「なぜ日本は不登校が多い?:文化の影響と新しい視点」
「子どもがある朝、ベッドから起きてこなくなった!」
娘が突然ベッドから起き上がれなくなったのは、中学校1年の2学期が始まったばかりのある朝でした。
最初は「疲れがたまったんだろう。数日ゆっくりすればきっと大丈夫」と思って休ませたものの、数日が1週間になり、ついに1か月に。
担任やクラスメイトが毎日のように放課後、激励に来てくれます。授業のノートを持ってきてくれたり、励ましのメッセージを書いてくれたり・・・しかし、それがかえってプレッシャーとなり、「申し訳なさ」に押しつぶされそうになりました。
娘の昼夜逆転の生活が始まりました。太陽が出ている間は死んだようにぐったりしている娘が、日が暮れる頃に起きだし、夜中元気そうにテレビやネットを見ている姿に強い憤りを感じたことも一度ではありません。
複数の専門家に相談しましたが、原因は分からないまま。不登校は中学校卒業までの2年半続きました。
なぜ日本はこんなに不登校が多い?:社会構造に組み込まれた「やりすぎ教育」
文科省の調査によると、2022年度の小・中学校の不登校児童生徒数は過去最高となり24万人を超えました。不登校生徒の割合は、中学校で5.00%(20人に1人)、つまり1クラスに1~2人が不登校ということになります。
また学校に来ていても、部分登校や保健室登校など「不登校傾向」とされる中学生は33万人(10人に1人)と推定されます。
文科省は不登校の最大の理由として、約半数は「本人の無気力・不安」によるとしています。ではなぜ日本の子どもは学校に対して「不安」を感じているのでしょうか?また世界ではどういう状況なのでしょう?
国によって不登校の定義・教育事情が異なるために比較は難しいものの、不登校がここまで大きな社会課題なのは日本特有の現象と考えられます。私自身、日本の学校現場の現状を欧米やアジアなど様々な国の友人に話してきましたが、そのたびに目を丸くされます。
世界の教育に詳しい臨床心理士は、「どこの国にもイジメはあるのに、日本だけで不登校が起きる根本原因」として「社会構造」の中に取り込まれた「やりすぎ教育」があると述べています。
文化から不登校を見つめる:際立つ日本文化の特異さ
では子どもが「無気力・不安」を引き起こすまで「やりすぎ教育」に向かわせる社会的背景は何でしょう?そこには文化が大きく影響していると考えられます。
オランダの社会心理学者、ヘールト・ホフステード博士は45年間にわたり「文化」という曖昧な対象を研究、6つのモノサシ(文化次元)を使ってモデル化しました。
これらの文化次元を組み合わせると、世界の文化をいくつかのクラスターに分けることができます。実は、日本は3番(達成志向)と4番目(不確実性回避)の次元の数値が非常に高いことから、1国で独自の文化圏を形成しています。つまり、文化的な統計から見ても「日本は特異なポジション」であることが裏付けられているのです。
文化次元が教育に及ぼす影響:
日本において顕著な達成志向と不確実性回避の強さは、教育において次のような特徴を及ぼします。
いかがでしょうか?すべては当てはまらないにしても、思い当たる特徴が多くあるのではないでしょうか。
モデルを使って「自分が思っている『当たり前』を俯瞰してみる」ことが解決の糸口になるかもしれない
「文化の影響」に関する知識は自己や社会への認識を助けてくれます。しかし単に「知識」を得るだけでは十分ではありません。IQ,EQに続く「21世紀の必修スキル」と呼ばれるCQ®※(Cultural Intelligence:文化の知能指数)というフレームワークがあります。
CQによると、知識に加えて、異なる価値観を知りたいという動機付けや、それらを使って状況を俯瞰し、効果的なやり取りを計画する力、そして実際に行動する力が大切であると言います。(CQは現在、世界中で人材開発や組織開発、ダイバーシティ研修やリーダーシップ研修などに活用されています)
娘のその後:
娘はほぼ通うことなく中学校を卒業。娘の中学校では学年に複数いる不登校生のために、先生方が校長室でミニ卒業式をしてくれました。
その後、通信制の高校に入学。そこで自分のように不登校だった数多くの友人に出会い、長期留学を経験した娘。様々な社会境遇や価値観に触れながら少しづつ変容していきました。
「多様な価値観に触れて自分の価値観を相対化する」ことは大きなパワーになります。実際に私は娘のような不登校経験者が異文化に触れて自分らしさを取り戻す姿を数多く目撃しました。
もちろん必ずしも外国の文化が対象である必要はありません。
家族以外の大人やコミュニティーの人など、背景・価値観の異なる人がロールモデルになったり、子どもが立ち直るきっかけになる例も多くあります。
娘に不登校時代について聞いてみた
現在は大学生活を謳歌している娘。ほとんど通うことがなかった中学時代についてどう感じているか聞いてみました。すると次のような返事がかえってきました。
何よりも一番感謝すべきは、親である私が「ひたすら頑張ることは素晴らしい」「学校に行かないことは悪」という固定化された価値観を持っていることに娘に気づかせてもらったことです。
不登校のおかげで私たち家族は一回り成長することができた気がします。
文化に無自覚ではいられない
以上、我が家の経験をたどりながら不登校という日本の社会課題を振り返り、文化のフレームワークで日本の文化的価値を分析、そして知識を持つだけでなく、状況を俯瞰・時には行動に移してみることで、個人や社会に限りない変容の可能性があることをお伝えしました。
結局のところ、私たちは「社会的動物」であり、文化に無自覚ではいられないのです。
不登校は渦中の当事者にとっては非常に辛い経験です。私自身もまるで「永遠に出口の見えないトンネル」の中にいるように感じていました。
しかし「酸っぱいレモンから美味しいレモネードができる」ように、いつかその経験が自分や取り巻く社会が持つ固定的な価値観に対する気づきを与え、人生を豊かにする無限の可能性も秘めているのです。
(文:CQラボ理事 田代礼子)
一般社団法人CQラボ cqlab.com
※used by permission of the Cultural Intelligence Center
出典:
・「不登校の現状に関する認識 – 文科省」(文科省,2009年以前公開,2022年10月31日参照)より
・「生徒指導資料第1集(改訂版)第3章 不登校」(国立教育政策研究所 生徒指導研究センター,2009年3月公開,2022年10月31日参照)より
・「不登校傾向にある子どもの実態調査報告書」(日本財団,2018年12月12日公開,2022年10月31日参照)より
・「令和3年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果」(文科省,2022年10月27日公開,2022年11月2日参照)より