
 鶏の顔を見るのが嬉しいというか気持ちが落ち着くので、目的は顔を見たり、小屋からだして手で摑まえて抱き上げたりすることなのですが、それとともに餌や飲み水を与えたりして世話もする。
 健康のためにも地鶏のように外にだして自由に遊ばせてやるのですが、その日も小屋の扉を開けて、少し遠ざかった所から鶏を観察していた。
 遊ばせるのが目的で観察は、見守りをするのが目的なので、視界に入っていればよく、大した注意も払わないでいる。
 ところがその日、鶏の素行がいつもと違っていることに気づいた。家人が鶏小屋の傍に放置したリンゴの段ボール箱から物置小屋の間をしきりに往復しているのです。
 いつもはふらふらと外へ出て行って田圃や水路あたりを探して、虫やカエルを捕食したりするのに、全くその気配すらなく、何度も物置小屋の奥のほうに入ってゆく。
 その様子を遠くから見て何をしているんだと疑問に思っていたのです。
 しばらくして物置小屋の奥通いも堪能し切った風に、私が追い込みもしないのに自分の住まいの鶏舎の中に入っていってそこで落ち着いてしまった。
 もう散歩は終わるつもりなのかと思い私も鶏舎の入り口を閉じて、彼女がしきりに往復していた物置小屋の中を見てみることにしたのです。

 そうしたらびっくりです。
 物置小屋の一番奥に白いマカロニ状の発泡スチロールを丁寧に組み上げて作った真っ白な巣に、綺麗な赤褐色の卵が一個、丁寧に産み落とされていたのです。
 実に美しい真っ白な巣が、褐色の卵を守るように敷かれているのです。
 白い細切れの発泡スチロールは、リンゴが傷まないように箱に下に敷いてあったもので、それを使って鶏が自ら巣を作っていたのです。

 この鶏の個体の生態行動を見て、私は「元型」の存在に気づいたのです。
 お分かりでしょうか?

 鶏が卵を産むのは、メスの鶏の個体なら必ずだれでもする「本能」です。
 しかし「巣作り」は本能ではなく産んだ卵を守り孵化させるための行動で「母性」です。

 本能でもない「巣作り」という母性をこの鶏はどうやって獲得したのか?

母性は本能ではない。男性と女性には生得的に何ら差はない。人間はすべて白紙の状態で生まれてくるのであって母性という性役割は後天的に学習によって身についたものだ。」
 これはフェミニズムによる説で「母性学習説」です。
 鶏の巣作りという母性行動が本能ではなく学習した結果だとしたら、誰がどのように鶏にこのように巣を作りなさいと教えたのか?
 あるいは何をみてその作り方を学習したのか?
 そもそも卵を産む時巣を作って守らなければならないということを誰から教えられたのか?
 いいえ。
 この鶏は、何も学習していないのです。
 彼女は私という人間に、ひよこの頃にお金で買われ、我が家に連れて来られた。
 それ以後、他の鶏に会ったこともなければ、鳥の巣というものを見たこともない。
 彼女はそもそも鳥の巣のなかで生まれていない。
 巣作りを「学習」する条件など皆無なのです。

 こういうと必ずこう返す人間がいる。
 「学習」でないならそれは鶏の「本能」だ。
 鶏のDNAに最初から巣作りをすることがプログラミングされていたのだ、と。

 残念ながらこれも完全に反証されています。

 事実、私はこの一羽のメスの鶏が死んだ後、同じように小学校の校門に売りに来た鶏繁殖業者から六羽のメスのひよこを買いすべて親鳥になるまで育てたが、一羽たりとも巣作りはせず、同じ鶏舎の糞の中に卵を産みっぱなしにしたのです。
 養鶏場で飼われた鶏と全く同じように卵はただ産むだけで後は見向きもしなかったのです。
 一羽たりともですよ?
 巣作りなどしなかった。
 六羽中一羽も巣作りしないまま卵を産み捨てるようになったのです。
 「本能」として遺伝子に予め巣を作るようプログラミングされて生まれてきているのなら、一羽ぐらい巣作りしてもいいようなものじゃないですか。 
 鶏は無論同じ種類でした。
 巣作りをしたのは、最初に飼った二羽の内、親鳥にまで育った一羽のメスだけだったのです。
 「例外的に」巣作りをした、と言った方が正しい有様です。
 これでどうして巣作りが本能であり母性ではないと言えますか?
 最初の一羽が巣作りをし、後の六羽が巣作りをしなかった。
 この事実からこう結論が出せるのです。

 巣作りという「母性」は「学習」でもなく「本能」でもない
 本能でも学習でもない以上、本能と学習の中庸で母性ができるはずもないのです。
 本能か学習か、その適度な相互作用かで形成されるというモデルは、母性形成メカニズムとして全く有効ではないのです。

 だったら何が母性を形成させたのか?
 それが「元型」なのです。

 鶏には生まれた時から巣作りをするという「母性」の「元型」が備わっており、その元型が活性化する条件を与えられたことで、一羽の個体だけが「母性元型」の活性化の成果として巣作り行動を実行したのです。

 では、母性元型が活性化されて巣作りをした一羽と、母性元型が活性化されなかったために巣作りをしなかった六羽の個体の違いは何なのか?
 私には思い当たることがありました。

 最初の一羽のメスは、すんなりと無事に親鳥になったわけではなかったのです。
 まだ玄関の段ボール箱のなかにいて、箱から飛び出すことすらできないほど幼かった頃、一度田圃脇の用水路の水に落ちて瀕死状態になったことがありました。
 見つけた時にはずぶ濡れで意識不明、過呼吸のような荒い呼吸を繰り返すばかりで目を開けません。
 私は瀕死状態になったひよこを家に持ち帰り何とか助けたいと思って家族に訴えた。
 家の中ひよこ一羽のために大騒ぎです。
 そこにのそっと布団から起きて来た父がおもむろに物置から取り付け式蛍光灯ランプを持ってきた。細長い蛍光灯を天井かどこかに取り付けて使うもので、余っていたもののようでした。
 段ボール箱に穴をあけて、横向きにそれを箱の中に通してスイッチを入れた。
 そうして今にも死にそうな瀕死状態のひよこを蛍光灯の灯りに添わせるように寝かせたのです。
 蛍光灯の熱で温めようという発想でした。
 そうやってひよこを温めたまま、家族は就寝したのです。
 目を覚ますと、私は段ボール箱の中の過呼吸で意識不明で死んでしまったかもしれないと半ば諦めかけていたひよこの姿を見に行きました。
 すると、彼女はすでに目を覚ましてピヨピヨ言いながら元気に歩き回っていたのです。
 彼女はみごとに蘇生していた。
 この臨死体験が、鶏の成鳥になった時唯一やり始めた巣作りと密接に関係していると思うのです。
 彼女はずぶ濡れで意識を失い死にかけていた恐怖と不安の中、急に明るい光と熱に抱かれた。
 蛍光灯の光と熱ですが、それがまるで母鳥の体温と人格的温もりに感じられた。
 自然状態では当たり前に存在する母親に守られるという経験が、人間に飼育される鶏にはすっぽりと抜けてしまう。
 彼女が事故で瀕死状態になったことで、われわれ人間がそれを救おうとしてした蛍光灯で温めるという行為が、母鳥が彼女に与えるべきものの代わりとして機能した。
 蛍光灯の温もりと光を親のものと感じたひよこは母性元型を活性化させ、自らも子の命を守ろうという巣作りへの欲求とそのための創意工夫の欲求を形作った。
 「母性」を獲得することができた。
 これが「母性元型」と「元型の活性化」というメカニズムだと私は考えたのです。

 以上が、私が自らの経験に基づいて考え抜いた末に得た知見であり「元型」と「母性」というもののメカニズムであるわけです。

 私が常々述べる「元型」という語には、このような深い経験知と洞察、たった一つの事実を追求し答を出す、深く継続的な「思考」の結果得た結論が込められているのであて、たかが教科書や専門書を何冊か読み齧り聞きかじった程度の知識でほざいているのではないということを、是非ご理解いただければと存じます。

 無論、「元型」という分析心理学専門用語は、小学生の私にはない知識です。
 「元型」という語とユングが意図した語の定義を知ったのは大学生時代の1986年で、その時から「元型」という語を使い始めたのですが、私が今「元型」という名で言い表していることの中身は、それ以前から自らの経験知として自前で持っていたものです。
 それがユングが言う「元型」に意味がそうとう重なっているから、便宜的に語を拝借したというだけのことです。
 専門書を読んで学習したことなど、私の中にある思想体系のほんの一部にすぎません。
 すべてオリジナルで「考えた」ものであってもとからあったものばかりです。

 分析心理学者ユングは「結局私が言いたかったことは誰にも理解してもらえなかった」と嘆きながら亡くなったと言います。
 おそらく間違いなく、ユングは「元型」という語を使って私が書いたようなことを言いたかったのだろうと思います。
 日本の第二第三世代のユング派の人たちは、沢山の「元型」を乱立させています。
 「障害者元型」「偉大な作曲家元型」などという言葉を平気で使うが、私の定義する「元型」にはそんなものは存在しません。
 人間には将来自らなるべき姿としてのたった一つの自画像を完成させるための「元型」という設計図があるのであって、それ以外の自己実現は、それが例えモーツアルトのような歴史に残る偉大な作曲の業績であろうと、間違った自己実現でしかないのです。
 人間に生得的に音楽の作曲家になる必要も意味もありません。
 そんなものになるために自然法は人間に命を与えたりしていません。
 それは元型を活性化させるためのイメージや条件が歪んで与えられた結果生じた歪(いびつ)な自己実現の姿でしかないのです。
 エスキモーの部族の中にモーツアルトが生れて来ないのは当然です。
 自然法は人間が生きるために不可欠なものとして、クラシック音楽など与えていないからです。
 それらは文化という「集合的無意識」に由来する後天的な要素が元型に作用した結果形成したものにすぎません。
 ユングは、そのような個別文化的後天的な「集合的無意識」について言いたかったのではない。
 すべての人類に共通している無意識である「普遍的無意識」領域にある「元型」の存在を訴えたかったのです。
 現代のユング派はユング自身の課題や志から外れて、個別の種族や民族や文化・宗教に共通している集合的無意識に由来する共通の自己実現イメージに勝手に「元型」の名を冠して論じあっているだけなのです。
 
 そのようなユング派分析心理学の意図する元型と私が日常語として使う「元型」は似て非なるものだということが少しはお分かりいただけたでしょうか。

 「意識」というものには何層にも重なるスペクトルがあって、フロイトがヒステリー治療を専門とする精神科医として問題にした「無意識」は、ユング派分析心理学では「個人的無意識」と呼ばれた。
 それ以外に「集合的無意識」があるとユング派は言うがそれもさらに二つに分けて考える必要がある。
 「集合的無意識」は種族、民族、文化や国家の歴史伝統が長期持続したものであり頗る後天的なものである。
 それ以外に先天的な「普遍的無意識」を想定しなければならない。
 「普遍的無意識」は、文化的な蓄積物の総体ではない。
 生得的ですべての人類に共通する無意識層である。
 そこにあるものをユングは「元型」という名で言い表したかったのです。
 私はそれを「自然法」と呼び、「元型」は自然法に由来するものだと定義しているのです。
 これはユング派心理学説との決定的な違いなのです。

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