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パスカルの『パンセ』との出会い(読書日記・古本日記)

すべての人間の不幸は部屋に一人で静かに座っていられないことに由来している。

みなさんは、この文章の意味をすぐに察することができるでしょうか。?
私自身は勝手に自分で解釈を試みたのですが、あまりにも単純な解釈しか思いつきませんでした。そして、もっと深い意味があることを知りました。
これは、17世紀の数学者で、思想家、哲学者のポール・ロワイヤル修道院のジャンセニスト、ブレーズ・パスカルの言葉です。

パスカル。パスカルの三角形ぐらいのイメージしか最初はありませんでしたが、吉田洋一著『数学序説』を読んで、私はパスカルに興味を持ちました。
パスカルの雰囲気を感じ取ったからです。その雰囲気とは、聡明で敬虔、優れた数学者でありながら、その思索から、洞察が光る深遠な言葉の数々を紡いだ偉人というものです。肖像画もついていたのでイメージが膨らみました。とにかくその聡明な姿に惹かれました。

私の最近の趣味は、パスカルのパンセを読むことです。
ただ、文庫版の翻訳に手を出す前に、フランス文学者の鹿島茂先生が著された、NHK出版新書のこの一冊を読みました。

パスカルの数学者としての業績がきっかけではなく、その名言を経由して私はパスカルに迫ってみたいと思いました。パスカルは科学者のような視点で、人間の本質を探求しました。

『数学序説』を読んだこととパスカルの名言の存在を知ったことがパスカルに好奇心のピントが定まった出発点ですが、実はパスカルに接近したくなったのには、他の理由もあります。それは、ストア派を愛読していた歴史上の偉人を無意識に探していたら、パスカルに行き着いたのです。パスカルはエピクテートスの愛読者でした。

パスカルがストア派を愛読書に挙げていたことを知って、ストア派に親しみがある私のなかに関心の軸ができました。

ここまで読んでくださった方は、私はパスカルに興味をもっただけでその言葉の意味するところは何も語れないのではないかと思われたかもしれません。まったくその通りです。20年と少しの人生経験やそれより短い読書経験しかない私が、出会ったばかりで、そうすんなりとパスカルという偉大な天才が生命の全力をかけて紡いだ言葉の面白さがわかったとしたら、それこそ珍事ですし、仰天です。

上の新書の著者の鹿島茂先生でさえ、パスカルの『パンセ』を骨身にしみて理解できたのは、学生時代にはじめて翻訳の文庫版を読んでから、数十年経った後だったというようなことを書いていました。なので、私と『パンセ』はとても長い付き合いになりそうです。

ただ、鹿島茂先生の上の新書の訳はとても馴染みやすく、解説と合わせると、一応は理解できました。すべてではないですが。古本市で偶然入手できた文庫版の『パンセ』は、まだ歯が立たなかった。

この文庫版の『パンセ』を光が丘の古本市で最近、偶然にも見つけたときは嬉々としました。300円の値札が貼られていたのにもちょっと驚いた。しかも状態が良好すぎて。感謝しかないです。終. 

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