さらば、ブラボー先生®
おはようございます。
東京下町・都電沿線で
学習塾を運営している
ブラボー先生®です!
随分と仰々しいタイトルだなオイ笑
▼今日はこんな事書くよ
自己紹介します(まさかの)!
最終回にこんなん載せる事にした
ブラボー先生®と申します(笑)。
いつも日曜日はPVやスキ数などの
振り返り記事を称したチートデー
でなんとか更新していました(笑)。
今日は記念すべき365日目の更新なのに
それで最終回はしまらないだろうって事で
やめて、土曜日を1年間のダッシュボード
公開日にしました。
365日、連続掲載。
なんとか1日も休まずに書き切りました。
告白すると、1日だけ予約投稿間違えている事に気付かず、公式記録的には365日連続投稿になっていないんですけど、まあ、それはワタシが言わなければわからねーし。
今言っちゃったけどもヤベ。
元々三日オッサンだったワタシが、社会人になったころから自分との闘いという訳のわからんモチベーションで有言実行するようになりました。元から継続・習慣化が得意だったわけではございません(笑)。ホントに。むしろ、苦手分野です。
書く事が得意だったかというと、嫌いじゃないよねって程度でしょうか。でも、全然上手ではなくて。『主語がないから文意とれない』なんてよく言われちゃうほど、乗ってくると思考が文章を補完しちゃってて、自分以外何が何だか分からない文章をよく書いていました。塾の講師なのにね。
まあでも文章の方は、初期に比べて大分読みやすくなったかと思います(笑)。noteジャーニーがきっかけかどうか、業界誌に連載を持たせていただくことになって、ギャラ作家デビューする事になりました。編集室とのやり取りの際に一応noteのURL貼り付けてやったので、読んでもらってオモロイやっちゃ、と思ってもらったのかもしれませんね。
確実にタイプライティングは早くなりました。元々大学時代ハンドライティングでの論文は受け取ってもらえないので、タイプは早い方でしたが、もっとこう、滑らかにスイスイとカタカタ出来るようになったのは、毎日ウンウン唸りながらも1500字~2000字も書いてきたからだと思います。
SNSは、ワタシが取っておきの広告戦略として徹底的にコミットしたビジネスツールで、noteはその中心にありました。
この記事だって今、職場にあるワタシのデスクでPCカタカタしているんです。周りは一生懸命勉強している子ども達。
なぜ、2020年に連続投稿することを決意したのか、、、結局の所、怖くて仕方なかったんでしょうね。
数ヶ月かけて準備してきた自塾主催の学校説明会が吹っ飛び。
いつコロナ罹患者がでるかもしれない中打った手が、オンライン授業。
これまで謳ってきた教務アプローチが、子どもに寄り添う三密だった我々にとって、この打ち手が本当に子どもやご家庭に届くかどうか不安でならなかったんです。
ですから、熱量そのママに(いや、大分割増しで)、活動報告を毎日上げてやれととりあえず走り始めたのが、このコラムでした。
オンライン授業でもワタシ達は情熱持って子ども達と勉強しているよ!をどこかで叫ぶ必要があったんです。
同時にオンライン自習室・オンライン学校説明会等、思いつくまま、走りながらやる事やってみました。
運が良かったのは、他の学習塾がまだオンライン授業の是非を検討段階に入っている、その一瞬のスキをついて実装出来た事ですね。結果、一日も休むことなく学習を前に進める事ができました。
しかし、対面を前提にした様なクラスは思い切って完全休校しました。月謝はお返ししました。ココでクオリティ下げて授業する事も出来たのですが、諦めました。親御さんからもリクエストありましたが、諦めてくださいと言いました。
だって、小2の子どもがオンラインで授業はできまへんがな。
やってもおままごとでしょう?
読書クラスをオンラインて、もうこれただの図書館じゃない(笑)。
恐らく、色々打てる手は他にもあったけしょうけど辞めました。辞める勇気が出来たのもこの頃かもしれませんね。45歳。色々な経験ができた1年でした。
こう書いていると仕事人間のようですが【ここから今日の本題・自己紹介】、ワタシはおそらく、仕事と趣味の境界線がとてもぼやけたような人間なんだと思います。仕事、楽しいし、趣味は面倒な日もあるし、ってこれ普通逆ですもんね(笑)。
朝、どんなに辛くても筋トレ行ったりサーフィンしたり、この頃なら夜中にこっそり起きてゴルフの練習行ったりってこれ、修行じゃない(笑)。
いつもグーたらしてて、とてもnoteに書いてある様な子じゃなかった、と読んでいる母・登美子は思うでしょうね。
好奇心は確かに旺盛だったけども、ヨシモト少年は超・めんどくさがり屋さんだったかと思います。はい。自覚あります。
好奇心の折れ線グラフが、先行き不安な株価の様に乱高下する、みたいな(笑)。
ゴルフ部に入ったら一緒にコース回ろう、という父親の期待に全く応えずに、どんなスポーツかさえ知らないアメフト部に入部するなど、超・無鉄砲な所があるかと思いきや、その決断をグジグジと後悔するタイプっての?
とっても芯のない子だったように思います。どこにでもいる、お調子者。みんなから愛されていたから、なんとか要所要所で道は踏み外さずにここまできましたけど。お得な性格っす。
『ねえ、ふつう女子大生のムスメの部屋に何も言わずに入ってくる?』とか言う私立ドヤ大に進んだムスメが、来年タイミングあったら留学したいって言っていて、聞いたり聞かなかったりしているんですけど。
本音は寂しいから行ってほしくないよねって思っています。よくウチの両親は4年もワタシを海外に勉強に出したなあって思います。
ムスメと違い、ワタシは学業劣等生。中学受験でアカデミックキャリアハイを迎えちゃって、それから全くやる気起きず。思い付きで(でも本気で)アメリカに行って演劇やりたい!って思った時に、勉強しなきゃいけないじゃんってのが結びつかなかった。つくづくおめでたい奴です。
まあ、学費を出してもらった分以上に大学では一生分勉強したと思います。勉強したっていうか、なんかもう、最初の内は生きるのに必死でしたよね(笑)。日本人は小数いたんですが、学部にはアジア人はワタシ一人でしたからね。
アメリカ・ウエストバージニアにある、小さなプライベートカレッジ。専攻は演劇学部・演劇科。ほどなくワタシはオモシロ外国人としてみんなのマスコット的存在になります。ボビーオロゴン的な。ただ、ボビーオロゴンとワタシの徹底的な違いは、彼はオモシロぶっている秀才で(これは本当らしい・・・しらんけど)、ワタシはシンプルにオモシロ取ったら英語もままならない長髪アジア人ってだけで(笑)。
オモシロ外国人(笑)
オモシロ外国人(笑)
ロミオとジュリエット・毒薬渡す悪い奴(笑)
皆写真好き。
オモシロ外国人(笑)
ハロウィンとか、超本気(笑)
ウエストバージニアはこんな感じ(笑)。ほぼ山(笑)。
演劇学部に所属していると、夏の間にプロの劇団のサマーシアター(夏休み限定のプロダクション)の一大オーディションに参加するのが通例で。※アメリカの夏休みはベラボーに長いよ!
で、お仕事をもらうにゃ、オーディション。大学生は、WVTC(West Verginia Theatre Conference)オーディションで、ウエストヴァージニア州の代表(ナンバーズ)にならないとイケマセン。ここでナンバーをもらって州の代表になると、今度はSETC(South Eastern Theatre Conference)南北演劇会議って大きなオーディション会場に進むことが出来ます。
原則、WVにある演劇学部の大学生はみな受けたんじゃないでしょうか?
WVTCで代表になっても、それで何もお仕事頂けるわけじゃあありません。SETCこそが、俳優の見本市本番。皆、このSETCのチケットをもらう為に1分間のモノローグピース(独り芝居)と、ミュージカルの一節をWVTCオーディションで歌うんですけども。
ワタシは上述した通り、オモシロ外国人(笑)でしたから、1年目不参加(英語力の問題泣)2年目日本に帰省したため参加せず、3年次・4年次にそれぞれWVTCを通過して、SETCに参加することになります。
ここら辺がワタシが役者として、とてもギラギラしていた頃かと思います(笑)。WVTCでナンバーもらうと、地元紙が取材に来ます(笑)。事件なんか全然ないから、SETCにDavis&Elkins大学の演劇学部から通過した生徒がでたよって記事になっちゃう(笑)。
SETCには、我々正規ナンバーズ(オーディション合格組)と、惜しくもナンバーをもらえず落選した後輩・同級生が一緒のバスで毎年開催される都市まで乗り込みに行きます。これも楽しかったなあ。
3泊4日とかカナ?ワタシが参加した時は、1年目がお隣ノースカロライナ州と、2年目がマイアミのあるフロリダ州。一つの大きなホテルに缶詰めになって(マイアミの時は仲間とビーチにこっそりいったよ)、毎日毎分オーディションが行われる俳優の見本市になるわけです(笑)。
ビーチは想定にないからとりあえずTシャツ脱いだ(笑)。
正規ナンバーズは、SETCオーディションを受ける権利がありマス。対してWVTCでナンバーをゲットしていない生徒達は、まだそのチャンスがありません。最初は我々先輩ナンバーズの応援に。
朝から夜まで、ずっとメイン会場ではオーディションが行われています。観客席には沢山のプロダクションのディレクター(監督)・プロダクションマネージャー・プロデューサーが陣取っています。我々も出番が来るまではここにいたり、4人一部屋の自室でオーディションピースの最終確認なんかしています。ワタシも発音チェックを後輩にしてもらいながら、その時をまちます。
毎分毎秒オーディションが行われている、とっても大雑把でダイナミックな、アメリカっぽいオーディションウイーク。SETCはアメリカを四つに割った一地域ですから、そりゃあ沢山のナンバーズと、ナンバーズになれなかった俳優さんが殺到しています。
ディレクターだってお手洗いや食事休憩がある。でも、これ全く関係なく2.3分ごとオーディションが行われているので、見つかる運もあります。才能があっても、客席にお目当てのプロダクションの関係者がいないとその先に進めないから。
一日目が終わると、そこからSETCはもっと忙しくなります。ナンバーをもらえなかった生徒は、むしろ二日目からが勝負です。
一日目の終わり。夜になると、各プロダクションがブルティンボードに張り紙をします。張り紙には、プロダクション名・滞在している部屋番号とナンバーが書かれています。これをコールバックと呼びます。
つまり、初日のオーディション(俳優見本市)で、各プロダクションが気になる俳優を自室に呼び出し、二次・場合によっては三次オーディションをする、とこういう訳で。
そこには、軽い天国と地獄がある訳です。そもそもナンバーズって、言ってしまえば州の代表だから、ちょっとドヤ顔しているんですが(笑)、一日目に出番が終わって掲示板に自分のナンバー無いと、もう原則呼ばれる事がありません。そりゃ無いですよ、だってオーディションは延々続いているのですから。一度気にならなかった俳優には、もうチャンスはない。
でも、ココで諦めたらイケマセン。ここからなんです。掲示板には、プロダクション名と滞在している部屋番号が書かれています。お呼びが掛からなかったナンバーズと、WVTCで勝ち上がれなかった俳優陣は、ようやくここでお目当てのプロダクションにアタックしに行けるのです。スライディング・レジュメです。ドアの下に自分の部屋番号と熱烈なメッセージを書いて、宣材写真を滑り込ませるのです。
顔面笑に自信のある者や、出演作が多いものは2日目に部屋に電話が鳴る事や、掲示板に直接ナンバーではなく名前がのる事もあります。
われわれは、やれこのプロダクションのコールバックうけただの、ここのプロダクションはどこそこのサマーシアターで、条件がどうのだのビール片手にワイワイいいながら作戦を練るのです。
作戦を練るのは隣り合わせになっている部屋とか、その前の廊下とか(笑)。
そこに、ビールを買い足しにホテル向かいのガススタに行ってた同級生が、顔を真っ赤にして戻ってきました(ホテルのビールが周りの店に比べ若干割高なのは世界中一緒っす)。
『KAZU! OMG!!!(ブラ先、やったぞ!)』
『どしたどした(ビール片手に)?』
『You got the call back from THE BLUE MAN GROUP(ブルーマンのコールバックにkazuのナンバーが載ってた)!!!』
???
!!!
ホテルの通路がリオのサンバカーニバルのようなお祭り騒ぎに!!そりゃあそうです。ブルーマンのプロダクションなんて、全然コールバックしないんだもの。一日2人・3人くらいでしょうか?しかもSETCですからね!そりゃあNYCのオフとはいえブロードウェイのプロダクションからコールバックがきたらもうその熱狂たるや。
全米デビューしたとおもっちゃったもんね。
ま、しっかり2次で落ちましたけどね爆笑。
そもそも身長足りてなかったらしいなんだよそれ!
髪の毛切れるかい?とか聞いて来たくせに!
マジでちょっと期待したんですけどね、なんせハンデである英語を全くしゃべらないでいいから(笑)。
ま、いい思い出です。その年は結局3・4個コールバックを頂き、ありがたい事にジョブオファー(最終的にキャストされた)までしていただきました。大学と相談して(留学生はビザ的に働くのに規制があった)インターンシップを利用。ひと夏サマーシアターで学生ながらプロの俳優としてギャラをもらってデビューしました。
寝床付きのオファーだったからそこそこ稼いだんじゃないかしら?週給400ドルとか500ドルとかだったかな?
ネイティブアメリカン役です(笑)。
4年生の時もWVTCでナンバーもらって、SETCに進み、そこでもいくつかオファー頂いたんですが。
丁度その時、ウォン・カーウァイ監督の映画、2046の書類審査にも受かってて。
結局ワタシは(どの位長い審査あったのかわかりませんが)あっさり二次書類審査でがっつり落ちて、木村拓哉って俳優が受かったっぽいっす。
でもこれは何かの縁だ!っつってSETCでジョブオファーあった数カンパニーお断りして日本に帰国したんです。結局なんも無かったんですけど(笑)。
案外留学ってノリできちゃうけど、日本と違い入ってからキツイ。ちゃんと卒業することが大事。ウチの大学は3回休むと単位もらえなかったキビシー
あと、向こうってカメラ目線じゃないのよねなんで?
日本に帰り、自由塾に挨拶をした後、すぐにオーディション雑誌をかたっぱしから受けようってなって一発目でご縁あり、小さな劇団の劇団員になりました。
自由塾にはたしか次の週位から講師になってたような気がします(笑)。
日本の中小劇団て、アメリカと違い、とても俳優の待遇が悪いんですよね。プロモーション能力・マネタイズ力が0だから、俳優が自分で宣伝・チケットをさばかなきゃならない。食ってけないからバイトも掛け持ちしないと。ココにかなり違和感を感じました。ギャラなんてなくって、その代わりにチケットがあるだけ。ノルマを達成した後から自分の取り分が発生する、みたいな。アメリカは職業俳優になればギルドっていう俳優組合に入るので、最低時給などは保証されるようになりますからね。
幸い、みんなの人気者がアメリカから帰ってきたってなっているので、大体の友達はチケット購入してくれたんですけど、これって結局自分の信用残高っての?借りを作りまくる訳じゃないですか。ファンなんて、家族と恋人くらいで、幼馴染は本当に付き合いで来てくれたから。
で、ワタシもいくつか副業を持ちながら俳優をつづけていたのですが、まあ、今の妻と知り合ってムスメが出来るって段で色々と決断しなきゃならなくなり・・・。
結局、日本では舞台4本、映画1本Vシネ1本とかしか出ず、その短いキャリアを終えました。まあ、(才能的にも)そんなもんだったんじゃないでしょうか。
今学習塾という舞台で、がっつりブラボー先生®を演じている、って良い風に思っていますけど。ずいぶんと芝居じみた授業をするのはそんなわけがあったんですね(笑)。
昨日の記事で埋もれかけてた過去編というシリーズを最後の最後で回収してみました。
もう、思い残すことはアリマセン。
もちろん、完全にこの世界から足を抜くかどうかはまだ検討しています。
作ったばかりの塾のパンフレットにも宣伝しているしね(笑)。
多分、これからは逆に個人的なコラムをこちらに、HPで子育てハックを展開していくのかしらって思います。
頑張ればPVを稼ぐことは証明できたから、後はワタシが狙う層にモリで一刺しするようなとがった記事を書いて行こかしらって。
居心地がいいからずっといてもいいかなって思った時期もあったんですけど。
目的と手段がすりかわるのは嫌なんで。
ご希望の保護者は、ワタシとコンタクト取れる様にしておきます。
実はnoteを通じて、何人か公式LINEの方でつながっている方はいますので。
でも、ワタシは一旦潜ります。
それでは最後にワタシをいつも応援してくださったメインのコメンテーターを紹介してキーボードを置くことにします。
かりそめちゃん
みんなご存知、仕掛け屋さん。noteEXPOはなあ、ちょっと遅かった(笑)。もうラストダンスを決めていたワタシがお邪魔するのはなんか失礼だとおもっちゃった。でも結構数読みました。ワタシが一旦お休みして単行本の編集終えたら例のプロジェクトを走らせるので、どうぞお付き合いくださいね。
マサさん
台湾の鍋屋さん。えぐい経歴を持つ元敏腕ビジネスマン。とてもハゲしい方。毎日投稿サークルの先輩。いろいろとお世話になりました。台湾、行きたいっす!
みおいっちゃん
今紹介するときにプロフに自称24歳って書いてあって吹きました(笑)。カワイイ。彼女も同じく同期のサクラです。
よっちゃん
プロの騙され屋さん(笑)。一時毎日読んでくださり、決まった時間に更新できずに生存確認してくれたほど仲良くさせていただきました。
よっちゃん、note引退するわけじゃ無いから、これからも仲良くしてね。
ワディ介
なんかどっかの国を創造した人。自由塾のHPをエンタメ化するためにアウトソーシング中。いつかきっと、あのプロジェクト成立させよう!ゆっくり待ってる(笑)!
ずっと待ってる(笑)!!
レリ~
ブラ先後期のメインコメンテーター筆頭は間違いなく彼女でした。いつも応援してくださりありがとうございましたスキ!
タチサラさん
数少ないワタシがフォローしていた一人。継続神(ケイゾクシン)。このサラリーマンはエグい(笑)。いつか🍣ご一緒したいですね!
筋勉くん
彼から【noteがなんたるか】を教えて頂きました。教わった通りにやって、そこの自分のエッセンスを加えて・・・って自塾でワタシが子ども達を叱咤する打ち手通りに勉強して、1年間2000人以上のフォロワーと知り合いになれました。コンサル中は一週間に数百人ついたんじゃないかな?ありがとうございました!
ほんたん
↑筋勉サークルの一期生で同期。盟友ほんたん。彼の発案で、ワタシもnoteコンサルサークルの運営/講師を務めせてもらいました。ココの生徒から、きいす・おかな・はまーなどの人気noterを輩出したんですよね。とっても懐かしい。
あっちゃん
ワタシのコラムの記念すべき最初のフォロワーさん。この方がいなかったら確実にワタシの心はボキリと折れて(笑)、1年も継続する事はなかったでしょう。
最後はワタシのライバルにしてnote界一番の親友、先に卒業を宣言したこの男。
イヤシヤイッ君
カッコつけで誰もフォローせずにフォロワー1000人目指すって突っ張ってた頃に、『フォローしなさい!』って言われてフォローした最初の人(笑)。
コロナが収束したらきっとやろう!
まだまだまだまだいろんな人にお礼を言いたいんだけど。
思っておきます(笑)。てか、居なくなる訳じゃないし(笑)。
8000字以上(原稿用紙20枚)も書いちまったはっはっは!!
それでは皆様。
お相手は東京
下町都電沿線
学習塾教室長
ブラボー先生®
でした!!
本日も、ブラボーな一日を送ってください!